なべげん太宰まつり『逃げろセリヌンティウス』 公演情報 なべげん太宰まつり『逃げろセリヌンティウス』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
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  • 実演鑑賞

    5月連休のナベゲン祭りの最後は満を持して畑澤聖悟作の新作で「走れメロス」をベースにした物語。5月6日までスズナリ。そのあと青森。

    https://kawahira.cocolog-nifty.com/fringe/2025/05/post-5d20cf.html

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/05/06 (火) 13:00

    ”教科書的出来過ぎキャラ”オンパレードの原作よりもはるかに人間臭い作品だった。
    畑澤氏の前説で青森県と太宰治の強い絆(?)や「走れメロス」の元ネタの話などが
    語られ、とても興味深かった。いやー今さら、そうだったのか青森県と太宰治!

    ネタバレBOX

    開演前の舞台を見ると正面に十字架が掲げられ、その下に今風のギターがある。
    なんでギター?と思っていたら、全編を通して大活躍だった。

    妹の結婚準備の買い物に来た町で、「王様は自分の身内や側近を次々に殺している」と耳にして「成敗しなくちゃ」と立ち上がるメロス。
    案の定捕らえられて処刑されるという段になって「妹の結婚式のために3日間だけ時間を下さい!代わりに親友のセリヌンティウスを牢屋に入れといて!必ず戻りますから!」とトンデモ提案、いい迷惑なセリヌンティウスもまたこれを受け容れて・・・いい人過ぎるだろ!

    というおなじみの展開だが、舞台では牢獄のセリヌンティウスと悪徳王ディオニスとの
    濃密な会話がメインだ。セリヌンティウスを助けようと手を差し伸べる人々に
    「メロスは必ず戻ってくる!」と脱獄を拒否するセリヌンティウス。
    メロスの帰還を阻止しようと企むディオニス王は、セリヌンティウスを処刑し、間に合わなかったメロスが、自分を殺害してくれることを願っている。
    この屈折した心理は王が密かに詩を書いているからであり、”詩人として世に認められたい”という切なる望みから来ている。
    ”真の悲劇は、自分が殺されて初めて完成する”と信じているのだ。こじらせ詩人!

    結果、メロスは裸でゴールイン!間に合ってセリヌンティウスと抱き合って喜ぶ。
    王は二人を赦し、国民は王を称えて万歳。
    あー、なのにこの作品では意外な結末。あっけなく王は殺されてしまうのだ。

    くるくるとメロス役が入れ替わりながら怒涛の台詞が紡がれたり、
    あのギターがドンピシャのタイミングでBGMをかき鳴らし、全員が歌って踊るミュージカル調になったり、テンポ良くきゅっと引き締まった90分。
    何気に軽~く訛っているところが好き。
    段ボールに描いたイラストが素朴に巧くて出て来る度に笑ってしまう。

    刺された王が最期に満足気な微笑を浮かべるところが、最も彼の人間味を感じさせる場面だった。
    演じる三上陽永さんの繊細な表情と台詞が、屈折した王の多面性を自然に見せて素晴らしい。
    「真の正直者などいるはずがない」と言う猜疑心の塊の王が、実は最も正直だったのではないか。
    原作とは違うエンディングがその彼の孤独と苦悩を際立たせていて、教科書のハッピーエンド「走れメロス」よりもずっと深い余韻が残った。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/05/05 (月) 14:00

    座席1階

    渡辺源四郎商店、なべげん主宰の畑澤聖悟の前説で、劇団所在地の青森は太宰治を観光資源にしているという話があった。その太宰で一番知られているのは「走れメロス」。なにせ教科書に採用され続けているから子どもたちも皆知っている。本作は走れメロスの面白さを最大限生かしながら、大胆に翻案した興味深い作品だ。

    タイトルにもあるように、本作はメロスの親友セリヌンティウスにスポットを当てている。妹の結婚式を終えたら必ず処刑場に戻ってくると、メロスが人質として差し出したセリヌンティウスは親友の言葉を信じている。だが、人を信じられないという性根を持つディオニス王は、メロスが約束の日没まで帰って来られないよう、さまざまな妨害工作を繰り広げる。
    ギター演奏も含め7人の俳優が、回転ドアのようにさまざまな役を演じていくアップテンポの演出はとても気持ちがいい。さて、メロスは間に合うのか、と舞台を見つめていると、想定外のラストシーンが待っていた。

    あちこちの劇団に名作を書き下ろしている畑澤。年に一度は東京で舞台を行うことにしているといい、今作は大型連休中のスズナリを沸かせている。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ナベ源劇団員の顔をやはり拝むべし。と本作を観劇。(高校生による「駈込み訴え」の一日公演もかなり気になっており、予定を賢く組み替えれば観られたと悔いたが気を取り直し..。)

    さてこちらは「走れメロス」の翻案らしいとは想像されたが、実に巧い・・と観ながら感じ入っていた(「走れメロス」を骨抜きにせず生かしながらも大胆な翻案になっている)。
    パロディ要素がある故、自然笑いもそこここに入って来るが、個人的には胸熱である。ナベ源特有の簡素な、高校演劇仕込みの機能性重視の舞台で「感情移入」へのハードルが元々ある所、原作の精神が畑澤氏の走らすペンに乗り移ったかのような饒舌振り。青森と言えば「太宰」、だから太宰まつり、と前説で紹介されて気づいた事であったが、何という事もないその企画背景に妙に心くすぐられている自分がいた。
    お薦め、と敢えて書いておく。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    『走れメロス』でメロスの代わりに人質となったセリヌンティウス。彼が捕らえられた牢獄に何故かディオニス王が足を運ぶ。

    セリヌンティウス役、工藤良平氏はサンボマスター風味。
    ディオニス王には三上陽永氏。
    牢獄の中に現れる謎の女神(三津谷友香さん)。セリヌンティウスにしか見聞きは出来ない。
    小舘史(ひとし)氏は山田恵一や鈴木桂治、新極真の鈴木国博、ジュニオール・ドス・サントスを思わせる格闘家顔。

    小道具のイラストが大活躍。

    ネタバレBOX

    何かあんま面白くなかったかな。青森中央高校演劇部『駈込み訴え』と方法論は同じ。『走れメロス』と同時進行でもう一つの物語が進行していく。メロス抜きでどうやってこの話を組み立てるのかと思ったが前述作のユダのように複数で代わる代わる演じる仕掛け。
    主人公はディオニス王(三上陽永氏)。憎むべき暴君の圧政者が実は詩を愛しギリシア悲劇に憧れる文学青年だった。国を守る為、軍人として蹶起し国家元首となる。(カダフィ大佐のイメージ)。早くに両親を亡くし、妹を溺愛していた。だが信頼していたどいつもこいつも平気で裏切る。誰も彼もが俺を殺して権力を奪おうとする。とにかく殺戮するしかなかった。見せしめに殺す。殺す。殺す。最愛の妹でさえも川で溺死させた。民衆に恐怖と暴力を印象付け、怯えさせるしか統治の方法がなかった。本当はもうこんな権力ごっこ、真っ平御免。美しく悲劇の中で死にたかった。

    死んだ妹は川の底、水の祠で目を覚ます。大蛇になった気がしたが私は鮒になっていた。(太宰治の『魚服記』)。この場面の三津谷友香さんが印象的、今作の核。

    メロス・パートがつまらないのが沈滞の一因か。一応メロスの話に観客を引き込まないと話が盛り上がらない。セリヌンティウスの存在に意味がないのも問題。『走れメロス』のツッコミでしかない。(メロスが妹への愛から短刀を入手していた説は面白い)。

    『走れメロス』の昂揚は限界を超えて無私の精神に至り、個人を超越した大義なものを証明する行動に皆が興奮を覚える話。何だか分からないものに衝き動かされて人間は生きているのだと、理屈を超えた本能の行動。だが今作はその裏面。ディオニス王は間に合わなかったとセリヌンティウスを処刑し、激昂したメロスに己を殺させようとした。それでこそ悲劇が完遂する。
    だがセリヌンティウスの助言により、『走れメロス』のまんまの感動的大団円。(何故、それを呑んだのかは疑問。作品内では語られない)。

    エピローグ、妾にした身分の卑しい使用人(三津谷友香さん)が産んだ息子(音喜多咲子さん)によってメロスの短刀で暗殺されるディオニス王。使用人は亡き妹となって「貴方の本当の願いを叶えてあげた」と微笑む。

    佐山聡が率いた頃の第一次UWFは「シューティング」という隠語を大々的に使った。元々はプロレスの「work(仕事)」に対しての「shoot(撃つ)」、相手に真剣勝負を仕掛ける意味。(その名は後に修斗という総合格闘技団体になる)。よりプロレスを競技化していこうというムーヴメントの中、老舗のプロレス団体社長、ジャイアント馬場はインタビューでこう言う。「UWFの選手はシューティングがプロレスを超えたものだと思っているのだろう。俺はシューティングを超えたものがプロレスなんだと思うんだよ」。

    「友情」と「人間不信」、一周回ってそれを超えたものが「友情」となる。

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