満足度★★★
鑑賞日2019/07/19 (金)
劇団1980さんの「夕食の前に」を観てきましアトリエは初めて
舞台美術が凄い良かった。
何度も起こる演出効果に最後まで意味を見いだそうとして、明確な答えはなかったように思える。
自分なりの仮説は最後にいくにつれて立てられるが、その前段階で「?」となる観客は多そうだ。
イスラム圏ということと、空爆下であるということを少しでも忘れるとこの戯曲の緊張感と繊細さが失われてしまいそう。
これは製作側の配慮というよりは観客が観る側として知らなければいけないことが多く思えた。
満足度★★★★
鑑賞日2019/07/18 (木) 14:00
アフタートークがなければ、かなり感想が変わっていたかもしれません。
舞台は母親と息子ナーセルの室内での2人芝居が基本となります。
そこに時間を司る(ラップ音で時間を巻き戻したり、時間を止めたりする)DJが関わってきますが、DJが演出上設定されたものなのか、そもそも脚本に登場する役なのか、不思議に思っておりましたら、ちゃんと脚本に登場しているとのこと。むしろ、ナーセルに殴られて退場となるDJを、演出家の小林さんが、後半登場場面を増やしたとのことです。
あるいは、かなり性描写や神を冒涜する描写が出てきますが、イスラム圏では許されないことから、作者のヤーセル・アブー=シャクラは執筆途中で国外逃亡を図り、現在もシラクに帰れない状況であること。
リーディング上演はあるが、演劇としては世界初演であること。
小林七緒さんが、演出に際してレバノン、イスラエル、パレスチナを回ったこと。
神原弘之さんが、在日シラク人と情報交換したこと。
などなど、私の疑問を解消し、印象をかなり変えるトークとなりました。
芝居の内容はかなりシュールです。
序盤は、ナーセルの部屋を片付ける母親、そこに帰ってくる息子の会話です。会話は夕食まで続きますが、夕食になるとDJによって時間がわずかながら巻き戻され、そこから別の展開に変化して、また夕食。このパターンが繰り返されます。こんな感じで芝居は続くのかな、と思っていると、母親の過去語りから、それを嘘だと断罪するナザール、虐殺とはないかについて語り始めるナザール、そしてナザールが書いた戯曲が上演され、最後には母と子の和解、しかし、、、という感じで続きます。
もちろん、芝居は終始、時間が時として止まり、巻き戻されます。
ナーセルの脈絡のない膨大な台詞の渦、それに押し流される母親の不安定な心情と、反抗そして同調。これらの意味を捉えるのがとても難しい。リーディングによる言葉中心の舞台では、その抽象性にあまり違和感はないのでしょうが、実際に芝居や舞台装置が現前とすると、観客にとってはただただカオスにしか感じられません。
果たして、これに耐えられるか否かが、評価の分かれ目です。なにせ、1つ1つの台詞の意味を咀嚼する余裕がないにもかかわらず、2人が置かれている現状、部屋の外で起きているであろうことが、それとなく判ってくるからです。(ネタバレ)
かなりユニークな舞台を見せてもらったことに、間違いはありません。演劇を広く見ている方には一見の価値はあると思います。
また、観客を選ぶ舞台でもあります。
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07.20☺︎ 劇団1980「夕食の前に」を観劇✌︎ 最前列で迫力満点でした🌹 もう少し私に教養があれば もっと楽しめたのかなって 何度か観たくなりました😌 胸の奥がざわつく そんな作品でした😳 https://t.co/tyczpra4di
5年以上前
下高井戸で劇団1980「夕食の前に」。内戦中のシリアの首都ダマスカスで暮らす母と息子の対話劇という設定から想像されるものはほぼ出てこない、想像の斜め上以上を行く作品だった。異常な日常が若者の精神や親子の関係をどのように蝕んでいくかがリアルに突きつけられる場面が続く緊迫感ある舞台
5年以上前
劇団1980「夕食の前に」観劇。久々にちょっと理解が追いつかない脚本だった。いや演出か?どこまでト書きに書いてあるのか。音響に時間軸を弄られていた主人公が、音響を殴り飛ばし自ら音響卓を支配して舞台を壊しにかかる。母親が意気揚々と嘘を語るのも理由がわからなくて怖い。
5年以上前
劇団1980「夕食の前に」、シリア・ダマスカス出身の詩人ヤーセル・アブー=シャクラによる戯曲の上演(鵜戸聡訳)。小林七緒演出。夕食の前の母と息子の会話、詩と祈りと罵倒と呪詛の言葉が重層的に、ものすごい熱量で迫ってきます。21日まで… https://t.co/MYXEuJ1FvQ
5年以上前
下高井戸 H.I.S 劇団1980「夕食の前に」アフター・トーク
5年以上前