三月の5日間 公演情報 三月の5日間」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★

    削ぎ落とされていかないものが
    僕らは、なんだか、「海外」に弱い。「海外公演」とか言われると、なんだか、すみませんという気になる。そして、下手に出たり、逆に上から見下ろしたり、なかなか、正常な高さから見ることが、出来なくなる。

    『三月の5日間』は、日本だけでなく「海外でも評価されている」作品だ。やっぱり、僕は、正常な高さをとりづらかったのかも、と、この、岡崎藝術座の上野・寄席公演を観て、思った。

    ネタバレBOX

    チェルフィッチュ版の『三月の5日間』は、なにもかもを、最終的には「舞台」や「役」といった根本部分にあるものまで、非常にシンプルに、舞台上から削ぎ落としていく。

    そこに、僕らは、今を見る。なんだか、強迫観念的に、「海外」を意識する日常を生きる僕らは、「日本」の部分を意識しながらも、無意識的に捨て去ろうとしながら生きているといえる。いつもどこか、「海外」に寄り添うときのよりどころとして、余計なものを持たないニュートラルさを求めている。『三月の5日間』には、そういう僕らを描いている側面が確かにあると思う。そしてそれは、舞台上から色々なものを削ぎ落として、非常にニュートラルなものを表現しようとする岡田利規さんの演出と、重なりあう。

    神里雄大さんの、上野版の舞台である「寄席」は、それこそ100パーセントの日本だ。どう頑張っても、そこからなにかを削ぎ落とすことなどできない、どこまでも「豊かな」空間で、「ニュートラルを目指す戯曲」に対して、正反対のベクトルを、戦わせる。

    上演されるのは、上下関係や人情といった、豊富な人間関係に溢れた、下町の演芸の世界。つまり、下町の芸人たちによって演じられ、通の寄席通いたちとの掛け合いによって作られる『三月の5日間』なのだ。

    それは当然、世界には通用しないだろう。しかしそこでは、オリジナル版では失われていたものが、取り戻されていく。もともと、この戯曲の持つ視点は、どこまでもニュートラルなもので、だからこそ、冷たい。コミュニケーションをかりそめにも行えない弱者は、次々と退場していって、顧みられることはない。

    上野版で、神里さんは、特に、ミッフィーちゃんに、手を差し伸べる(代わりに、ユッキーさんの「渋谷の非日常」のくだりは、かなりばっさり省略される)。彼女を救うのは、上野の、濃密な人間関係だ。それは、ヒエラルキーが目に見える形で存在する、自由のない世界かもしれないが、代わりにそこには、暖かさがある。ミッフィーちゃんは、寄席の客たちと、演芸界の大御所らしきパンダ男に救われる。ここで、僕は、じーんと来てしまった。

    オリジナル版で、ミッフィーちゃんを放置したものには、僕らの行う、なんというか、密度を薄くした、内容よりも、行為自体に重きのあるコミュニケーションがある。チェルフィッチュ版で、二人以上で舞台にあがった語り手たちは、「うん」「そうなんだ」と相づちを打ちあうが、そこには、実体的なやりとりは存在していない。上野で公演を行う芸人たちは、基本、コンビだ。かれらのやりとりは、常に相方と行われて、さらに、客席からのかけ声で補強される。密度がある。

    そこには、ニュートラルでないが故の、内輪な排他性も感じられる。演出自体、一度意図がわかってしまえばそれで十分なものが、繰り返し使われるなど、荒削りで雑な部分が多々ある。それでも僕は、この、夏の日にきな臭さを運ぶゲリラ雷雨のように、あっという間に駆け抜けたこの岡崎藝術座の公演を、なんだかんだいってとても楽しんだ。それは「海外」を意識しない、貴重な時間でもあったのだった。
  • 満足度★★★★

    確かに上野だった
    そこは渋谷でも六本木でもなく上野でした。自分にとってはチェルフィッチュ版よりしっくり来るし居心地がよいのは、上野や下町が好きだからだと思う。
    とりあえず、開場とともに、なんか始まってるっぽいので早めにいった方がよさげです。

  • 満足度★★

    内輪で、ローカルな。小田急の3日間。
    演劇というより、パフォーマンスだと思った。それはいい。

    「演劇」という枠組みの中で、その枠組み自体を解体/批評したチェルフィッチュの作品を、演劇の枠組み自体を取っ払って、独自の強力な誤読を押し通してしまった力技の公演。

    「観た」というより、「体験」した、という感じで、それは、確かに楽しいのだけれど、納得できない(ごめんなさい)。というのは、『三月の5日間』は、きっかけでしかなくて、途中から、俳優が何をしゃべっているのかという、戯曲の内容の部分がないがしろにされて、演出家が何をしているのかという、仕掛けの部分だけをみせられているような気分になったから。

    これなら、『三月の5日間』をネタにしたパロディの作品を、新作でやるべきだ、と、思った。

    ネタバレBOX

    チェルフィッチュ版の振り付けが、段々誇張されて劇的になるにつれて、自転車、バイク、車、と、舞台上に登場する乗り物もランクアップ。本物の車の登場にびっくりしていると、休憩のところで、観客が、劇場の外へ追い出されて、劇場前の路上の、人が行き来し、車がびゅんびゅん通る前での上演に切り替わる。

    演出の神里雄大さんの、「新百合の町を観て欲しかった」という言葉どおり、もう、この時点で、演劇どころではなくなった。僕らの前では、もとの姿の欠片もない、限りなく劇的に演じられる、なんだかわけのわからない、『三月の5日間』らしきものが進行するのだけれど、目に入るのは、演劇が路上で上演されていても、意外に無関心に人が通り過ぎて行く、小田急の、開発途上の、人工的な新興住宅地の方だ。

    ここには、神里さんの、岡田利規さんへの挑戦がある。神里さんは、『三月の5日間』を、「オシャレな場所」の作品として、読んだ。六本木や、代官山や、渋谷が、体感レベルで登場する作品として、だ。そして、そんなイケてる世界へのルサンチマンを爆発させて、オシャレな作品を、「新百合ケ丘」という、行き着く先がよみうりランドや小田原という、アクセスが悪いわけではないのに、どこかローカルな、無理してる、小田急沿線の新興住宅地(そして、神里さんの地元)に持って行くことで、解体して、破壊してしまう。オシャレなはずの作品が、ローカルな町に、負ける。

    なんというか、すごい、私怨のエネルギー。神里さんは、あえて、玉砕するのだ。

    面白いとは思うけれど、やっぱり、納得できない部分がある。それは、神里さんが、『三月の5日間』を、その書かれている内容の部分を、観客が、知っていることを前提として、雑に扱っているからだ。自分があえて誤読した、作品中のごく一部以外の文脈を、存在しないもののように、ほとんど無視。これでは、チェルフィッチュ版や、演劇業界の流れを知らないと、まるでついていけないと思う。ローカルな土地が、ローカルな業界と、重なってしまっているのだ。なんというか、業界の有名なおもちゃで、自分勝手に遊ぶ、演劇ファンの、内輪受けのように感じてしまった。

    オリジナルの『三月の5日間』という作品は、まったく演劇を知らない人を、取り込むだけの、射程の広さがあった。けれども、今回の演出は、観客を、舞台の外へ追い出しておきながら、実は、演劇業界の内側だけしか、みていないように、思った。道行く人の、冷ややかな視線が、全てを物語っていたのかも。渋谷は、東京を、日本を、象徴することができたけれど、残念ながら、新百合ケ丘は、こういうやり方では、演劇業界の狭さを象徴することしかできなかった。

    『三月の5日間』は、ネタでしかない。権威ある作品を、ネタにすることで、批評となっている、というわけでもない。ただ、自分のやりたいことを、ネタを使って、やっているのだ。それなら、オリジナル作品で、勝負して欲しかった。『三月の5日間』を、きっかけとして、その中でネタにしたりして。今回は、メジャーな、他人の作品を選ぶことで、逆に、内輪感が出てしまって、輪郭が、ぼやけてしまっていると、そう、思った。
  • 初観劇
    マチネを観劇。異なる劇場(空間)で、どういう演出・表現になるのか、上野公演も観たいと思わせてくれる舞台でした!

    ネタバレBOX

    ソワレもマチネと同じように客席移動があるとしたら(あるよね多分)ソワレも体験してみたい。自転車→バイク→車の使い方が面白かった! 
  • 満足度★★★★★

    爆笑!
    土曜日昼。数少ないトークのない回になってしまったけど、しばらく前からチラシを見て気になってしょうがなかった公演。
    岡田利規の脚本をどう演出するのか。チェルフィッチュと同じ演出をしたら見る価値はないわけで。でも、そんな不安を吹き飛ばす圧倒的なパワーがありました!
    最初男が客席後方から現れて独白を始めて。変なポーズを繰り返して「チェルフィッチュじゃん!」とおもったけど、次第に戯曲をそのまま大切にしつつ、全く異なる方向へ飛んで行ってしまう。

    いやー「三月の5日間」でこんな笑うとは思わなかった!
    次の上野も見に行くので、何をやらかしてくれるやら。。。

    大好きな劇団がまたひとつ増えてしまった。

    ネタバレBOX

    前半、モロ岡田演出的な動きが始まるのだけど、だんだん動きが大きくなっていって、過剰すぎるおおげさな動きに爆笑!
    岡田演出で遊んでる感じが好き。

    ミッフィーちゃんのブログでの独白ではミラーボールが回ります。すごい早口セリフで感情的な言葉をポンポンと吐いてゆきます。

    途中、オリジナルでは10分休憩が入るところで客は劇場外に出されます。劇場正面入り口の階段を客席とした野外演劇に移ります。そのとき役者さんがなんとか間を持たそうと喋るユルさが好き。
    暑いので、水を配って、霧吹きを撒いてくれます。

    そして後半戦。
    車がやってきて始まります。
    オペラになったり、もう楽しく遊んでます。
    もうこの時は過剰な演技も素直に受け止めて笑えるようになっているのだけど、回りの静止を聞かずに入ってきたサラリーマンの独白が無駄にすごい熱の入りようで大爆笑!
    休憩前に言っていた「鈴木さんの話」がこれでした。

    で、そこで役者さんから「では皆さん中にお戻りください。今こうしている間も中で役者が演技を続けてますんで」って。
    中に入ると、確かに、今外で演じられた安井くうが鈴木さんに怒られたシーンが、割とチェルフィッチュっぽく演じられていました。この落差がまた気持ちよいんです。

    でも、緞帳は降りていて、その前で演技を続けるふたり。終わると、しばらくして緞帳が開きます。そこには中央に車があって、他の出演者が全ていて思い思いの動きをしていて、で、芝居の最初に出てきたメガネの男性が全裸でポリバケツにうんこ座りして後ろ向きに座ってます!
    首だけ客席に向けつつマイク片手に最後のダイアローグを吐き出して終わります。結構長いので、チラチラと見たくないものがブラブラと目に入ってしまう。。。

    いやー、バカでした!
    こんな「三月の5日間」想像もしてませんでした!
    演劇ファン必見!
  • 脚本に忠実でイカした演出
    面白かったです。刺激が強いので、できたら夜の公演を見たかったかも…。

  • 満足度★★★★★

    台詞がすごく支配的なんだけど、
    仕掛けが戯曲のそれを超えた瞬間から作品として大きく独歩。その方向性と意外性はかなり面白く、チェルフィッチュ関係なく必見かも。88分。

    ネタバレBOX

    元々の作品では役者の力量に因るところが大きいスタイルも別のアプローチが見事なくらいハマってる。仕掛けも含め、これらが戯曲を読み深めて、場を意識した結果、ちゃんと理由づけられて導き出されているところがまた奥深い。いや表現方法は全然おバカな感じなんだけど…(^_^;)

    新百合ヶ丘でやったことはそのまま上野には持って行けない(それは観てみたらあまりに納得)そうなので、まずはある種成功とも言うべきこの新百合ヶ丘での公演はいろんな人に観てもらいたい気がする。そして上野ではどんな表現方法を見せてくれるのかがすごく気かがりでもある。






    最初、技量も追っつかないのにまんまのスタイルで始めちゃったときにはどうしようかと思っちゃったよ~^^;;

    (ネタバレ追加)
    新百合ヶ丘Ver.の一番の特徴は途中休憩の後、劇場の外に客を連れ出して、新百合ヶ丘の街を見せながら続きを上演したことである。車も行き交う街の雑踏の中では劇場内と同じような語り口だと台詞も聞こえない。大きくなる声、大きくなる動きは必然と共に生まれ出てくる。それが過剰すぎたりミュージカルにまで発展する様にはあまりに馬鹿馬鹿しく、それがまた可笑しくもあり、違う感覚で違う芝居を観ているよう。劇場の中でチェルフィッチュの模倣のようなスタイルが徐々に表現法が大きくなっていくのはここに繋がってくるためだったか。

    また神里演出は"帰る"ということに注目をしていた。
    初日の金曜の夜はまさに新百合ヶ丘の駅から家路につく人々の前で渋谷の街から逆行してホテルに帰るシーンを演じる。同じように坂を上って帰るのにその道程の違い、そしてリアルに帰る人々がわずかに気にしつつも、でも足を止めない様子は芝居とのギャップもあってとても興味深く、舞台の背景として見事に成立してたのである。
  • 満足度★★★★

    バカすぎる。そして素敵すぎる。
    前半部のモノのたたみかけや、ミッフィーの語りの引力も魅せてくれますが、全てをひっくり返してからが素敵。

    ネタバレBOX

    街が演劇と出会う瞬間が感動的で、笑えます。雨の中で、観てみたいなぁと。

    出演者によると、観客が外にいる間、中の二人もずーっと並行してやってるそうです。バカすぎる(笑)

このページのQRコードです。

拡大