満足度★★★★★
芸術に
芸術に人生を捧げる人たちの心の叫びのような作品だった。「才能」という言葉で、努力も苦しみも凌駕して片付けてしまうことへの憤り。全ての苛立ちが、堀夏子さんの右足の貧乏揺すりに表れていた。それにしても、作品毎に違う表情を見せる堀夏子さん「才能」に脱帽。肉体の死と、存在感(価値)の死。人はある時期に何故か「生まれた意味」「生きる価値」について考える。同時に「死」への逃避に目を向け期待を抱く。純粋に生きようとする人間ほどその傾向にある。鈍感力が生きる力を生む。ただ、純粋さは紙一重。芸術の世界では、それが価値あるものとして認められることもある。確かに生命力を手にできずに息絶えるものも多いだろう。記憶の中の三人から「絶対大丈夫」が、芸術に人生を捧げる全ての人たちへのエールに聞こえた。その道で死体と化した者たちの向こうに横たわる彼女は、問題ある正常の先へ両足を突っ込んでしまったのか。彼女の脇で読み上げられたメッセージが、「才能は万能じゃない」という芸術への弔辞であるならば、彼女が起き上がったことが意味するものに未来を託そう。原田つむぎさんは器用な女優さんだ。拗ねてキスを迫る同性愛者が可愛すぎる。破天荒な二世芸術家の毒の強さはリチャード4世の姿勢の悪さのように強烈。一番好きだったのは「捨てましょう」のキャスター?決め台詞がツボ。ラストの東に対する行為が意味深。「叫んでいいんだ!叫べよ東!」が、現代の若者へのエールのようだった。彼女が庭に放り投げたものは、夢か希望か…人生か。彼女が大きく吸い込んだものが、過ぎたるは及ばざるが如しものなのかもじっくり考えよう。堀夏子さんの深呼吸と過呼吸がスパイラルしている。
満足度★★★★★
この作品は・・
「面白さ」を評価する作品じゃないのかもしれない。
・・というのも美大の作品なんかをたまに見たりすることがあるんだけど
ここに出てくる登場人物と全く同じといって良い学生たちを(作品の中に)見付けた記憶が何個もある。
満足度★★★★
型すかし
言葉と音楽で攻め込んでくるcui?の世界が好きだったけど、今回はたんたんと物語は流れていく、もちろんいつものように役者から放たれるセリフは、毒を含んでいるけれどずかずかと心には踏み込んではこない。
もっと攻めるロックな演劇が見たかった。
役者さんは、皆さんうまくて、お気に入りは妹役の女の子です。
無題1672(15-361)
19:30の回(晴)。
19:03受付(整理番号付)、19:13開場。
正面にタイトルが投影され、手前にはタイルカーペットが部分的に敷かれ左右に椅子(各2脚)、上手に観葉植物、空気清浄器。
「きれいごと、(2014/5@眼科画廊)」「暴走~(2015/2@ここ」、「Cui?」3作目。
タイトルだけでは内容がわからない。
石松さん「初雪の味(2012/12@アゴラ)」、原田さんは2015年では先月の「メゾン(2015/10@Broader)」と「uni001 パン演劇(2015/7@ぶな)」。
3作目を観て、冷え冷えとした空間、歪んだ感情、恨み節、出口が見えない状況などが極端にデフォルメされたカタチで提示されたようにみえました。
劇場の外の世界とは隔絶された作家の深層を描いているのか、内容面や表現方法にはほとんど共感できず、セリフが繰り言集のように聴こえてきました。
もし、持って生まれた「才能」というものがあったとして、それを活かすのは努力を惜しまないもうひとつの「才能」があるのかどうかなのかな、と思ったり。それもすべて相対的。