ハイバイ オムニ出す(チケット売り切れましたが特別追加公演やります。) 公演情報 ハイバイ オムニ出す(チケット売り切れましたが特別追加公演やります。)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
1-13件 / 13件中
  • 満足度★★★★


    4本+追加偽キャスト公演を観劇。

    追加偽キャスト公演の篠田さんが素晴らしかった。

    「コンビニュ」をもう1回観たい。

  • ふつ。
    これは芝居を観始めた頃なら楽しめなかったかも。でも楽しめたかも。分かんない。何が起きているかに対して確かな意味や理由を求めたら答えは出ない。観るべきは、目の前で何が起きているか。

    ネタバレBOX

    終盤で結局ドッキングしないあの遣りっ放しが大好き。そうだよ、何事も最後に綺麗にまとまるとは限らない。とはいえコンビニが本州になって日本になって地球になって宇宙になるのは綺麗だった。終わりの暗転はそういう繋がりだった訳で。
  • つね。
    ハイバイ代表作。確かに、ですね。
    「て」も家族の話だったけど、こっちは登場人数が少なくて劇中舞台は一部屋だけ。その分、濃い。妹の存在意義がかなり大きいと思いました。

    ネタバレBOX

    当パンのスペシャルサンクスにはちゃんと岩井通子さんのお名前が。
    周りがややウケ程度だった『そんな・・・ビチョビチョじゃないか・・・』が個人的にツボ。
  • らく。
    ハードとして見事な作りでありつつ、遣りたい放題もしている。尚且つ最後はちゃんと落語である必要性に回帰。
    性的なのが苦手な人は顔を手で伏せて指の間から観たら良いと思います。

    ネタバレBOX

    ハイバイ版「三人いる!」。
    一人二役やっている最中にもう一人が来て片方の役を引き受けたかと思えば、二人で同じ役を並んで一緒にやったりも。またそれが情けない場面でやるもんだから、苦笑度合い倍増。
  • ほし。
    岩井さんの作品には「なんか微妙で変なアイテム」の登場する事が多い気がします。その例に漏れなかった事もあり、他者の脚本でありながらこれもすんなり岩井色。

    ネタバレBOX

    「なんだよ、その頭。特に触れやしねぇし。そのまま触れないまま終わるんだろうな」と思っていたら、ホントに触れないまま終わった(笑)。
  • 満足度★★★★

    『特別追加公演 落/常』
    岩井さん出演の『男の旅 ー夏子編ー』は、彼の冒頭での枕のような客いじりや、上下の切り方の巧みさもあって、本当の落語をみているかのような気分にさせられました。凄い。一方、『ヒッキー・カンクーントルネード』の篠田さんの妹役は、なんだか『積木くずし』を彷彿とさせる乱暴感が漂っていて、ひきこもり息子よりも家庭内暴力娘のほうがこの家的には問題なのでは? なんて変な感想も。

  • 満足度★★★★

    特別追加公演 落/常
    一部配役を変更した落と常。

    落「男の旅」は、オリジナルの方がよかったかな。
    岩井さん≠積極的に風俗に行く人、という印象が足りないからか。
    まぁ、二度目なのでそう感じただけかもしれませんが。

    「ヒッキー・カンクーントルネード」は配役変更の妙がおもしろい!
    篠田さんから出てこない、次の台詞を引き出そうとする画策など
    どう転ぶか解らない危うさに引き込まれました。

    振る舞われたおしることお芝居でおなかいっぱいです。

  • 満足度★★★★

    「コニビニュ-あるいは謝罪について」(題名変更)
    東京デスロックの「夏目祭」のWSでおやりになった。
    「謝らない!!!」というネタを、快快風にふくらましたもの
    (こう書くと身も蓋もないな…)

    リフレインと、雨の描写がなかなかポップで気持ちいい。
    快快といったら「篠田千明」かな(そうか?)、とてもかわいかった。

    「ヒッキー」と2本立てで2時間10分ほど。
    お得な「常仏」です。

  • 満足度★★★★★

    「ヒッキー・カンクーントルネード」
    すばらしいですね。
    「病んで」しまう人間の「痛さ」が伝わってくる。
    涙がでた。

    坂口辰平はすごい役者になる予感が…
    期待したい。

  • 満足度★★★

    落/星
    星「輪廻TM」
    岩井さんの本じゃないけど、ハイバイらしい作り。
    岩井さんと金子さんがいつもの芝居をするだけで
    なんでもハイバイカラーになりますね。

    落「男の旅 -なつこ編-」
    落語って聞いて大丈夫かなと心配してましたが
    これは面白い!新しいスタイルのまさに落語でした。

    まる一日、ハイバイに費やしてしまったw

  • 満足度★★★

    常/仏
    常「ヒッキー・カンクーントルネード」再々演
    岩井さんのナイーブな引きこもり演技はもちろんですが
    坂口さん、すごい!

    仏「コンビニュ」
    コンビニ舞台の、なんかホントにちっぽけなお話。
    そんなちっぽけさを本気で演技するのがくだらなくおもしろい。

  • 満足度★★★★

    お腹で観るフランス
    ハイバイのオムニバス公演、二日目は、「常/いつもの」と「仏/フランス」の二本立て。

    これがまた、とんでもなく強烈だった。

    ネタバレBOX

    強烈。いまだに、お腹(腸の辺)で、凝縮された、無駄に高い栄養価が、消化されずに暴れ回っているみたい。うう……苦しい。ああ、でもまた食べたい。

    「フランス」は、タイトル変わって「コンビニュ—あるいは謝罪について」。もともと岩井秀人が他劇団に書いた本らしいけど、これ、物語、ほとんどなし。自分のミスを謝らないコンビニ店員に対して、「あやまってよ」「あやまりませんよ」と、ひたすらやりあう。それだけ。どこまでもミクロな物語……というか、話。

    基本、ふたりしかいないのに、俳優は四人。これを、フランス人、ヤン・アレグレ氏の演出法をまねて、使っていい表現手段の縛りを与えたら、あとはアウトラインだけ決めて、ほぼ俳優まかせに作ってもらったのだそうな。

    すると、俳優たちは、あまっている人は、感情を表現したり、雨を表現したり、コンビニのカウンターになったり、タバコになったり、入れ替わり立ち替わり、なにかを必死に表現する。これが、必死なのだけれど、伝わると伝わらないとの間のラインを、スレスレ、行ったり来たりする。

    これが、奇跡的に面白いのは、「あやまってよ」と「あやまりませんよ」という、コミュニケーションのずれをあつかう物語が、表現手段を限定された俳優たちと、分かろうとする観客たちとのずれと相まって、どんどん、勝手にぶれ幅が大きくなっていくところ。

    最後、俳優たちは、白いボードに筆で、地球みたいなテキトーな絵を描いて、ふわふわピョンピョン。この辺りで、舞台と客席との間をつなぐ、コミュニケーションの糸は、極限までのびきっていて、伝えようとするベクトルと、分かろうとするベクトルが、ものすごい勢いですれちがう。

    実は、これは、アフタートークによると、「観察」と「宇宙」という条件で縛られていたらしい。そんなのわかるかい。わからなくていい。すれ違う、その瞬間、それこそが、この舞台なんだと、感じる。

    それは、物語のうえで、「寿司ネタ」として表現される「あやまってよ」と、「シャリ」として表現される「あやまりませんよ」の、宇宙規模のすれちがいそのもの、という気がする。すれちがうやりとりが、手を替え品を替え、まさに体感させられる。

    きっと、観た人全員、ひとつひとつ、違うものを観たような気がしているのではなかろうか。つまり、舞台上で行われているのは、種とか、卵とか、そういうもので、何か方向性だけがしっかりあって、目的地の輪郭だけがぼんやり見えているから、観ているこちらも、もやもやうずうずするのだろう。なにが出てくるか、もしくは出てこないかは、ひとりひとりにゆだねられているのだ。

    これは、頭や目を使って観るものというより、お腹を使って観るものという気がする。それは、ひきこもっている間の、自分のポテンシャルの影がお腹で暴れる感覚と似ていて、ハイバイの、根幹を、成している気がする。
  • 満足度★★★★

    ねじれ、よじれる、可能性。
    ハイバイの新作は、4つのジャンルのオムニバス。初日は、4つの中から、「SF」と「落語」。これが、とっても面白かった。

    ネタバレBOX

    オムニバス上演、最近、やたらと目にする形。それらの多くは、「手軽さ」をウリ、目的としているみたい。今回のハイバイの『オム二出す』も、お手軽で、とても初心者に優しいものになっている。でも、もちろん、それだけじゃない。僕は、オムニバス形式って、ハイバイのエッセンスそのものという気がする。

    オムニバスという上演形式が、これほどしっくりくる劇団もないのじゃないか。ハイバイの作品は、いつも、一つの作品でも、なんだか、いくつもの作品を同時に観たような気になるのだ。

    さて、初日に観た2作品だけれど、やっぱり、ハイバイらしいのは、「落語/男の旅—なつこ編」だと思う。

    物語そのものは、とっても単純。三人の若者が、フーゾクへ。三者三様のフーゾク模様。役者さんは、一人で、その場の何人かを、落語よろしく、同時に演じる。時には、二人で四人を演じたり、三人で四人を演じたり、変則的なことも。

    ホンモノの落語と違って、演じるので、一人をちょっと演じて、無言で場所を移って、もう一人を演じる。これで、例えば、ひとりでセックスしてる二人を、やったりする。爆笑をさそいながら、同時に、物語に、微妙なズレが生じる。つまり、役者さんが、役を入れかわるタイムラグが、物語そのもののズレと、まったりと重なっていて、最後は、一瞬、物語が、完全に二つに分岐してしまう。

    これは、ちょっと、わかりにくい。観ていて、爆笑しながらも、気を抜くと、すぐに置いていかれそうになってしまう。そしてそれこそが、ハイバイの魅力のひとつだと、僕は思う。

    ハイバイの作品は、けっこう、構造が複雑で入り組んでいる。それは、表面上の物語が単純にみえるだけに、いっそう不気味に、ぼんやりと、浮かび上がる。まっすぐには進まない。たとえば、小刻みな反復をくり返す。それは、同じことをくり返しているはずなのに、微妙なズレを生み出したりする。

    そうするうちに、ひとつの物語……というより、「話」が、観ている僕の頭のなかで、どんどん勝手に分岐して、なんだか、無数の可能性そのものみたいにみえてくる。道は、ねじれよじれて、迷路みたい。ひとつの入り口が、たくさんの出口につながっている。

    それは、なにやら、人、そのものに、触れている気がする。僕のカラダの底にある、敏感な所に、ぴとっとふれる。

    僕にとって、それは、あまり気持ちのいいものではない。やめてよ、というほうが、どちらかというと強い。でも、それなのに、ハイバイの舞台を、とても楽しみに観てしまう。ハイバイは、観客をも、ねじれ、よじれ、させるのかもしれなくて、それは、気持ち悪くて、気持ちよいのかも、そんなふうにしか、いえない気がした。

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