満足度★★★★
色白の棲息者たち
憂鬱な顔をした近未来の姿というものは「予見する」=今見えていないものを見る=ことの価値を、云々する以前にそこに現前させて溜飲が下がる。「今見えていないもの」への憧憬が辛うじて、現在の生を生かしめている、そういう所が(とりわけ現代には)ある。と思う。『ブレードランナー』『惑星ソラリス』(この二つは「遠未来」だが)『ストーカー』等の映画には、環境の大変化した場所で人間が美しくも病的な漂白された姿を見せる。「現在」に居る我々には、未来の彼らが(過去として我々の現在を知る者ゆえ?)神々しく映り、静謐の中に無尽蔵な情報の存在を予感させる。彼ら自身は多くを忘却しているにも関わらず。
この芝居では、小さな自室の内部で胎内回帰していくように女性が無言・無動作でたたずむ時間がある。太陽に背を向け地下に「引きこもる」生を選んだ人間はモヤシやカイワレを連想させる。イキウメの『太陽』はパンデミックの末に生まれた人間の亜種が世界を(一時的に)支配する社会の一コマを描いていた。今作は「想定」のつじつまに関して突っ込みどころはあるが「近未来」の提示に相応しい作法が貫かれていた。憂いを帯びた表面の向こうにある「何か」を探り出そうと思わず手を伸ばし、思考を巡らす楽しみ(憂いを帯びた)があった。下へ行く程上位に位置する完全階級社会の設定は、上位の階級がもてる力をより積極的能動的に行使するイメージとは異なり、「引きこもり」「眠った状態」のイメージを重ねた。だがある見方をするなら、小金を持つ分だけ守勢にシフトするその延長には、貪欲を通り越した「眠り」に等しい生の姿を見出せるのかも・・等等の連想も愉し。
満足度★★★★
星空を見上げる幸せを感じつつ、羨望と畏怖の混じる眼差しで手元を覗き込む人波に呑み込まれ・・・あ、上下逆転はもう始まってるな。詰まる所、自分が ”そうあって欲しい” ように生きて行く、生き物。善し悪しで片付かない、ピンポン・ダッシュでチャラにはならない。方向音痴を気取る人たちへの不発(?)弾。
満足度★★★★
■約75分■
現役大学生とは思えない老練な脚本・演出に舌を巻いた。
とりわけ驚いたのは演出力。演出がポテンシャルを引き出したのか、無隣館公演で何度か見かけた役者たちがこれまでで最高の、凄みのある演技を披露。その生々しさに何度もゾクリとさせられた。
劇中人物の関係性を分かりやすく可視化する、独特なセット組みにも感心。これと関係するけれど、ビジュアルセンスにも見るべきものあり。
満足度★★★★
無隣館若手自主企画vol,15 柳生企画「メゾンの泡」@アトリエ春風舎
作品プロット『地上は汚染されて健康的に暮らすのが困難になった時代。ほとんどの人間は地下の巨大な集合住宅に居を構えている…』が、あぁ"宇宙戦艦ヤマト"みたいな世界観だな〜と不純な動機wで足を運ぶに至った訳だが、脚本だけでなく、狭い春風舎の中で表現された地下改装空間セット・それを補う照明など、SFの世界観をきちんと表現してくれた世界観にも惹きこまれた。
今日が成人の日という訳ではないが、若い世代からみた今の世の中への(生まれてから死ぬまでの有りとあらゆる場面で突き付けられる比較と格差に対する)大きな不満と少しの希望を観た気がする。