満足度★★★★
神様…のみ
なかなか都合がつかず、大阪の複数の友人が絶賛していた「神様それではひどいなり」の1作品だけしか観られませんでした。しかしこれは噂通り秀作。さすが石原さん。
満足度★★★★★
日曜日よりの使者
なんとか10作品すべて観る事が出来ました・・。
一番ほっとしているのは、主宰でしょうが、
自分もまた10作品を突き抜けられたことに安堵しました(笑
10作品を通して観て、
NMSの珠玉の作品群の素晴らしさが、非常によく分かりました。
どの作品も、懐かしくて優しく、
瑞々しくて豊かで、人情味があり、
中崎町から天六あたりの、
路地裏や軒下から湧き上がるみたいな、
色鮮やかな香気が溢れていました(笑
これらの作品、すべて約1時間で作られている・・ということは、
どういうことか?というと・・・
当たり前のようですが、入場してから1時間かそこらで街へ出る、ということで、
これが2時間だったら、昼下がりにコモンカフェに入ったなら、
外に出て、商店街を抜けて天六に差し掛かるころには
中崎町のほうにはもう夕暮れが差し掛かって見える頃でしょう。
でも、1時間なら、きっと、中に入った時と、
それほど変わらない時間が、まだ外の街に流れていることでしょう。
・・・・・ということで、
街から、ふっと、夢の世界に入って、すぐまた戻る、
みたいな。
そんな、街と地続きな夢の時間が持てる、
ということ。
自分は思うのだけれど、
これらの上演作品、そのどれもが、
作家さんたちが、もっと出演者を増やし、世界にちょっと息を吹き込んでふくらませば、
簡単に1時間半~2時間弱の本にする事が可能だと思う。
石原氏は、それをさせなかった。
それは、多人数の劇団の公演をわざわざ見に来る、というよりも、
とある待角の、
地下に住んでいるちょっと変わった(けれどいかがわしくない(笑)
友達の家にふらっと遊びに来る、
・・・みたいな気持ちで、ぶらっと、
街と地続きな演劇と出逢ってほしい、と思ってるからなんじゃないかな、と、
自分は思ってみたりするのです(笑
1時間なので、筋はそこまで複雑にはできないし、
群像劇でもなく、
世の中をすべてみわったすには、まだ遠いかもしれない・・。
賞を取る道を、あえて捨ててるようにも見えなくもない(苦笑
それでも、上演作品のどれもが、
石原氏と、石原氏とマッチアップする役者さんたちの、
向かい合って打ち合う遊び心の応酬によって、
ふくらみ、飛び跳ね、弾け、時にはまわったり踊ったりして(笑
素晴らしい色を、自分の胸に届けてくれるのを感じました。
(二人ということは、相手の呼吸さえわかっていれば
飛び跳ねて自由に動けるということでもあるのです)
自分は、これら10作品を通して、
技巧的に洗練された芸術作品というよりずっと、
多くの人間の心に出逢えたと強く感じました。
そしてそれは、自分が演劇作品に求めるものでもあるのです。
この作品を提供してくれた石原氏やスタッフは勿論、
上演に協力してくれたアゴラにも感謝します。
・・そして、これらの作品は、
正直な所、傑出した作品が人知れず?湯水のごとく湧き出る青年団周辺において、
最も足りないものは何なのかを指し示してくれている作品群でもあるようにも
思うのです(苦笑
・・ちなみに最後に観たのは千秋楽の「日曜日よりの使者」で、
その前に「神さまそれではひどいなり」を見ましたが、
そのコメントはまたあとで書きます(汗
満足度★★★★★
日曜日よりの使者
10作品もあると言うのに、私が見ることのできたのは最終日の「日曜日よりの使者」のみでした。残念。
もっと早く気付けばよかったのですが、全く知らなかったのです。
でも、最終日の一作品だけでも見ることができてよかったです。
石原さんの演劇に対する思い、情熱が伝わってきました。
台詞を言ってお芝居しているのは二人だけなのに、すごく広がりを感じる作品でした。
最後は、ジーンとしました。
そして、楽しかったのは……
満足度★★★★★
演劇愛あふれる
東京公演は12日間で、26ステージ。10作品連続公演で、全部の公演に石原正一+ゲストの2人が出演する形で上演された。関西の気鋭の作家10人の、「1時間の2人芝居」で「公演タイトルが曲名から取ること」以外は自由という内容。音楽に疎い僕は、ハイロウズとスピッツしかわかりませんでしたが…。毎日のように、初日→(中日→)千秋楽がやってくる怒涛のスケジュール。こんな(演者にとって)すさまじい演劇祭を堪能することが出来て幸運だ。唯一、SUNDAYだけは前身の世界一団時代からのファンであったものの、関西の小劇場で活躍する劇作家の作品に触れる機会は少なかったのでそれも嬉しい。でも、なるだけ観ようと位にしか思っていなかったが気付けば、9作品見ていた(あと、1つだったのに…)。何よりの魅力は、もう石原正一としか言えない。役柄も設定も世界観も何もかも違う作品の中で、石原正一というキャラクターが物語に溶け込んでいるように見える。その人柄が愛しかった。アフタートークでお話されていたが、そとばこまち時代からこういう無茶な事をやっていたとの事。膨大な台詞と段取りを覚えて、汗をかいて、肉体を酷使して、それでもカーテンコールで疲弊しながら笑顔で挨拶している姿を見て、演劇好きじゃなきゃ出来ないよなぁ、カッチョイイなぁと思いました。
満足度★★★★
すごく楽しめた70分
石原正一さんは、疲れ気味ながらも、イケメン風な男性と、なかなかみることのできない、女装姿の二役を演じたのはすごかったし、照明や演出の使い方も、なかなかよかったです。
満足度★★★★★
林檎
「幸福論」と言えば、椎名・・と思ったら、石原氏はなぜか福山と言う。
(脚本家は前者)
・・なるほど、それは化学反応して、素晴らしい作品になるわけだ(笑
福山+林檎・・?
ポップ(というほどのポップでなし?)にあまり明るくない気がする自分
(・・でも、昨夜観たRAZIKAはかなりポップ(ベルゲンの、だけど)だったなぁ・・)
でも、これはなかなか、と思ってしまう。
自分は、初演は観てないのだけど、
相方の役者さんは、自分が以前から大好きな岸潤一郎さん・・。
石原正一ショーでは、「ボーボボボ坊っちゃん」で以前出てたなぁ・・たしか。
端役とかじゃなくて、もっと堂々とした主役で、
あの味が観たくてたまらないのですが、
この2人芝居では、
岸氏の独特な雰囲気がしっかりと間近で見られて、
なかなか楽しめました。
先週観たのですが、
きょうも休みが取れたので、
これから、もう一回アゴラに観てこようかと・・。
観てきた、でかつ観たいでもあります。
脚本家の方は、以前から、暗闇の漁村の風景などを描くのが非常にうまくて
(巧み、というよりかは、パラ定に、ずっしり感があるところが、ちょっとだけ似てる気がします)
以前から気になってた方。
この風変りな男役者二人に、合わせたかの様な、
・・いや、違うな、むしろ二人が作者の世界に寄り添ったかのような。
不思議な三者三様の色が舞台の上で混じり合うのを見るのは、
なかなか素晴らしくもあり。
男子はほっておくと、軽くなって風船みたくとんでっちゃうから、
あんな重りみたいな作品で地面にくくりつけられて、
それでも風に揺れて、苦しみ、動き、ぶつかり、
やがて自分だけの世界をそこに見付けだすさまを眺めているのは、
なかなかに眩い体験でもあり・・(苦笑
満足度★★★★
スピカ
短編ながらこった構成。このシリーズ中では一番好み。初見の丹羽実麻子ははまり役。役と本人が同居するような、不思議な存在感が出ていて、印象に残った。
満足度★★★★★
ビートルとスピカ
きょうは
『スピカ』
『宇宙のファンタジー』
両方とも、東京公演の初日でした。
スピカは、スピッツの曲で、
スピッツと言えば・・ハチミツとか群青とかが思い浮かびそうな気がするのですが、
そこをスピカにするのが、
妙にこのロードムービーに合っている気もして(笑
そして、港区(とはいっても、東京でなく大阪の)という地名を聴いただけで、
自分はもう、何年かまえに、
吟遊詩人というお店がまだ弁天町の昔の汽船会社の建物のなかにあったころ、
ライブを観るため、駅からの行き帰りにてくてくと人気のない倉庫街を歩きながら、
見上げたときの夜空の星たちの瞬きを、
思い返したりもしたのです(笑
その大阪の港区から始まった、
冴えない男の、ビートル(車)とスピカとの旅は、
錆びつきつつも心ときめいて、
今まで自分は人前で演技をしたいと思ったことなどほとんどなかったのですが、
今回は石原氏扮する冴えない郵便局員の役柄が、
素直に羨ましいと思えたのです(苦笑
満足度★★★★
アイ・アム・ウェイティング・フォー・ザ・マン
「ゴドーを待ちながら」は観たことない。「見にこなきゃ良かった?」「いいところまできてる」「一人でいるときは大抵空しい」ってのが何故か印象深い。
今回の企画のチラシ(過去チラシの総集)は、どのデザインも素敵だ。
満足度★★★★★
現在6本目・・
今のところ
3/21
『グレープフルーツムーン』
『踊る赤ちゃん人間』
3/23
『紛れて誰を言え』
3/24
『アイ・アム・ウェイティング・フォー・ザ・マン』
『幸福論』
3/27
『元少年の歌』
を観ました・・。
ラストまで、石原氏ともども自分も走り抜けられるか・・(笑
『元少年の歌』
は、2年前に自分も大阪まで観に行きました。
コモンカフェで石原氏が上演した舞台を最初に観た(カフェ上演自体初めてだったのかな・・)思い出深い舞台です。
観客席も、やっぱり大阪ということもあり、
東京に比べてずっとぎゅうぎゅうで、
自分も右端の席に窮屈そうに座って観たのを、
今でもよく覚えてます(笑
今回、2年ぶりに東京で再演を観てみて、
物語の隅から隅まで、
役者二人の演技の端から端まで、
味とか哀愁とか、男同士の友情みたいなものが漲っていて、
改めて素晴らしい舞台だと感じました。
27日はこの演目一つきりで、
この演目の東京での千秋楽でもあることもあってか、
石原さんのとび蹴りにも力がこもっているようで(笑
なかなか見応えがありました。
また、2年前に大阪公演で観ていたからこそ、
今東京でこれだけ楽しめたのかな、
とも思い、ちょっと得したような気がしました(笑
ふだんは、自分も「この公演を観てきた・・」というような自慢めいたことは
思うことも言うことも全くないのですが、
・・この公演だけは、ちょっと自慢したくもなりました(笑
物語は、一見『元』少年たちの単純なやり取りのようでいて、
芯まで中年男の優しさとか、温かさとかが通っていて、
演技や物語の遊びが溢れていて、
石原さんと福山さんの「らしさ」が詰まった
素晴らしい傑作のように自分には感じられるのです。
2年前に観た舞台の物語が頭に入ったうえで、
今いちど、一瞬一瞬の表情をとらえたとき、
二人の演技の素晴らしさが改めて感じられました。
生でこの演技を間近で見られて自分は幸せだと思いました。
この公演を東京で見逃した方は大阪まで観に行くだけの価値が十分にあると自分は思います。
・・2年前の自分がそうしたように(苦笑
自分は、2年前に観たときより、今の方が、もっと舞台を好きになっていることに
気付きました。
きっと年とともに舞台も自分も成長したのかもしれません(笑
今回この公演を観た方は、
どうかお願いですから、
何年かしてこの舞台が再演したとき、
また観に行ってほしいです(こんなお願いを書くのは自分も初めてです(苦笑
きっと、もっとこの物語と、この2人の中年男の優しさが
分かるようになっていると思います。
この2年のあいだに、自分は父親を亡くしました。
入院してすぐ、父親の命はあと一週間と言われました。
その当時の職場の人たちはそう言っても、死ぬまで誰も気にもしませんでした。
社会というのはそういうもので、自分たちが忙しいと、
「父親の命があと一週間だと言われたので、病院の面会に行くため少し早く帰りたい」
と言っても、忙しいとみんなそんなドラマみたいな話は、最初から聴かなかったフリをするのです(そして死んだあとで初めて聞いたような顔をする。「・・いや、だから一週間で死ぬって言われたって言いましたよね。1年って言ったわけじゃないんですよ」って、素で言った記憶が。・・ああ、人間と言うのはこんなに残酷なものなんだな、と、改めて感じました。自分はその前年同僚の父親が死んだとき何も言わずに仕事手伝ったのにねぇ・・って、珍しく愚痴です、スミマセン(汗 )・・なので、残業が終わってから、病院の面会時間が過ぎていても諦めずに頼み込んでこっそり入れてもらって(さすがに向こうも人間なので一週間の命の患者の面会を断れない)
母親と死ぬまで、それでも毎日面会に行きました(なんとか必死に
父親は頑張って、年末年始の忙しい時期を生き延びて、
その後一週間ではなく1か月生きました。※
「体はもう死んでいる」と、医者には言われましたが、
それでも死ぬ前には、自分と母親の前に戻ってきてくれた(苦笑
自分の周りで、余命いくばくかと言われ、死んだ人たちと同じように、
オヤジも決して怖いと言って泣いたりしなかった。
明るく笑って死んだ。
その光景が心に残っているから、
きっとこの物語がよけいに心にしみるんだと思います(笑
人生は悲しいことや苦しいことばかりだけれど、
こんな舞台に思いがけず出会い、
一緒に成長しているような気になると、
まだ何か光みたいなものがどこかに残っているんじゃないかと、
そんな気になったりもします(笑
※・・あとで母親から、
「子どもが今は忙しいから、頑張ってもう少し生きて」
と、カレンダーを手に、オヤジの耳元で囁いたのだと聞いた。
その時自分は、いくら苦しくても、生きることが愛なのだと知った。
父親は成人の日の朝死んで、その時、お袋は
「(あと1週間でお袋の誕生日だった)・・私の誕生日までは生きてくれなかったのね」
と、少し寂しそうに、でも少し誇らしそうに・・言っていたなぁ・・(苦笑
・・そう、生きることが愛なのです。
それは、あまりにも単純で、ただ、この世に、「真実」とでも言うものがあるのだとしたら・・
(ふだんはそんな偉そうなコトバ絶対使いませんが)
これこそが、真実のように、自分には感じられます。
(昆虫のように(そういっては昆虫に失礼かもしれませんが)ただ生きるというのではなく
人の心にも生き続けるという意味で)
それはどんな人にも、神さまから等しく与えられたもので、
ただ不幸なことに、
今は、そのことを忘れた人が多すぎる・・(苦笑
ただ、だれも言わないからと言って、
大事でないわけではない。
僕が、変わり者の役者や役柄を好むのも
そういうところから来るのかもしれません・・(笑
(思えば落語には変わり者がいっぱい出てくる)
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ちなみに、『紛れて誰を言え』は、美容整形の話だったのですが、
観劇してた男性客など結構みんな気軽に笑ってたのですが、
自分も観ていて気づいたのですが、
これだけ整形が一般的になると
なかなか笑い事ではない気がして、
なかなか根が深い問題だよなぁ・・と、
思ったりしました。
・・考えてみれば、女の子たち(ここでは女性とは言わずに、
高校生から20代前半くらいの、わりと若い女の子たちをイメージしてみます)
が、しばらく見かけないなぁ・・と、思ったら、
化粧とかというレベルではなく顔が少し変わっていて・・(気のせいじゃないよな・・(汗
なんてことは、世間ではわりとよく見かけるように思います・・。
そういうのには、男性より女の子たち同士の方がよほど敏感で、
自分たち男性(以前から気づいていたのですが、男性のほとんどの目はこういうとき節穴に近いように自分には思われる)には到底気付きえない小さな変化も、
彼女たちはけっして見逃さないのです・・(汗
そうして整形した(と思われる)女の子たちは、最初のうちこそ、
内面に見える変化はそうないのですが、
1~2年ほどたつと、すっかり別人のようになってたりします
(もっとも、最初から内面に変化はなく、自分が見逃してただけなのかもしれませんが・・)
別に性格が良くなるとか悪くなるとかではなく、
雰囲気というか、うまく説明できないですが、世間慣れするとでも言えばいいんでしょうか・・・?
(逆にそうした女の子たちに囲まれても
自分のことを見失わずに堪えて頑張っている女の子などを見かけると、
素直に応援したいなぁ、という気持ちになったりもするのです
・・別に整形が悪いというのではないのですが、
整形している人が割といるなかで整形しないで頑張るということは、
それはそれで、世の男性たちはきっちりと見極めて、
好きとか嫌いとかではなく、同じ人間として芯を持っているな、と、もっと評価して良いように思われます・・)
そうした事象のいくつかを、第三者の立場から観察してみたりすると、
なかなか、整形と言うのは、複雑な問題なのカナ?
とか、思ったりもするのです。
整形というのは、外見の問題だけでなく、
心の弱さ、というか傷つきやすさと関わってくる
(場合が多い・・あくまで全てそうだとは思ってないですが・・(苦笑
ように、自分には感じられます。
それなので、一概に「悪いこと」だと決めつけて人を苦しめたりすることは、
整形してない人にも、そうしたコンプレックスを軽視することとして
軽蔑されかねないことのように、自分には感じられたりもするのです。
(もちろん想像力のある男性にもですが・・)
物語の台詞のいくつかは、笑いのオブラートに包まれてはいますが、
非常に本質的なもののようにも思われます。
なかなか考えさせられる良い舞台だったな、と思えたりしました。
満足度★★★
グレープフルーツ・ムーン
ずいぶんとべたな作品と思ってみていたが、前半の雰囲気に身を浸して味わうことが本作の神髄だなあと、終盤になってから気づいた。最初は状況設定が分かりにくかったが、結果的にはあまり気にする必要なし。全体的に静的で、リーディングのような印象を受けた。
満足度★★★★
踊る赤ちゃん人間
昨年アワード4位の『千年女優』がとても、良かったので、その脚本演出された末満さんの本なので、観に行きました。おもろかった!場内も、笑い声は響いてました。石原さんを観るのは、二度目ですが、今回の方が、見応えあり、良かったです。