震~忘れない~ 公演情報 震~忘れない~」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2016/01/23 (土)

    震災関係の作品はかなり観るようにしているが、ボランティア側に重きを置いているのは初めてだった。泣けた、一部ちょっと心すさむ描写があったが、題材上重要な個所だったと思う。美術が頑張っていた。

  • 満足度★★★★

    ドキュメンタリー風
    東日本大震災から5年、改めて地震・津波の天災とそれに伴う人災を問う。ドキュメンタリー的手法のような公演であった。それは既にTV映像や新聞報道で既視し、または既報された出来事をいくつか挿話として繋げているように思う。
    創作劇としての物語ではなく、当時起こった、またはそれに起因した出来事を描いているが、その展開は系統・時系列のように整理はしていない。その場面、シーンの不連続な重なりが各所で起きている出来事の臨場感と現実感を生んでいるが...。

    (上演時間1時間50分)

    ネタバレBOX

    冒頭の地震・津波による轟流・轟音はすごい迫力があった。この物語の緊張感は、このシーンで掴み全体イメージを形成した。そして起因した出来事を踏まえた上で、そこから生じた問題を色々な立場や観点から描く。1つ1つの出来事は、エピソードのようになるため冒頭の掴みが重要になっている。
    その描き方であるが、5年の歳月を経ていても悲惨さは直ぐに実感してしまう。もっと言えば5年を経ても...この間に何(復興の進捗)をやってきたのだろうという思いを強くする。それだけに感情ではなく客観的に描くことで、今の現状が浮かび上がる。そこに今、この公演を行う価値があった。

    一方、人災(原発)は、人の利害、行政の思惑など色々な要素...背景・状況などが錯綜し、制作者として第三者的な言動は炯々には言えないだろう。さもしたり顔したとしても当事者の心情に響かないし、芝居を観るている観客の心魂を揺さぶらない。

    ドキュメントにすることで事実(または類似)の重みが伝わる。そうすることで「原発事故」は日本人全体との問題、「福島の人は大変」などという他人事にならない。観客が自分のことのように考えてもらう工夫のようなものがある。
    マスメディアからの情報はもちろん、取材もしているのではないだろうか。

    架空の出来事ではなく、実際起きたこと。同じ時代に生きても、その体験、視たことがなければその痛み・悲しみが見えないし共有することもできない。
    物語は十分、その魅力を惹きつけるが、やはり展開が細切れのような...。
    もう少し創作...感動的シーン(はぐれた子供との再会も早く、その心配する様子も平面的)を(魅せるため)盛り込んでも良かったと思うと、少し勿体無い公演になった。

    舞台美術、音響・照明という技術は素晴らしく、物語の重厚さを増す役割を果していた。

    次回公演を楽しみにしております。
  • 満足度★★★★★

    あの日以来
    起こったであろう出来事をすべてではないけれど、描かれていたのではないでしょうか!?なかでも、阪神淡路大震災の体験者が登場していたのが、自分の中のもやもやを少し解消してくれました。あれからもうすぐ五年。「まだ」なのか「もう」なのか、どちらにしても、これからも忘れず、気にしていけたらと思いました。

  • 満足度★★★★

    良かったです
    急遽行きました。
    いろんな人のいろんな環境の差が出ていて、考えさせられました。
    ところどころ泣くのを耐えていたんですが、最後はやはり無理でした。
    感動しました。

  • 満足度★★★★

    硬め
    良質な舞台ではあるものの・・。
    この手の作品は、独特な切り口によるアプローチであったり、エンターテインメントとして昇華せぬことには芸術鑑賞・社会科見学の域を出ない。

  • 満足度★★★★

    本当に深刻な問題は別にある
     忘れもしない2011.3.11 14時46分に東北を襲った大地震による津波を扱った作品だ。

    ネタバレBOX

    自分の知り合いで親族・眷属を亡くされた方々も多い。関東に住んでいる自分が、地震酔いを経験するほどその後の余震も凄まじいものであったが、3.11以降の1か月間の余震の数は確か千回を超えていたハズだ。何れにせよプレート型の地震だったから、余震で地殻の層相互の力の鬩ぎ合いががっぷり四つになるまで続くということなのだろう。だが、一部の良心的な学者を除いて、この植民地の「学者・専門家」は、大抵は企業や利害団体や権力者の太鼓持ちであるから、プレートテクニクスが現在世界の地震学の主流を占めるというのにこの見地に立つ研究者が少ないということである。無論、新しければよいということではない。正鵠を射ているか否かで、正鵠を射ることができないならば、それは本流にしてはならないというだけのことだ。因みに大陸が動くというのは、最早、小学生にとっても常識であるのに(自分も大陸移動説は小学校高学年の時から支持していたし)マグニチュードの規模を小手先で修正して、恰も未曾有の災害であるかのように装った。被害の甚大は、自分達の嘘と詭弁、諂いの結果の人災であることを誤魔化す為以外のどんな目的があったと抜かすんだろうか? 東北太平洋岸の津波については、水産高校出身である自分も航海実習で気仙沼等を訪れた際、大津波に何度もこのエリアが襲われていたことを示す事実を教えられていたし、リアス式海岸なので、人々の生活エリアに近づくほど津波が高くなる話も聞いた。所謂「専門家」が抜かすような頻度ではなく、津波は襲って来ていたのである。
     然し、3.11より余程深刻なのは、3.12である。即ちF1人災である。福島第一原発のメルトスルーだ。これも明らかな人災であるにも関わらず、東電の責任者らは、キチンと罪を問われていない。通産官僚、文科省官僚も然りである。これだけの人災を起こしておきながら、責任ある立場の者が、のうのうと贅沢をしているというのはどういうことか? 放出された放射性核種は200種類以上、現在も汚染水はダダ漏れであることは誰もが知っている。
     F1人災によって、被災者は、ディアスポラと化し、或いは現地に住むことを余儀なくされて被ばくに甘んじ、余所に疎開した者、特に子供達は、苛めや差別の対象となった。無論、地域の文化・アイデンティティー、歴史、先祖代々耕し続けて飢饉の時には娘を売り、肥沃で柔らかな、作物の生育しやすくした土地も、そこから得られる安らぎや生活の充実感や幸せに繋がる何もかもが永遠に失われた。因みにウラン238の半減期は44億6800万年である。ほぼ、地球の年齢だ。そして、これが生命体に対して無害化するまでには更に10倍の年月が掛かるから、当然、地球は巨大化する太陽に飲み込まれて存在していない。これは物理学的な絶対である。この法則に逆らえる者は居ない。
     原子力の専門家と抜かす太鼓持ち共は、どう考え、どう答えるのであろうか? 放出された総ての核種の発表とその量、半減期の説明程度のことは、幼稚園児・小学生から老人に至る迄誰もが分かるような形で直ぐに発表されるべきであった。フィルターもなしにベント迄したんだから、この程度のことはやって当たり前である。
     ちょっと興味深い情報を提供しておこう。https://www.youtube.com/watch?v=6-m_dDD0WZc http://www.at-douga.com/?p=11024 https://www.youtube.com/watch?v=mKPpLpam6P0
    必見である。

  • 満足度★★★★★

    それぞれの立場が・・・
    良く表現されていたと思います。良い芝居でした。 
    感動し気がつくと涙が。

  • 満足度★★★★★

    涙が止まりません
    被災した方、それぞれの思いが細かく表現されていて、凄いと思いました。
    ボランティアの方の複雑な心境も、切なく響きました。
    涙が止まらない程悲しい気持ちになりましたが、最後は、ほっとさせられて、悲しい思いを引きずらず、よかったです。

  • 満足度★★★★★

    泣けました。
    東日本大震災の話で仲間・家族が亡くなった時思わず泣いてしまいました。実際にあった話だけにグッときました。とても感動しました。

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