Taking Sides~それぞれの旋律~ 公演情報 Taking Sides~それぞれの旋律~」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.6
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★

    内容的に私には難しい話だろうと思ったけれど、ロビーでの丁寧な説明文が有り難かった。
    関係者の写真まで掲載してあった。
    単純なやりとりだったけれど、どうしてもフルトヴェングラー寄りで観てしまって、
    「どちらの?」のいう天秤は傾きっぱなしだった。観方が悪かったのかな~少佐の執拗さの理由が
    いまいちつかめなかった。

  • 満足度★★★★

    2度目となる加藤健一事務所。風姿花伝で今年観たパラドックス定数蔵出しシリーズ最終公演がやはりフルトヴェングラーを題材にした主宰若き頃の本で、指揮者+楽団サイドの目線でナチとの攻防を描いた作品だった。一方「Taking Sides」は、戦犯裁判の前段、この指揮者のナチスへの協力という疑惑を追及する取調べの過程を取調官目線で描く。
    国内外の名作を長年にわたって紹介し続ける加藤健一事務所の味はよくも悪くも座長・加藤健一の存在感で芝居をまとめてしまう所だろうか。演じる取調官は戯曲としてはもっと違ったキャラを想定しているように感じたが、これはこれで成立しているようにも見え、「加藤健一一座」という一つのシステムが既に確立しているのか知らん、とも思う。みれば鵜山仁演出。またも「演技は役者任せ」説を実証したような。

    ネタバレBOX

    凄惨かつ祝祭的世界大戦を終え、戦後処理に奔走する連合国軍と介入を受ける敗戦国、ナチスのホロコーストを筆頭に全てが白日の下に暴かれ、全てが分かりやすい構図の下にあった。やがてレッドパージに及ぶ「明快さ」への傾きが、この取調官をも支配しているように見える。音楽の事を何も知らない俗物キャラを担うこの男と、音楽を解する秘書、若い部下、訪問者(ピアニストの妻)、指揮者本人、元楽団員の5人という対照的な二項を拮抗させるが、音楽への言及が作品に趣きを与えているのは上記パラドックス脚本とも共通するところ。本作ではとりわけ天才指揮者に心酔する人物の心からの告白が、芸術を圧政と戦争の闇の中に咲いた美の像として浮び上らせる。構図としては取調官が徐々に焦点化されて行き、男の言葉を引き出す形で脚本はうまく閉じられている。一人の天才音楽家の名誉という問題から、ホロコーストの事実へと観客を導いていく。
  • 満足度★★★

    長台詞のオンパレード。

  • 満足度★★★★

    「偉大なる指揮者フルトヴェングラーはナチスの協力者なのか?」という戦争裁判を題材とした舞台。どうすべきだったのか?とか正しいなにかをスッキリさせないところが私は良かったと思う。裁判前の審査での少佐と指揮者の対決。このすれ違うやりとり?指揮者が「なにかを言っているのかわからない」という場面な何度も。元保険調査員で音楽に興味のない少佐と巨匠フルトヴェングラーの対話はかみ合わない。

  • 満足度★★★

    普通に楽しめたのだが不満な点もいくつか。

    史実に従えば、こういうストーリーになるのは当然だが、もう少し強力な証拠が出て、ギリギリまで追い詰められてほしかった。「絶対に答えられない質問がある」、「膨大な記録が見つかった」と煽っておいて尻すぼみの連続なのは気持が萎える。

    そして60歳で現役バリバリのフルトベングラーを76歳の小林勝也さんが演じるのは、とくにセリフ回しに無理があると感じた。老人をいじめているような雰囲気の作品ではないと思う。加藤健一さんのエネルギッシュな振る舞いとの対比を楽しむことは私には無理だった。

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2019/05/21 (火) 14:00

    パンフレットを読むと、小林勝也氏は、同じ文学座の今井朋彦氏を除いて、他の皆とは初の座組ということだ。
    しかし、とてもしっかりとした、調和のとれた舞台。演者各位の力量もあるのだろうが、それぞれのやりとり、セリフのキャッチボールが、それぞれの心情と立場を明確していて観ていて安心感がある。フライヤーの6人の写真で、どの2人を線で結んでも、それぞれの関係性が明確に思い起こされる。

    もう少し、感情的なもつれが生じるような対話劇かと思ったけれど、さにあらず。
    観衆に是非の判断を強いるでもなく、それでいて直線的なストーリーではなく、平行線に陥る対立もない。皆が皆、何かを知り、何かを信じ、そして何かを理解していく様が、淡々と描かれる。内面の激情を、時として隠しながら。

    15分の休憩も、前後半の時間の隔たりと、心の変遷を鮮明にする意味で、よかったと思う。

    ネタバレBOX

    ちょっと、空席が多かったのが残念かな。
  • 満足度★★★★

    鑑賞日2019/05/16 (木) 14:00

    座席1階

    見どころは、ナチスに水面下で協力したと疑われた名マエストロ役の文学座小林勝也と取調官の加藤健一との丁々発止のやり取りだ。多くのユダヤ人を救ったと尊敬を集めるマエストロ。職務に忠実で、マエストロは聖人だとのいわば常識を疑うアメリカ軍の取調官。取調室の部下たちも堂々とマエストロの味方をする中で、冷静とは言えないがマエストロを追い込んでいく演技は、カトケンならではの迫力だ。
    確かに嫌な役だと思うが、常識や大多数側を疑うという姿勢は大切だ。タイトルのどっちの味方か、というのも示唆的だ。
    演出も良かった。元生命保険の営業という取調官も戦争のトラウマを負っており、これが音と背景の演出でうまく表現されていた。オーケストラを構成する多くの楽器が舞台にさりげなく配置してあったのも目を引いた。
    ナチ政権が名門オーケストラを利用したのはよく知られている。名曲に罪はないかもしれないが、文化までも戦争協力者にさせられる世の中の再来はゴメンだと、舞台は訴えている。

  • 満足度★★★★

    すっきり割り切れず、もどかしいところが面白い。そこが今風、現代的とも言えるナチスものの秘話である。
    秘話と言っても、音楽界や歴史家の間ではよく知られた「巨匠フルトベングラーは、ナチの御用指揮者だったのか?」という戦後裁判を素材にしている。(公開資料あり)
    母国の最高の音楽を後世に残すために妥協も辞さないフルトベングラー(小林勝也)のナチ政権下の協力(taking sides)は、「文化の非ナチ化」の裁判で裁かれるべきか。指揮者をバンドリーダーとしかとらえていない平民(民間では保険の調査員)の米軍の少佐と指揮者は、裁判前の予備審査で激突する。構成的にもよく出来た芝居で、フルトベングラーが登場するまでの45分、この両者の中間にいる元楽団員の第二ヴァイオリン(今井朋彦)、父をヒトラー暗殺未遂者に持つタイピスト(加藤忍)、フルトベングラーに助けられたユダヤ人ピアニストの妻(小暮智美)、正義漢の少佐の助手(西山聖了)が登場して、事態を説明する。この脇役たちの置き方とバランスが絶妙で、芝居が随分面白くなった。いはば、彼らがそれぞれの立場によって、ナチ政権でひどい目にあった一般市民なのである。
    筋が引けたところで、フルトベングラーが登場し、そのあとは、ナチの協力者はナチと同罪、と責める米軍少佐と、芸術と政治は別というフルトベングラーの一騎打ちになる。さまざまな文書証拠だけでなく、変節者の第二ヴァイオリンや、反ナチなのに指揮者の音楽に心酔するタイピストなどが絡んで、議論は、遂には指揮者の個人生活の範囲にまで及んで白熱する。いかにも大衆迎合のアメリカ・オッチャン風な少佐の正義と、世界に君臨する芸術の使徒であるフルトベングラーの議論はかみ合うことがない。
    今までの演出は知らないが、今回の鵜山・演出は終始二人をかみ合わないまま放り出している。そこが今の時代を反映していて面白い。加藤健一も、小林勝也も大量の非日常的な台詞をこなしてきっちり対峙していている。脇では、変節を重ねる今井朋彦がうまい。先に同じ素材からパラドックス定数が「Das Orkestra」を舞台に乗せたが、やはりヨーロッパでのこの問題への関心と、同じ枢軸国であったとはいえ日本からの関心とはずいぶん違う。違って当たり前ではあるのだが、こちらは肉感的な迫力がある。初日に見たが、出来上がっているいい芝居だった。しかし、この公演十日もやっているのに夜二回だけとはどういう事だろう。初日は夜。確かに入りは六分というところで、年齢層も高いが、民芸や俳優座よりは若い。せっかくのいい芝居で力演なのに、と残念に思った。最近の小劇場こういう社会ねたでも若い人は結構見に来るのに。


    ネタバレBOX

    いささかでも芝居を見ている者なら、幕開きが、フルトベングラーはヒットラーにナチ式の挙手をしたくなかったばかりに、指揮棒を手放さかったという話が伝説化している、ところから始まり、二幕の頭でその指揮棒が現れ、二幕の終わりに少佐の手で折られ、幕切れ、フルトベングラーが指揮棒を持たずに指揮をする、と言う事に作者の寓意を見るだろう。しかし、それは、回答を出せなかったこの芝居の作者が、巧妙に仕組んだ観客への打ちだしのサービスだろう。これで観客は何となく納得して家路をたどるが、しばらくはその回答をとつおいつ考えるのだ。

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