「ムイカ」再び 公演情報 「ムイカ」再び」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    鑑賞日2018/07/28 (土) 14:00

    よかった。

  • 満足度★★★★

    序盤から独特な進行で、目の前にいる人たちの「立場」がなかなか掴めない展開に…非常に興味を惹かれた。メタ的にも、不条理劇的にも、ファンタジーにも映るが、ふと…まるで「思考セミナー」の様な…社会一般の常識・定説・思い込みを疑わせるよう導いてくる展開が特異でした。

    以降、ネタバレBOXへ

    ネタバレBOX

    しかも、それを入念に何度も繰り返す… ここが肝なんだろうな。いわば…言い訳を追及してくる… しかも冷めた…シラケた感じで…というのがポイントで、何かを主張する時に…熱く真正面から伝えてくるのではなく、内からじわっと自問自答させる感じなんだよね。だから原爆をモチーフにしながらも、割と緩い感じで迫ってくる感覚で… 外圧的な悲劇や恐怖を突きつけてくるのではなく、それは元々…観客が持っている知識や経験に委ねている気がする。そんなものは他所からいくらでも得られる… むしろ、知っていながら目を背ける… 別の大義を優先する…そんな人たちに向けて、閉じた心に囁きかける感じがしました。

    ​想像すれば世界は変容する…か。想像しなければ…できなければ何も変わらない…カミサマは何もしてくれない。…その空気とは真逆に、けっこう辛辣なものを携えていますよ。祈りとは対極だ。

    各論ですが…意味深に多義を想起させる舞台美術…、急所に打った碁石の様に色んなところに効いてくる小道具のスリッパ…立場が分からなかった人たちが複数の方向に効いてくるもの同じ感じかな…とっても良かった。

    全てが「自ずと考えさせる」… そんな誘導に繋がっている様で、面白かったです。…なんてヒトゴトな感想を吐かれるのは不本意かもしれないですが(;^_^A

    ラストシーン、むっちゃ好きですね。未明に展開する穏やかな… 言葉なきドラマ。視線で想像させる演技…とっても良かった。これが悲劇の直前というのを観客は知っているから… 尚更この時間が尊い。
  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2018/07/28 (土) 19:30

    作・演出のはしぐちしんは青春時代をここ広島で過ごしたのだそうだ。広島に対する思い入れも強い。
    車椅子で登場したはしぐちが前説から路面電車の駅を伝って広島の街を紹介しながらいつの間にか舞台が始まる。

    終演後のアフタートークのゲストはライターの大場久美子さん。東京の観客はいやですねえ、こう、ちょっと反り身になって、どんな芝居をみせてくれるんだいと、斜に構えた感じでと言うと、はしぐちさんは同意するでもなく、大人の反応。地方の観客はもっと純朴に見てくれるということらしい。
    だが、私には7月8月と目ぼしい芝居は大概が原爆がらみのお芝居で、まるで広島の観客はリトマス紙かと気が滅入るのであった。
    コンブリ団、ぜひまた広島に公演に来てほしいな。次は別の作品で。

    ネタバレBOX

    登場した役者たちが同じセリフを会社や電車の中という設定でエチュードのように演じ、外から眺めていた観客はスルリと芝居の中に 誘われる。(導入部の独創性)
    原爆で生き残ったおばあちゃんのベットの傍らに集まる家族たち、原爆の投下時に赤ん坊だった彼女の当時の家族たち。二役を同じ役者が演じる戦前と戦後の家族のやりとり。エチュードの台詞が実際の芝居の中にさり気なく挟みこまれる。(洒落た演出)
    時計の針のように動く扇形の舞台は、役者が手で押すとぐるりと回転する。ベットになったり、家族が佇む廊下になったり。時の流れと場所の移動を簡素な舞台で表現。(シンプルで効果的な舞台装置)
    戦前の広島には家族がそろって朝焼けの美しさに見とれるような静かな朝の風景があったのだろうか。そのせいで寝ていた赤ん坊以外の家族全員が原爆投下で亡くなってしまったのだが。(状況設定の巧みさと叙情性)
    その瞬間からも、時は一瞬も止まることなく現代へと続いている。舞台を観ている観客は、嫌でもその現実に向き合うことになるのだ。
  • 満足度★★★★★

    三重県津市から来られる!それだけで期待できました。
    シンプルな舞台装置が私の中だけに観える景色を想像させてくれました。
    過去から見れば今は選んだ1つの未来。
    今から見れば多くの未来から1つを選び続けるんだな。
    と、あたり前なことですが、深く思う(感じる)ことができました。

    ネタバレBOX

    子供の頃から8/6&戦争については毎年学習してきました。
    あの日のこと、戦争のことを一生忘れられない人がいっぱいいることを知りすぎて、
    全てを知ることはできないので、もう勘弁してください!!
    そんな思いで、観劇も極力そういう内容は避けてきました。
    しかし、この作品は「あ、なんか落ちてきた」と表現されることで抽象的に受け取れました。
    終演、暗い気分ではなく、光みたいなものも得られました(^^)
  • 満足度★★★

    贅沢な空間…場内の半分近くを舞台にし、客席も隣席との間隔を広くしゆったりとしている。この空間で心象劇のような世界観の広がりを持たせるようだ。何となく読み聞かせのような感じもする不思議な公演であった。
    (上演時間1時間30分弱)

    ネタバレBOX

    舞台は素舞台に近い。真ん中に真ちゅう棒のような物を立たせ、三角形の頂点のような所に台座の一部が繋がっている。登場人物によって台座が半円を描くように動かされる。台座に座るまたは寝ることによって、そこが自宅内であり病院内のベットの上といった情景をイメージさせる。場内はモノトーンで落ち着いた雰囲気に包まれている。衣装…色を感じさせない白い服は「過去」であり「死」、赤など色彩鮮やかな服は「現在」であり「生」を連想する。時の経過の中に生・死が淡々と描かれるようだ。

    物語の概要を記すのは難しい。公演タイトル「ムイカ」は広島への原爆投下の8月6日を表しているが、その投下によっての影響を感じることは出来ない。もちろん投下の是非を問うような説明もなく、ある家族の視点から断片的に語られる話。それが語りかけといった印象を持たせる。祖母が孫に地図を見せながら原爆投下地点を説明する。それは自宅が原爆地から離れており、原爆による影響を受けないこと。原爆被害のあまり好くない風評を気にしているような語りである。それは醒めた客観的な見方。

    物語は終戦から数年後と現在を往還するような展開で、明確に何かを訴えるという描き方ではない。どちらかと言えば、原爆投下の事実を家族(孫)に聞かせることによって、孫に考えさせるもの。それは孫への語り=観客への投げ掛けのようでもある。”8月6日”という日を回想する記憶の情景、その”思い”を想像させる。観客の想像する感性、情景によって世界観の広がりと深度が違ってくる心象劇である。

    その観せ方は抽象的であり自分の感覚に合わなかったのが残念であった。劇を通して、もう少し制作(劇団)側と観客が”思い”のキャッチボールをしても好いと思う。その意味でもっと伝えるべきことを明確に打ち出した方が良いのではないか。

    次回公演を楽しみにしております。
  • 満足度★★★★

    コンブリ団の名は中京地方で独自の活動を展開するジャブジャブサーキットの舞台に(少なくともここ10年は)ほぼ毎回出演している車イスの役者はしぐちしんの所属(主宰)劇団として目にしていた。どこかで公演情報を見て「ちゃんと活動してる劇団なんだ」と判ったが、主宰が作・演出を行なうらしい事以外ほぼ知識ゼロ。OMS戯曲賞作の上演、しかも初の東京公演というので観劇した。
    まずこの「初の東京公演」の、劇団の当人たちにとっての意味がもっと伝わって来たいと思った。のっけにこう言ってしまうと芝居単体では観客をねじ伏せられなかった、という側面が強調されそうだが、そう単純でもない。作る主体と舞台の内容との関係は切り離せないし、公演形態の選択も作品と不可分であったりする。つたなくとも「新人公演。応援よろしく!」でまとまる(それには価格も安くせねばだが)公演もある。地方から作品を引っ提げて大都市で公演を行なう場合、異文化との遭遇の機会という面がある。「才能発掘/アピール」という面も「成功」を夢見る向きには重要だろうが、(地方に限らずとも言えるが)演劇とは総合芸術であり作り手の固有の何かが結実するもの。「文化」は佇まいから漂って来るものだ。

    さて「ムイカ」は解説にある通り広島に原爆が落とされた8月6日を指すが、この舞台では生死を分ける「時」としての原爆投下を象徴として捉えながら、人生の選択の局面や、生へ向かおうとする精神の風景を描いたもののようだった。固有名を持つ人物が、居るのかいないのか(居るとすれば一人、衣裳でも違いが判る女性)、人物を軸としたストーリーが現実世界に着地するべく描かれたテキストではなく、象徴的なシーンの連なり・重なりから、あり得る様々な「現実」を観客の想念の中に見いださせる、そういうテキストになっている。
    終盤にイメージが集約していく流れがあり、照明が煌々と照って「現実」と地続きになるグランドゼロに上昇した所で、終幕、というまとめ方であった。ある事をギリギリまで語らず、結局語らない(だが観客の中に何かが生じる)、この「態度」が、この作品の評価の核になるのだろう。

    アフタートークがあった。名前をみれば土田英生、テイストが全く合わないな、と感じた通り、ズルズルなトークになっていた。京都の学生時代に「演劇」分野で世代がかぶっていて、土田氏のほうが先輩なのだとか(見た目や何かは逆なのだが・・)。

    ネタバレBOX

    芝居の難点。まず「ムイカ」の時間が短いこと。
    冒頭はしぐちしんの観客への語りから、他の人物らが登場し「(舞台側の)我々と(見ている)誰か」の関係をいじる遊び、そこから「ムイカ」の物語に移行していくのだが、観客・舞台の相対化と、本編との関係はさほどスムーズではない。もっともこれがコンブリ団の「言語」なのだとすれば、その完成度を上げてもらうしかないのだろうが、この問題は次の難点にも繋がる。
    即ち、役者の演技、あるいは演技態が、厳密な意味で確立されたものだろうか・・今少し強度が問われている、と感じた。この劇世界を成立させるための象徴的な場面を演じることと、感情の裏付けをしっかり持つこと(精度を高め、鋭く表現する)とが両立し得ないものとしてあるとしたら、少し淋しいように思う。たとえ「相対化」をやりきる事を旨とするのだとしても、またその流れで本編に入り「相対化」の演技から言葉のニュアンスが浮上して劇世界をやがて形作る、という目論見なのだとしても、(象徴的作りであるだけに)言葉・発語の「力」がもっと欲しいと感じる。メソッドの問題だろうか。
    はしぐちしん自身が登場する事は、テキストを体現するためには最良であり宛書きも入っているかも知れないが、テキストがより高みを目指している印象から、他の者に語らせる事を考えて良いのではないか・・と勝手ながら意見を持った次第。

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