ハイバイ オムニ出す(チケット売り切れましたが特別追加公演やります。) 公演情報 ハイバイ「ハイバイ オムニ出す(チケット売り切れましたが特別追加公演やります。)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    お腹で観るフランス
    ハイバイのオムニバス公演、二日目は、「常/いつもの」と「仏/フランス」の二本立て。

    これがまた、とんでもなく強烈だった。

    ネタバレBOX

    強烈。いまだに、お腹(腸の辺)で、凝縮された、無駄に高い栄養価が、消化されずに暴れ回っているみたい。うう……苦しい。ああ、でもまた食べたい。

    「フランス」は、タイトル変わって「コンビニュ—あるいは謝罪について」。もともと岩井秀人が他劇団に書いた本らしいけど、これ、物語、ほとんどなし。自分のミスを謝らないコンビニ店員に対して、「あやまってよ」「あやまりませんよ」と、ひたすらやりあう。それだけ。どこまでもミクロな物語……というか、話。

    基本、ふたりしかいないのに、俳優は四人。これを、フランス人、ヤン・アレグレ氏の演出法をまねて、使っていい表現手段の縛りを与えたら、あとはアウトラインだけ決めて、ほぼ俳優まかせに作ってもらったのだそうな。

    すると、俳優たちは、あまっている人は、感情を表現したり、雨を表現したり、コンビニのカウンターになったり、タバコになったり、入れ替わり立ち替わり、なにかを必死に表現する。これが、必死なのだけれど、伝わると伝わらないとの間のラインを、スレスレ、行ったり来たりする。

    これが、奇跡的に面白いのは、「あやまってよ」と「あやまりませんよ」という、コミュニケーションのずれをあつかう物語が、表現手段を限定された俳優たちと、分かろうとする観客たちとのずれと相まって、どんどん、勝手にぶれ幅が大きくなっていくところ。

    最後、俳優たちは、白いボードに筆で、地球みたいなテキトーな絵を描いて、ふわふわピョンピョン。この辺りで、舞台と客席との間をつなぐ、コミュニケーションの糸は、極限までのびきっていて、伝えようとするベクトルと、分かろうとするベクトルが、ものすごい勢いですれちがう。

    実は、これは、アフタートークによると、「観察」と「宇宙」という条件で縛られていたらしい。そんなのわかるかい。わからなくていい。すれ違う、その瞬間、それこそが、この舞台なんだと、感じる。

    それは、物語のうえで、「寿司ネタ」として表現される「あやまってよ」と、「シャリ」として表現される「あやまりませんよ」の、宇宙規模のすれちがいそのもの、という気がする。すれちがうやりとりが、手を替え品を替え、まさに体感させられる。

    きっと、観た人全員、ひとつひとつ、違うものを観たような気がしているのではなかろうか。つまり、舞台上で行われているのは、種とか、卵とか、そういうもので、何か方向性だけがしっかりあって、目的地の輪郭だけがぼんやり見えているから、観ているこちらも、もやもやうずうずするのだろう。なにが出てくるか、もしくは出てこないかは、ひとりひとりにゆだねられているのだ。

    これは、頭や目を使って観るものというより、お腹を使って観るものという気がする。それは、ひきこもっている間の、自分のポテンシャルの影がお腹で暴れる感覚と似ていて、ハイバイの、根幹を、成している気がする。

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    2008/10/21 17:31

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