『シーチキン®サンライズ』Musical『殺し屋は歌わない』 公演情報 『シーチキン®サンライズ』Musical『殺し屋は歌わない』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
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  • 満足度★★★★★

    舞台セット、すごく凝っていますね。鉄骨、棚の左端の大きな箱、外のブロックもすごいですね。
    役者一人ひとりが際立っている演出はすごいです。
    人生はどう生きるべきか、歩むべきかを考えさせらる作品。
    シーチキンのリョウさんの演技は見ごたえありあり。
    最後のシーチキンの漫才のすごさ、たまんないです。
    あっという間の2時間30分弱でした。

  • 満足度★★★★★

    シーチキン・サンライズと殺し屋は歌わない。両方を観劇。

    シーチキンはT1プロジェクト定番ですが毎年少しずつ変えてきてます。去年よりも少し新しいチャレンジがあり、毎年観ていても楽しめる作品。

    殺し屋は、ミュージカル作品。小劇場でミュージカル? ちょっと歌を多用してるぐらいじゃない? と考えていたら甘い。全うな本格ミュージカル作品です。全く手を抜いてません。というか高度に構成された内容で、これを小劇場で鑑賞できるってどんな贅沢なんだ!

    ちゃちな歌歌うだけの小劇場作品じゃありません。そのまま大きな劇場に持っていける内容と構成と質です。

    期間中には都合をつけてでも観ましょう。
    後悔しません。

  • 満足度★★★★

    「殺し屋は歌わない」ミュージカル初日を拝見。
     T1プロジェクトのオリジナルミュージカル第2弾。作・演の友澤氏は、今作で5つの挑戦をしたという。先ずはそれを当ててみて欲しい。追記2018.5.1 。

    ネタバレBOX

     日程的に大体真ん中辺りだから5つの挑戦を明かしておこう。当パンをベースに引かせて頂く。
    ① ミュージカルをやらないような劇場でミュージカルを創る
    ② 生声で上演する
    ③ 転換なし、一場で進行する物語
    ④ ロングタイムのナンバーを入れる
    ⑤ 30年近く脚本を書いてきた自分自身の感性を30代前半に戻して物語を紡ぎ上げる
    の5つである。
     結果的にミュージカルとしては、かなり素朴な作りになっている。然しT1プロジェクトの良さは、再演、再々演などという時に、時代や状況に合わせて脚本を練り直し、キチンとコミットしてくる点である。芝居というものは、生身そのものだし、2度と同じ舞台は作れないので、ヴィヴィッドある為にはその都度創造してゆかなければならないのは当然のこととはいえ、これをキチンと実践し続けることには、大変な努力と真っ直ぐで直向きな向き合い方が必要である。それを若い人達と一緒になってやっている所にこのグループの将来性と可能性があるように思う。
  • 満足度★★★★★

     出演者22名、これだけの役者が出ていながら、誰一人キャラの立っていない役者が居ない。年間少ない時でも250本程度は芝居を観る自分も、これだけのキャストが皆キャラの立った演技をしている舞台を観たのは今回を含めて2度しかない。
     兎に角、重層化した深みのある脚本なので、可也演ずるのが難しいとは思うのだが、それを見事に演じている。キャスティングの良さ、演出の良さも、脚本の良さも無論のことだが、所謂下世話な世界を描き乍ら、決して下卑たり、媚びたりしない、而も極めて本質的な作品である。
     舞台美術も作品内容にピッタリしたものだし、導入部から、観客を引き込む演出手腕も見事である。脚本・演出は、何れも友澤氏が務めているが、脚本に対する演出の仕方に適正な距離が取られている点も見逃せない。照明、音響のオペも見事である。総てが総合的に収斂して総合芸術としての舞台芸術を形作っているのだ。(華5つ☆ 追記2018.4.26)

    ネタバレBOX

     芸能界の裏を描きつつ、人はどう生きるか? 如何に生きるべきなのか? を問う。長い下積みから「陽はまた昇る」で一躍ブレイクした後、コンビを解散した漫才コンビ・シーチキン。一人立ちした後突っ込みだったリョウは今や芸能プロダクションの看板。一方ボケの榊は、鳴かず飛ばずで今では大人の玩具の販売で食いつなぐ。4年後、超売れっ子のリョウから下積みの頃に常打ち小屋として出演させて貰った小屋で復活公演を演るとのオファーが入った。当時の仲間も呼ばれている。ひとまず了解した榊であったが。
    天井からアスベストが出たとかで楽屋を急遽倉庫のような掘立小屋に移した空間で話は進行する。ファーストシーンで雷光の中に浮き上がる女の立ち姿が強調される導入部の上手さは流石である。三々五々、出演する芸人たちが集まってくるが、当初、榊は、掘立小屋の梁に黒いネクタイを掛けて首吊り自殺を図っていた。偶々支配人がやってきた為、タイミングを逃してしまった。ところで、この小屋も借金の形に入れられ支配人は返済の催促に追われていた。
     今作が、このような状況を描くのは、1920年代の世相を描きロストジェネレーションと呼ばれた作家たちの代表的な存在であるヘミングウェイの”The Sun Also Lises”(1926)を、その背景に置いてからだと観ると更に面白く観ることができよう。The Sun Also Lisesは、ヘミングウェイ初の長編小説であり一躍彼の名を有名にした作品でもあるので読んだ方も多かろう。因みにロスジェネの表す概念は、第1次世界大戦の時代に思春期を過ごした世代が、それまでの価値観や社会体制に疑義を持ち、自堕落で享楽的な生活態度を選んで反社会的に過ごした様を呼んだものと言われている。
    当に今作の芸人たちが置かれている時代。価値観が無限に希薄化し、生きる意味を考えたり、天下国家を論じたりする当たり前のことも忌避するようなこの「国」の社会状況の閉塞感と、無意味が存在自体を蝕んでゆく鵺のような状況の中で。逆説的に刹那的で二極的なイデオロギーを強調することによって、職業、恋、生活の総てを律し、人としての思いやりも人情も捨て恬として恥じない生き方を選ぶリョウを通して、優しい人々の優柔不断や、その不甲斐なさを浮かび上がらせるが、その冷淡な態度は、実はリョウの責任感の強さと優しさであったことが描かれる。(その理由は察しの良い方にはお分かりだろうが観てのお楽しみだ)ラスト、リョウの恋人・愛のストーカーの放火によって小屋が焼け落ち中止になった演目がコンビによって演じられるシーンは圧巻!!

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