満足度★★
歌とダンスは○
ストーリーは平凡だがまぁまぁかな。でも,劇の中にシンポジウムのゲストを登壇させてどうすんの。彼らがモタモタして,芝居のテンポも狂ったし,第2部のシンポジウムに繋げたかったのかもしんないけど,あんまし意味のあるものとも思えなかった。シンポジウムも得るものはなかったしなぁ。趣旨は誰もが賛同するの,反対なんてしないでしょう。あとは方法だよね。それだって,いろいろな人の立ち位置があるから,どちらが正しいなんて言えないし,いろいろ考えながら聞いていたけど・・・あ~ぁ。歌とダンスは良かったと思います。ヴァイオリンは・・・好みなのかもしんないけど,嫌いだなぁ,キーキーと高音ばかりが耳障りで,音に深みがない。大仰な動作で弾くよりも,音を追求してほしいと思ってしまう。サントリーホールは大好きなんでよく行くけど,小ホールとはいえ,サントリーホールであんな音を聴かされると思わなかった^^;
満足度★★★
盛り込みすぎ
第一部「ミュージカル」、第二部「シンポジウム」という構成であるが、その組立て方に工夫が必要だと思われた。それこそ観せるのが先か、聞かせるのが先か...。中途半端な形での公演になったと思う。
”劇“が終わったところで席を立つ人が多かった。その後のシンポジウムで訴えたかったのではないか。しかし、そのシンポジウムも登壇者の自己紹介のような発言で、全体としてのまとまりがなかった(全体で約30分で、本当にアピールのみ)。
この”環境”の重要性は誰もが疑わないだろう。ただその考え方、取り組み方は人の立ち位置によって異なるだろう。
さて、第一部「青い地球は誰のもの 『OUR BLUE PLANET』」の登場人物は、演奏家、ミュージカル俳優、舞台俳優、声楽家と、それぞれ違う分野(音楽として括る)で活躍している人達である。周知イベントとして各分野の協力を得て成立していることも分かる。
その上で、あくまで観劇という観点での感想は、個々の素晴らしい演奏なりは楽しめたが、全体として魅力の融合は観られなかった。本当に特長が生かしきれていないのが残念である。
合唱で気になったことが…。
満足度★★
期待はずれ・・・
団体の主旨には賛同できるのだが、本公演は期待はずれだった。
物語は面白みがなく、脚本・演出、構成にも“斬新さ”を感じられなかった。
欧州国連本部公演で絶賛された上演と、今回では内容が違うのだろうが、本作を“音楽劇”と謳うには程遠く、その出来はお世辞にもいいとは言えない。
これだけの出演者を集めて、この内容では勿体無い。
満足度★★★
ああ勘違い!
余りにも当たり前のコンセプトを、恰も未だ大衆レベルには浸透していないとでも言わんばかりの官僚的態度と侮蔑に対し、あなた方の方が遅れているのではないか? と問いたい。人間にコントロールできない技術が具体化し、兵器として用いられてからだけでも70年の月日が流れた。然も、未だにこの技術をコントロールする術を現在、地球上に生きている誰一人として知らない。更に悪いことにこの技術は、人間以外の総ての生き物に対して悪影響を及ぼすにも関わらず、そしてこの技術を無害化できるか否かは措くとしても、廃棄するか否か、廃棄する際、考え得る最少のリスクで処理し得るのも、ヒトという極めて愚かな生き物しか、現在、この地球に存在しない。このことも同時に考えなければならないのである。
今回、国連も関わっているので、誰でも知っているべきことながら、日本の大衆はあまりにも愚かなので、再度、言っておく。国連の機関にはWHO(World Health Organization)が存在しているが、核に関する健康被害についてはIAEAとの間で1959年5月に結ばれた「WHA12-40」協定で、WHOは独自の見解を出せない。無論、この不条理は、IAEAのバックは国連安保理であり、WHOは、国連の一機関に過ぎない、という政治的現実が横たわっているが、国連の本来目指した理念には違背する。この根本的矛盾をどう考えるのか? にも答えてもらいたいのである。
また、アメリカの植民地日本の経済産業省は、発電中にCO2を排出しないとして原発推進を掲げているようだが、嘘をついてもらっては困る。現実問題として、F1人災でも明らかになったように原発は核燃料を冷やし続けなければ大災害を不可避的に引き起こす。これは、原発を停止した後も無論である。実際、F1人災はこのようにして起こったのだ。
CO2排出に関してアウトラインを述べておこう。現在主流の100万キロワット級原発一基は、稼働中、300万キロワットの電気を生み出すだけのエネルギーを生み出している。では、200万キロワット分はどこでどうなっているのか? 日本の場合、殆どの原発が、過疎地の海辺に建てられているので、海水を温めているのである。その規模は、一秒に70~80トンの水の温度を7度上げる。当然。水中に溶け込んでいるCO2は蒸散する。したがって原発も温暖化に寄与するのだ。(この言い方で分からないならコーラを温めたらどうなるか考えてみよ。幼稚園児でも気の利く子なら分かる理屈だ)キチンとしたデータは、推進派ではない科学者たちの設立する第三者機関の持つスパコンで計算してもらうほかはないだろうが、国連なら、この程度のことは既にやっていて当然、30~40年前にデータを出していて当然のことなのである。そのような実績があって偉そうな態度をとるならば、それなりのエリートと認めようが、子供も多く観ているし、参加しているとはいえ、ミュージカルとして、演出家が、各々は、優れた技術的才能を持つアーティストを登場させながら、政治家、学者、委員などを登壇させて気を使う余り、ミュージカルの一要素として組み込めていないことは、観客に対するおちょくりである。おちょくりならおちょくりでよい。芸人としての芸を見せよ! できないならば、ミュージカルなどと銘打つべきではない。アーティスト及び観客に対する侮辱である。
以上のようなことにも気付かないレベルだから、折角、終演後に観客とも対話するチャンスがあったのに話題を開くこともできず、観客からの知恵・批判も吸い上げることができないのだ。こういう頭脳を傲慢故の愚か、という。また、登壇した発言者総てから、今後のパースペクティブに纏わる提言が無かった。そんなことで、運動体が形成できると思っているとしたら、本物の愚か者である。更に、一般に知らしめることに関しても、例えばMSNは、産経とマイクロソフトが組んで、無料でそれと知らない若者の頭を右翼化させている訳だろう。そうでないというなら、そうでない証明をさせるべきである。本来多様であるべきメディアの報道姿勢や報道内容を一元化すること自体ファシズムであり、数の論理をごり押しすることは、理性の崩壊とまでは言わなくとも、無言化であることは意識しておくべきである。本物の、表現する者である以上、この程度の見識は、持っていて当たり前だ。
満足度★★
興味を持って! 環境問題に!!
ってトコは理解・共感・賞賛・同調できるのだが・・・・
前半の芝居部分=90分は音楽こそ素晴らしく感じたが、
出来はと言うと・・・かしらねぇ・・・・。
眠くなったし~
目的の為の手段にも、もう少し配慮+αが欲しいなぁと思われました。
満足度★★★
要パワーアップ
環境保護を通して世界を向上させようという崇高な主旨を持って啓発活動をしていることは理解。前半のミュージカルにせよ、後半の各界の先生方のスピーチにせよ、もっと詳しいことを聞きたいと思ったところで終わってしまって腹5分目くらいで帰宅。興味を持つきっかけを提供するだけでなく、もう2〜3段階レベルがアップした濃い〜バージョンのイベントも用意してもらいたいと思いました。