公演情報
「荊の肖像/櫟の館」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★★
鑑賞日2017/06/10 (土) 14:00
今回のお芝居は二部制で、個人的に好きな作品のカーミラが観たくて行ったのですが、想像以上によかったです。
一部の櫟の館は、主役の方がほんとかっこよかった…特に声が良すぎました(。>ㅅ<。)内容も溜息が出る程でした、悲恋ものだしダンサーの方も綺麗でした。二部の荊の肖像がカーミラのお話で、ほんとにもう演技が圧巻…終盤になるにつれ、切なくて涙堪えるの必死だった。すごい変な顔で舞台観てたかも。
そうそう、劇中の音楽が生演奏だったのもよかった!一部の髑髏海月さんのギター弾き語りが特によかったけど、二部のフルートとスピネットチェンバロもすごく演出にあってて素敵だったな。好きな作品がこんなに素敵な演出で舞台になるなんて、夢みたいだった。11月の公演も今から楽しみ.*✿
満足度★★★★★
鑑賞日2017/06/10 (土) 14:00
【荊の肖像】
舞台中央に置かれた、一輪の真紅の薔薇。その紅は、まるで血を吸って紅く染まったような真紅。
原作は、シェリダン・レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』。
主人公ローラが 19 歳の頃に起きた話を、回想して手記にしたためたという形式で展開される物語で、馬車の事故に遭い、偶然居合わせたローラの父に助けられたカーミラは、急ぎの旅の途中だからと、カーミラの母によりローラの父に託されローラの人里離れた古城に留まる事になる。
カーミラの母は、ローラの父に自分たちの素性を探らないようにと念を押して去り、その日からカーミラと共に生活するようになったローラはカーミラに夢中になるが、カーミラには寝る時は部屋に鍵をかけ、部屋に他人が居ることを拒絶し、素性は家柄が良いこと、名をカーミラということ以外は明かさないという、いくつかの不思議な点があった。
たびたびローラを愛撫しながら愛を語るが、語られる言葉は生死に関わる謎めいた言葉ばかり。起きるのは毎日正午過ぎ、食事はチョコレート1杯で、いつも蒼白い顔をし、気だるそうな様子をし、賛美歌に異常な嫌悪感を表す。
やがて、城周辺の村で異変が次々に起きるようになり、何人かの女性が相次ぎ死亡し、村に蔓延る奇病の流行が噂されなか、ついにローラ自身も体調の不良を訴えるようになる。
ローラの家で見つかった、カーミラと瓜二つの美しい貴婦人の描かれた不思議な肖像画。その肖像画の謎が解かれた時、あまりにも切なく痛ましい結末が待っている。時をかける吸血鬼の悲哀を描いた作品。
幼い頃、互いの夢の中に現れた事を思い出し、急速に親しくなり、心を許し合うカーミラとローラ。
白城さくらさんのローラは、初めて出来た友だちに、疑うこともせず、カーミラの言葉を信じ純粋な友情としての愛を真っ直ぐにカーミラに向ける無垢な白百合のような乙女のような可憐なローラ。
乃々雅ゆうさんのカーミラは、ローラへの友だち以上の、恋愛感情を孕んだような愛を秘め、恋人に囁くような愛の言葉を事あるごとにローラに囁きながらも、自らの呪わしい運命に抗おうとする心の葛藤が、眼差しに映していて、その如何ともし難い深い悲しみが伝わって来て胸が痛んだ。
武川美聡さんのローラとカーミラを温かく見守るローラの家庭教師ラ・フォンテンとカーミラに吸血鬼としての生き方を強要し、普通の少女として生きたいと願うカーミラを支配しようとする冷徹な母という全く違う性質の女性をを声色や身ごなしで描き切る。
朝霞ルイさんのローラの父の友人で、溺愛していた姪が村に蔓延る奇病で亡くなったとされているが、実は怪物によって命を奪われたたのではないかと考え、怪物探索をして退治しようとしていたスピエルドルフがカーミラの正体を見抜き、葬ろうとする時にカーミラに向けた眼差しの奥に宿る憎しみと姪の命を奪われた事の絶望的な悲しみを感じた。
佐藤まどかさんのフルートとチェンバロの生演奏が物語を更に美しくドラマチックに、刹那な悲しみを彩ってゆく。
吸血鬼が題材になってるのに、血が滴ることもなく、猟奇的なおどろおどろしさもなく、其処にあるのは、カーミラという一人の少女の悲哀と深く絶望的な孤独のもたらした美しくも儚い物語として描かれていた。
カーミラがローラに囁く言葉やスキンシップに、同性愛を彷彿とさせるが、スキャンダラスでもなく、ステレオタイプでもなく、初めて自分を理解しようとし、受け入れてくれる人に出逢い、血を吸わなければ永らえる事が出来ない自分の命を賭しても、ローラが生き延びることを願い、呪わしい自分の運命を断ち切る為に自らスピエルドルフに討たれ命果てて行ったカーミラの悲しみに胸が軋み、心に涙が溢れた。
最後にスピエルドルフが空に放ったカーミラの首が、真紅の薔薇の花弁(はなびら)となり、舞台と客席に飛び散り、床に散り敷かれたその花弁は、カーミラの血であり、カーミラが流した涙のようにも見えた。
1時間10分の舞台とは思えない、濃密で深く美しい舞台だった。
『耽美童話の会~荊の肖像・櫟の館~』、幻想と幻影が手を取り合い、睦み合い、混ざり合い、融け合った言葉が唇から零れ落ち、指先と眼差しから迸り、紡がれた美しい物語に幻惑された2時間10分。
細胞のひとつひとつがため息に満たされた甘美で刹那な時間に漂った舞台だった。
文:麻美 雪
満足度★★★★★
鑑賞日2017/06/10 (土) 14:00
目の前には木のベンチがひとつとその上に、蝋燭を灯した銀の燭台がひとつ置かれている。
ヴィリエ・ド・リランダの『ヴェラ』が原作の『櫟の館』は、サンジェルマン通りの櫟(いちい)の樹に囲まれた館に亡き妻ヴェラの亡霊と共に暮らすダトル伯爵の狂気の日々を描いた作品。
美しい貴婦人ヴェラと運命的な出会いをしたダトル伯爵の恋を超越し、過ぎた愛は狂愛と化し、烈し過ぎた愛は、ヴェラを妻とし何者をも寄せ付けず、下僕1人と妻のヴェラと3人だけで寂寥に閉ざされたダトル伯爵の城に住み、尽きることのない狂愛の宴の中、妻ヴェラが亡くなり、ヴェラの死を否定し続けたダトル伯爵は、ヴェラの亡霊と対話する日々を過ごす。
最初はヴェラの亡霊が見えなかった下僕もやがて伯爵と同じような幻影を見るようになり、幻影のヴェラが空間を超越して世界に再現出するその刹那、ダトル伯爵は遂に妻の死を認め、その時、一瞬のうちにこれまでの幻想が儚い夢と消え、絶望の中、悲嘆に暮れる伯爵は、偶然床に落ちた墓の鍵を見て、高貴な微笑を浮かべて物語としては終幕する。
終幕はするのだが、ダトル伯爵の命も人生もこの先まだ続く。狂おしい程に愛した者を喪い、拒否し続けた末にその死を認め、愛する者の亡霊さえ見失った時に、絶望したダトル伯爵の末路には何が待っているのだろうかとその事をずっと考え続けている。
愛する者と永遠の別れをした者は、果たしてどの様な念い(おもい)に囚われるのだろうか?
私にも、15歳の時、最愛な人との永遠の別れがあった。
それは、恋人でも伴侶でもなく、母との別れではあるが、15歳の私には死によって分かたれたその時、半身を全て捥がれた様な、半身が空ろになって、感情も思考痛みも何も感じない、機能停止したような感覚に陥った。
母との別れですらそれ程の悲しみと衝撃を伴うものならば、狂愛する者との別れであれば、それは尚のこと痛ましく、どれ程の悲しみと苦しみと痛みを伴い、どれ程の喪失感と虚無感に苛まれ、蝕まれてゆくことだろう。
それは、幻影を視せ、他者からは見えない愛の狂気の淵へと遺されて行く者を誘いなかったろうか。
墓の鍵を拾ったダトル伯爵は、その鍵でヴェラの墓に入り、閉じ篭ったまま妻の棺の横で枯らすように自分の命を終えさせて行ったのか、妻との記憶を反芻させながら、自然な死が自らに訪れるまで、死んだように生き続けたのか。
どちらにしても、ヴェラへの狂愛は死ぬ事はなく、寧ろ熱のない蒼い焔のように、ダトル伯爵の中で燃え続け、焼き尽くしてしまったのではないかと思えてならない。
朝霞ルイさんの指先の動き、眼差しの色の、目線の動き、仕草のひとつひとつに、ダトル伯爵のヴェラへの狂おしく烈しい愛と、ヴェラを喪った悲しみと痛み、絶望と苦しみが膚を刺し、胸を軋ませる切なさと寂寥として滲み通って来た。
神剣れいさんのヴェラは、儚く美しく、伏せた睫毛の先、物言わぬ唇の代わりに、その眼差しとダトル伯爵へと伸ばした指先、ダトル伯爵を見つめる瞳の表情と、身ごなしの全てで夫への静かで深い愛を伝えていた。
真横から聴こえる、髑髏海月さんの静かで、夜を震わす露のような美しい声で空に紡がれて行く、ギターの弾き語りの音楽が幻想的で悲しく美しく、荘厳なひとつの愛の物語を彩っていた。
幻想と幻影が手を取り合い、睦み合い、混ざり合い、融け合って言葉となり唇から零れ落ち、美しい渾沌となって紡れた物語は、40分弱とは思えない、2時間の舞台を観たような濃厚で濃密で素敵な舞台だった。
文:麻美 雪