満足度★★★★★
2016観劇初め
2016観劇始め。ゴドーを待つが如く、電話を待つ二人の若い女性。誘いを待つというより、互いの大切さや関係性、「好き」かどうかを探る会話劇。いや会話劇というよりも、身体表現。相手を必要とするベクトルのズレが痛々しい。涙が出るのを抑えるのが大変だった。●二人の距離感に最初から違和感があった。でもそれは作品の完成度や演技の質の問題ではなく、それこそが二人の関係性だった。二人とも孤独と戦っている。それを埋めるように互いを求める。でも「好き」の捉え方や「触れる」ことの価値観に相違がある二人。●要求と欲求と渇望。ベクトルが一致しない二人は、笑っているのに悲しそう。取り繕う100の言葉の中に1つ本音を潜り込ませる。「キミはワタシのことを好きなの?」二人の間でスキのベクトルが行ったり来たり。気持ちの不安定さや揺らぎを、明暗をクルクルと変える照明が語る。●言葉は魔法。確かに言霊ってあると思う。ネガティブな言葉で「楽しいが死んだ」りする。「何かした?」と尋ねる人はみな、極限の悲しみに沈んでいるだろう。死んだ「楽しい」を蘇らせようとする彼女の戦いの熱量に心が灼かれた。●藤松祥子さんの「哀しさ」は超一級品。一目惚れした、アマヤドリの『悲しい悲鳴』で見せた絶望の淵に立つ女学生の涙と同じだ。愛くるしい笑顔とのギャップが藤松祥子さんの真骨頂。今晩も、MOZUの孤独との戦いを見守りに行こう。●2日目。変化に舞台はナマモノを再認識する。前半のテンポが上がった?言葉は数段明瞭になった。照明の光度も上がり観やすくなった。それとともに、二人のオフェンスとディフェンスの攻守がハッキリした。そして、永遠に続くように思える孤独の淵に導くような10カウント。●明るい♫イッツ・ア・スモール・ワールド🎶が切なさを増幅させる。人は、無人島の孤独なら生きていけるが、人と居ながらの孤独には耐えられない。スキンシップしたい女の子と、近過ぎる距離を恐れる女の子。その違いを埋める愛想笑いが痛々しい。浮き彫りになる困惑。●目に見える1番の不条理は2度目の電話を流すコト。この世の不条理は「好きな人が、同じ分だけ好きになってはくれない」というコト。それはむしろ、真理なのかもしれない。娘が、あんな孤独と格闘することになったとしたら…想像していたたまれなくなった。楽しいは生き物だ。
満足度★★★★
劇伴と作品の相性も良し/約70分
空元気を振り絞って明るく前向きに生きようとする女子2人を不条理劇的シチュエーションのもとに描く。
女性登場人物が常にヘラヘラしているのがこの作・演出家の劇の苦手なところだったが、今作ではそのヘラヘラした虚ろな笑顔が、いま日本に生きる若者たちの寄る辺なさ、諦念などを表しているかにも見え、いい効果を上げているように思った。
決して分かりやすい劇ではないものの、演劇でしか表現しえない何かを伝えてくる一作で、惹きつけられました。
満足度★★★★★
・・・これは結構・・
観客が男性か女性かで見方がだいぶ違ってきそうな・・
ほとんどの男性客が観た場合、これを見ても渋谷のハロウィン騒ぎくらいしか思いつかないんじゃないんだろうか?
それを待つ人というか。
・・例えば日曜日にZEDDのツアーが幕張であるけど(自分はいかないけど(苦笑
このZEDDが日曜じゃなく、いつか来て未知のワクワクするパーティーに連れ出してくれるのを待つ女子二人と考えて自分はこの舞台を観てみた。
満足度★★★★
不条理劇入門?
当日パンフにあるように、ゴドー的不条理劇をイマドキの女の子でやってみるという試みは興味深いし、一応は成功していると思える。2人の女の子がパーティに呼ばれるのを待っている、という状況の中で語られる会話は確かに今の女の子らしいものだし、電話という存在が待っていることの象徴としてしっかりと意味を持っている。ただ、終わり方はこれでよいのか、という気がしないでもない。ある感触を作りたくてやっているとは思えるけれど、もっとバッサリ終わってしまってよいような気もする。
藤松さんの身体性はなかなかの見応え。照明と音響(音楽)の使い方は見事だと思った。
満足度★★★★
AnKが進化していた。
AnK好き、藤松さんと井上さんのファンには堪らない、終始キラキラ感が心地よい仕上がり。
面白さを度外した、全身で受け止め感覚的に楽しむ作品。
多少モヤモヤを抱えつつ、よう判らんけど最後まで前のめりになっていた。
何度リピート観劇しても面白くないかもしれない。それでも、もう一度観てみたいと思わせる良さに溢れていた。