忘却論 公演情報 忘却論」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
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  • 満足度★★★

    当日パンフの作家の言葉に“「女」の熱量の集合体”とか枯れていたが確かに熱量はすごい。女の怖さをまざまざと思い知らされる。
    一つの物語というより彼女たちのパフォーマンスという感じだった。水槽を使うというのが斬新な発想だと思った。


  • 水槽が四つ、等間隔に置いてある。
    金魚はいない。藻だけ生えている。


    6人の女子高校生が、いまだ帰ってこない母親を待つ、七夕の日。


    ここで ふと考える。


    15歳〜18歳の間に6人も産まれるなど、現実的なのか。


    双子はいない。



    そこからイリュージョンとして観ようと思った。



    楽曲はチグハグしている。


    往年の名曲が流れたら、つぎはJメロという具合に。

    イッショクタン演劇。


    しかし、彼女たちは 水槽のごとく等間隔で踊ったりする。

    その光景は煌びやかで、内面的・断絶的な物語との対象を成すのだ。

    あぁ、スタイリッシュ。


    客層は男性が中心だ。
    もっと幅広い層に観てほしい。


    6番シードの お姉さん… のような。

























  • 満足度★★★★

    ①初日観劇。ネタバレなしの感想が難しい。
    まるでアトラクションのようだった。色んな要素が散りばめてあって、スプラッシュマウンテンみたいな効果と勢いもある。
    刺さる人にはザクザクくるヤァツ。

    好きな登場人物は、北斗。全部まるっと好きにはなれないけども。金里もけっこう好み。
    表現は、みんな大変(笑)。

    照明と美術と、劇伴セレクトセンスが、私の好みに突き刺さる。

    すっごいどうでもいいけど、時代設定は今から10〜15年前なのかな、と勝手に思った。根拠は、Satelite Jシリーズだったこと。アホみたいな理由だから、本当のところは知らないよ。

    音では、カンカンカンとバシィィィィッ、が良かった。
    細か過ぎて伝わらない。

    ②千秋楽観劇。
    終盤の一瞬だけのシーンで、水槽の水が天井と繋がったように見えたシーンがあって、
    一瞬すぎて、初日は見落としてたというか意識出来なかったんだけど、めっちゃかっこいい。
    一瞬だから表現できてるんだけど。

    水は水であり、血あり、血肉であり、生命でもあったのかな。

    登場人物全員の、悲しみと諦めと執着と憎悪が、とても難しい表現。だけど、みんなその技術があるのがすごい。

    ラスボス感満載の東香/椎名亜音の憎悪が1から100に跳ね上がって表に出てくるシーンがたまらない。
    他の人物の憎悪の増加を段階的に見た/知った上で訪れる100だから、受け入れられる展開だという点を差し引いても、100を100で伝えきるのは技術がないと出来ない。

  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2018/04/22 (日) 17:30

    熱海殺人事件あたりが好きな人にはご理解いただけると思う。四面舞台であることをきっちり生かした演出で、どの面から見てもおそらく没入感は高かったように見えた(少なくとも自分のところからはそう見えた)台詞が聞こえるとか、そろうべき動きがそろっているとか、止まるところが止まっているとか、しっかりできていたので、変なところに気が向かわずに見れたところも良かった。
    欠点としては、見てる側もすごーく消耗することかな

    ネタバレBOX

    舞台の関係で通路が狭かったのだが、足が若干不自由なお客様の誘導がちょっとダメだったのは残念。
  • 満足度★★

    演出は面白く印象に残った
    まぁ演技的にもいろいろと印象強く残りましたが・・
    何というか物語の方は
    もっと簡潔というか理解しやすくして欲しかったかなぁと感想

    1時間50分ほどの芝居

  • 満足度★★★★

    演者さんがキレイ!ダンスがキレっキレっ!とても激しいお芝居で 吸い込まれました。良かったです!

  • 満足度★★★

     レイアウトが少し変わっている。(追記4.25:04;48)華3つ☆

    ネタバレBOX

    板中央は十字路が通っており、その各コーナーには水を張った水槽が1個ずつ置かれている。無論台に載っている。これらの周囲を囲むように椅子と机が置かれているが、机は入口からみて右奥のコーナーを除く3か所に、机用椅子は机の手前に背凭れの無い物が置かれている。他の椅子は十字路への入口を除いて均等に置かれている。このひと回り外側総てが観客席である。天井からヨシキリ鮫の顎ほどの大きさ、形状の枠から吊り下げられたテルテル坊主が吊るされている。
     出演は女性ばかり10人。5人が姉妹、母、教職の研修に来ている国語教師、近所のおばちゃん、花屋、姉妹の彼氏役である。
     しょっぱな忘却曲線について語られるが、このデータを得る為の実験と結果の妥当性が今も古びずに用いられていることが緩やかな導きの糸となり、物語というものは作家の意図次第で結末をいくらでも改変できるという事実をもう一つの糸にして物語が紡がれてゆく。各出演者かなりの熱演で、その点は評価していいが、3~4 割の演者の科白は、がなられているだけで滑舌が悪く聞き取れない。演出はしっかりダメ出しをして少なくともゲネまでには改善するか、それができなければ舞台を通常の形にして滑舌の問題が余り観客の聴き取りに問題にならないよう、科白の聞き取り易さを優先すべきであろう。仮にこのような点にも気付いていないのであれば、演出を基礎からやり直すべきである。演出の役割とは、脚本に書かれていることを観客に最大限効果的・的確に伝えることだろうからである。熱意や勢いだけで演劇は成り立たない。
     ネタバレが楽日以降との要請があったので、この点については楽日以降に記すことにする。
     善悪は人間が勝手に決めるもの、一方人間はどんなことも考えることができ、罰を考えなければ簡単に実行に移すことができる。それを演劇という手法で見せた点が良い。
     但し様々の悪行は、己の内側の論理によって、己の総てを明澄化し、律していないことから来る。考える気になれば無意識のある程度迄を意識化できるし、八識についても認識できるのが人間である。またこのレベルに至って初めて無明の闇の入り口に立つことになろう。即ち己の無明を己の力で律するトバ口に立つことができるのである。今作は。この認識のとば口にも立つことのできない無明を生きる者たちの迷妄を描いた、と見た。熱演ではあるものの、この文の途中で注意したことなどを意識して更に高みを目指して欲しい。

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