庚申待の夜に 公演情報 庚申待の夜に」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-16件 / 16件中
  • 満足度★★★★★

    我らの未来同様真っ暗クラのクラ
     ファーストシーンが象徴的。公害の実態を村に残った人々の地獄の蓋を開けて見せている点が秀逸だ。

    ネタバレBOX

    舞台は渡良瀬川流域に実在した谷中村。田中 正造が明治天皇に直訴したことでも知られる足尾鉱毒事件で廃村にされたあの谷中村である。拝見しているうちに、その後、実質的に変わっていない公害対策をひしひしと感じさせる内容と様々な被害(水俣の有機水銀、カドミウム汚染、イタイイタイ病、イラクやアフガニスタン、コソボでのDU被害、ウラン野天掘り後の鉱石放置による放射能汚染、F1人災後核推進派によるエートスプロジェクトを始めとする復興プロパガンダ等々)を有名人、田中 正造を通さず、寧ろ田中を信じ一緒に行動した民衆を描くことで悲惨の実態を描いた今作は、その救いの無さ故に秀逸である。日本人の多くは余りにもセンチメンタルに過ぎて事実を事実として認識することを避けたがるという傾向が強い。然しながら事実は事実。そんなセンチメンタリストを冷笑しているのが常であり、事実の結果を齎すことで迷妄を解くのが必然である。然しながら初手で出遅れ、まごまごしているうちに、初手に事態をキチンと見据え、分析し、有効な対応策を取るという手を打っておけば、被害は最小限とまでは行かなくともある程度抑えられたハズのことが、日本人にはできない。それができる日本人リーダーは極めて稀にしか現れないのが実情である。幕末で言えば、勝海舟、南北朝以降では執権だった北条泰時辺りか。少なくとも関東大震災後の日本には後藤新平くらいしか思い浮かばない。何れにせよ、この「国」のリーダーと呼ばれる連中は粒が小さくプリンシパルを持たぬ下司が目立つ。
     風雷紡が描くのは、こんな日本のリーダーを見限ってか。民衆である。無論、田中正造は立派な人物であり、立派な政治家であったが、その田中を信じて戦った農民たちの生活迄は彼も救うことができなかったのであり、田中ほどの弁も立たず、学問的素養も無かった民衆にとって、戦いに参加することも参加を拒否することも、何れも正造の味わう苦しみよりより具体的で切実でどうしようもないものであった。この点を描いている点で水俣を描いた極めて優れたドキュメンタリー「下々戦記」に同様、民衆という名の被災者の味わう地獄とその本質を抉り出してみせた。
     一方、刀狩、太閤検地以降農地に縛り付けられ、更に江戸時代には徹底的な朱子学の浸透の下滅私奉公を余儀なくされた武器なき民衆がその家族制度の根幹に持った家父長制は、本家・分家の分断と差別化を助長しそれは逆らい難い「掟」のように人々を支配した。そのような複雑な人間関係の中で、最も大きな被害を受けたのが、被災者のうちでも最も弱い者であった点も、今作は見逃していない。結果、事態は更なる悲惨を加えるのであるが、その事実もまた描かれる。因習や状況そして貧しさによって退路を断たれた民衆の生き死にすれすれでの儀式に隠されたもの・ことの意味を明らかにして見事である。
     同時に彼らの抱える悲惨を他人事として扱うことも、知らんぷりを決め込むことも、嘲笑うこともできない。何故なら、彼らは田中と共に戦うことを選び、投獄されて拷問を受け、鉱毒によって体を蝕まれながら、尚自ら信じたもの・ことを守ったまま生きようと覚悟するからである。この凄まじい生き様の前で誰が彼らを嘲笑えようか?
  • 田中正造先生。
    足尾鉱毒事件、田中正造。一発変換ではでてこない言葉、事件、人。公害の事実と国へ訴えた行動力も、現地の人々にはどう思われていたのか。
    伝統、風俗、そういう空気は好き。また、隣人の秘密、真相。知らぬが仏。世の中知らないでおきたいことは結構多いのかもしれない。訛りは面白いけど、前半はもっと展開して欲しかったとも。コメント遅くなりました。

  • 満足度★★★★

    谷中村の夜は更けて
    初見の劇団で若手らしい様子だが、谷中村とは・・。
    芝居は「楽園」の狭い空間にフィットする、細かな伏線が役者のしぐさに手際よく放たれる、目立ての利いた芝居だった。田中正造の没後間もなく、立ち退きに応じざるを得なくなった村人が、離散の前夜、古くからの風習「庚申待ち」で夜を徹するその一夜の物語。「村」社会らしいどろどろした内輪騒ぎが終盤に加速して暴露合戦の様相だが、その背後には「鉱毒」があり、それゆえの差別があり貧困がある、その八方塞がりの様は「とどまるも地獄、出るも地獄」の、放射能毒におかされた福島の現状に重なった。
    ただ、史実を扱った、テーマ性のある芝居をやるならもっと田中正造の実際の足跡にも言及され、「今」と地続きの「歴史」をそこに感じたかった。もっともそうなるとこの芝居の面白みは半減するのかも知れないが。
    暗鬱な雰囲気、「楽園」の使い方もうまく、大柱も生かした演出を施していた。里芋の煮っ転がしが皿に一個ずつ割り当てられ、お茶で食す場面がよい。貧しさの中の祝祭感が活写されていた。

  • 満足度★★★★

    汚れた村!
    約150年前には土地を守りたいというこのような人たちがいたのでしょう。
    最後の膿を出すまで離れることができませんでした。
    暗さ、寂しさ、悲しさを感じさせる始まりが最後まで頭に残り、芝居自体を支えていて良かった。

    ネタバレBOX

    鉱毒に侵されている村を再生できないことを解っていながら、因習によって救おうとする地主一族そこには人間の醜い心が現れる。
  • 満足度★★★

    観てきた
    昨年の「君がみむねに」に続いて観劇。面白かった……とは思うんだけれど、なんか腑に落ちない。私にとって納得できない(辻褄が合っていない)と思うところがいくつかあったからかもしれないし、東京生まれの私にとって田舎の暮らしに実感がわかないからからもしれない。でも、一番は前作のような物語の大きなスケールを期待してしまった自分かも。

    ネタバレBOX

    後半、千鶴子の子供を巡るエピソードから連鎖する感情の坩堝は本当に見事。終演まで時間があっという間に過ぎていった。
  • 満足度★★★★

    意外な展開に
    鉱毒による廃村へのレクイエム的な話かと思いきや、ちょっと猟奇的でダークなミステリーサスペンスになるとは。淡々としながらも、心をざわつかせる重く熱い芝居でした。

  • 満足度★★★★★

    とても意味深な...見事!
    明治時代の足尾鉱毒事件(1917年:谷中村が名実共に廃村)を背景にした物語であるが、その底流には現在から未来に向けての警鐘。時代背景・状況には明治期の経済発展の犠牲になった地域住民の姿、谷中村に伝わる因習やその人の心奥にあるドロドロとした情念のようなものを細密・繊細に表す。怖い印象であるが、そこに静謐さも感じてしまう。
    (上演時間1時間40分)

    ネタバレBOX

    東日本大震災における原発問題を意識していると思われる。先に記した足尾鉱毒事件(廃村)から100年、当時と違って目に見えない汚染に怯える。また震災によって渡良瀬川流域に足尾銅が検出されたという報道を考えると、過去の事件として片付けられない思い。過去の負が現在そして未来にも繋がるという負の連鎖は恐怖そのもの。まさに現代のテーマ。

    本公演では、渡良瀬川流域を意識したのか、茨城県古河市が唯一堤外の地名として挙げられている。ここまでを鳥のような俯瞰した捉え方とすれば、この谷中村で生きてきた人々の古伝、因習なり家制度に絡んだ人間模様は地を這う虫のような観せ方になっている。この個々人が持つ感情を丁寧に掬い上げる。もっとも陰湿な感情からすれば泥水を掬い上げているかもしれない。人が持つ清濁...清い心に沈殿していく澱(おり)は、その地の閉塞感、疎外感が遠因かもしれない。一方、古来から地域連帯という村意識という言葉も耳にする。こちらの目に見えない感情も、別の意味で怖い。心の闇を抉り出すような人間観察が鋭い。
    個々(戸々)の心情を炙り出すことで、社会のあり様が浮き彫りになるところが大きな魅力であると思う。

    この怖い雰囲気を、シンプルな舞台セットが醸し出す。二面客席の最奥(出入り口反対側)に神事台のような。その左右に壁塗布が垂れるようなオブジェのようなもの。それは土色のように汚れ、照明があたると怪しげな雰囲気になる。その中で役者陣は怪(妖)しげな演技、雰囲気を漂わす。登場人物の性格付け、立場の確立は見事であった。

    当日パンフも丁寧に作られていたが、その中の用語集に「魂呼ばい(たまよばい)」の説明があった。本公演、上演期間が地域によって「盆の日」のとらえ方が違うかもしれないが、盂蘭盆(うらぼん)にあたるような...。

    次回公演を楽しみにしております。
  • 満足度★★★★

    人の怖さ
    古い慣習と公害を軸に、廃村の旧家の最後の夜の物語。人のエゴと怖さを見せつけられた。夏に相応しく(笑)、寒々とした話でした。
    時代によっては、平凡ながら地元で幸せに暮らせたであろう人達が、生活にも心にも余裕を無くしてしまい、道を間違えてしまう。いや、他にも方法がとか違う道がとか言えるのは当事者でないからか。
    役者さんは、皆上手く、違う舞台でも観てみたいと思える方が多かったです。

  • 満足度★★★★★

    無題1905(16-195)
    19:00の回(晴)。

    18:10会場着、受付(整理券)、18:30開場(相変わらず右へ)。

    薄暗い舞台、灯りが赤くチラチラ、何本もの柱に囲まれ閉塞感、赤い床面、客席奥に横森さん。18:57前説(アナウンス)、19:04開演~20:38終演。

    雪乃さんは初めて観たときから6年経っている。大きくなったし善い(良い)声を持っていると思います。

    伝奇、言い伝え、因習、捧げもの、社会(歴史)の中の鎖、盲信すべきもの、集団と個人。

    なかなか歯ごたえ、ずっしり感ある作品でした。

    「生贄」wikiってみると神話の時代から今に至るまで出てくる。

    だいぶ前に観た「Apocalypto(2007年 メル・ギブソン監督)」がイメージされる。※「裸のジャングル」もTVで観たことがあります。

  • 満足度★★★★

    闇の深さ
    人間の闇を描いた作品だが 悪人はひとりも出てこない。だからよけいに重く感じるのか。ナガラの存在に 微かに光を感じる。

  • 満足度★★★

    何故今、谷中村か
    社会派とは言っていないが、社会的な話題を取り上げることが多い同劇団だが、本作は足尾鉱毒事件の谷中村を舞台に、最後まで残った家族の一夜の物語を舞台化した。おどろおどろしい展開の中、秘密が少しずつ露になってくる状況は面白いし、楽園という小空間でスケールある展開をしているのは巧い。ただ、なぜ今、谷中村を扱うのか、疑問は残る。

  • 満足度★★★★

    社会派
    近代化に取り残された寒村と言い、庚申待という儀式と言い、いかにも妖怪や化け物が似合いそうな設定で始まるのだが、状況が分かるにつれて社会派劇の色が濃くなる。人間社会の利害が生み出す軋みが悲惨な結末を招く過程が恐ろしい。現代の似た状況と重ね合わせると背筋が凍りつく。意図的ではないだろうが、やや強めの冷房も効果的だった。

  • 満足度★★★★

    濃密
    濃いというか、重いというか。まるで鉛を背負ったようなズッシリ感にあふれた1時間34分。とても見ごたえのある作品。古い時代の、村社会の封建的な生活風習がリアルに描かれている。フライヤーを見ると作者も出演しているはずだが、名前はよく目にするがまったく面識がない(当日パンフレットは後で読む)ので、どの人だかわからなかった。4ヶ所ほど台詞を噛んでいたのが、惜しい。

  • 満足度★★★★

    独特な怖さ
    鉱毒被害、そして閉鎖的な人間関係で、身体的にも精神的にも破壊(?)していく姿が、すごく怖かったです。何とも言えない独特の怖さでした。重く暗い内容でしたが、役者さん達の熱演で、目が離せませんでした。原発を彷彿させられる舞台で、考えさせられる気がしました。何と言ったらいいのか分かりませんが、すごかったです。

  • 満足度★★★

    重い話だ!
    庚申待の夜、あまりにも厳しい。鉱毒被害と強制破壊ですでに廃村に等しい谷中村。何か、原発の福島の悲惨さとつながる。演劇の1つの表現形態。まだ初心者の私には、重すぎる話であった。

  • 満足度★★★★

    こけら落とし観劇です
    えぐいなぁと・・・心に楔を打ち込まれて
    ずーっと記憶に残るであろうダークな世界観でした・・・
    1時間35分が2時間以上に感じられた濃厚な作品でありました

    明るい話を望む方は
    ご覧にならない方が・・と忠告!

    ネタバレBOX

    次代を担う女性にはキツイ話ではとも強く感じました
    鉱毒 出産 村八分・・みたいな
    和風ダーク世界観がどーっと身近に押し寄せる話です

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