アイ色バースディ 公演情報 アイ色バースディ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-14件 / 14件中
  • ベテランの
    皆さんのベテランの感じを感じ
    安心して見れました。
    場面のいろんな使い方もあると関心
    また見たいです。

  • 満足度★★★★★

    潤んだ。
    満席の客席には年配層の方も多く。
    ゆったりとしたテンポで進んでいったのは劇団の作風なのか
    客層に合わせてというところなのか。

    人情話はあざとくなると辟易するものですが、
    丁寧に作られると簡単に涙腺が決壊して土嚢足らずです(笑)


    登場人物の誰もが幸せになってほしいなーと思える、
    「晴れ晴れと愛あふれるドラマ」でした。


    現役どぼじょさんはどんな感想もたれたのかなー。

  • 満足度★★★★

    土木女子
    割と前面に出ていましたが、実際は家族とそれを取り巻く人々の話、温かさを感じる舞台でした。前作でも思ったのですが、ポイントになる絡みをしてくる、今回でいえば派遣で来ている人のバックボーンをさわりだけでなくもっとしっかり観たいと感じました。

  • 満足度★★★★

    期待以上の舞台・・・
    “劇団光希”初観劇。

    過去公演の評価も高く、20回という節目の公演ということもあり期待して劇場へ。
    結果、期待通り、いや、期待以上。評価の高さが、なるほど頷けた舞台だった。

    二時間超の上演時間も、脚本がいいのでしょうか、長くは感じなかった。

    ともすれば、前半が冗長な感じを受けてしまうかも知れないが、
    それは、後半の“ドラマ”への布石であり、
    物語の“テーマ”を、より“感動的”なものにした、と思うのです。

    人それぞれの“アイ”を感じられた作品でした。

    皆さん好演でしたが、特に“平山和宏”さん、“森下知香”さんがよかった。
    二人のやり取りのシーン、迫真の演技が素晴らしかった。

    そして“村松幸”さん、「“役”を演じきる」という気持ちが伝わり、好印象。

    「笑いあり・涙あり・意味のある芝居・心に残る芝居を目指しています」
    という、“劇団光希”、好いですネ。

  • 満足度★★★★

    無題1506(15-194)
    13:30の回(晴)

    12:55受付、開場。上手に小上がり、テーブルに椅子。下手は戸外(?)、
    ブロック塀、階段、暑い季節のようで数ケ所によしず。

    何気なくかかっている音楽に耳を傾けると「Big Country」「Culture Club」など懐かしいもの。

    小奇麗なものやお洒落なものはひとつもない部屋。

    6作目になりました、ここ「KASSAI」は「サークル(2013/8)」から続けて。

    13:31前説、13:38開演~15:55終演。

    主役の森下さん、座れば膝を揃えて...などということはなく、汗と泥、汚れまみれの現場、加えてぶっきらぼな言い回し。でも、そのどれもこれもが「みたまま」「聞こえるとおり」のものではないことをお客さんは知っているはず。何箇所かセリフのつながりに「?」っと思うところはありましたが、いいお話に出会えたと思います。

  • 満足度★★★★★

    タイトル通り
    心が温まりました。  最初は少し乱暴な感じがしましたが、大好きな作品になりました。」やはりハッピーエンドは良いですね~。

  • 満足度★★★★★

    心温まりました
    何気ない日常が、温かく丁寧に描かれた作品でした。愛や優しさのある人達の中では、何気なく過ごしている日々は、こんなに価値のある素敵な事なんだな・・と思いました。役者さん達は皆、自分のキャラクターを、自然に魅力的に演じていました(お手伝いさん役は、少しぎこちなさを感じましたが、温かな人柄は伝わってきました)。笑いもあり、考えさせられる台詞、同感出来る台詞も沢山あり、涙腺が緩みました。それに、土木女子、カッコ良かった!とても心温まる素敵な舞台でした!

  • 満足度★★★★

    楽しめました
    ガテン系の職場が舞台とあって、ちょっと乱暴でキツイけど、身に染みる慈愛のある家族ドラマでしたね。第20回という節目の公演にふさわしい、実に劇団光希らしい舞台。しばらく休養されていた森下さんの元気なお姿を観ることができたのが何よりです。

  • 満足度★★★★

    祝20回公演
    3年ぶりの光希,作風は変わらず優しさに包まれていた。「観てきた!」のコメントを見ても,この劇団がみんなに愛されている劇団であることがわかる。さて,今回の作品,ドボジョは熱かった,愛にあふれていた,そして家族,仲間への愛に悩んでいた。愛するが故にその方法を間違ってしまうこともよくあること。みんな抱えているんだね・・・。久しぶりの光希の芝居,期待は裏切られなかった。ただ,期待以上のものもなかった。なかなか難しいと思うが,でも,思わず涙を流してしまう,そういう芝居を光希に期待している。次回作,期待します。

  • 満足度★★★★

    心温まる家族愛
    心温まる家族愛の物語で、ラストでは目頭が熱くなりました。舞台セットも一つ一つのセリフも丁寧に作り上げてあり、20年の円熟味を感じました。ただ、先の展開が読める感じで、もう少し意外性とか捻りが欲しい気もしました。

  • 満足度★★★★

    20回公演おめでとうございます
     日本社会を特徴づけるのは、principleの無さであろう。(追記No.1 2015.6.24
    ) 劇団“光希”は、最も信頼している劇団の一つ。だから、社会の鏡として拝見している部分があり、その鏡が日本を表すならば、ということで今回このようなレビューを書かせて頂いている。その追記1である。2迄で完結するかどうか分からないが、2は近い内に発表する)

    ネタバレBOX

    中国、イスラム諸国、インドや欧米とは決定的に異なり、行動を規定する原理原則が欠如しているのが、この「国」の特徴である。即ち、ここに欠如しているのは、決定的孤独でもある。自らの存在の下に広がる無限の空洞或いは無を意識した上で、我は何処から来て何処へ行くのか、という根本的問いを対自的実存レベルで問うことのできない不完全な人間が圧倒的に多い、ということをそれは意味する。
     では、principleの欠如する社会ではどのようなことが起きるか? 原理原則を打ち立てることが出来ないから、哲学とリンクした数学も論理学も生まれない。結果、原理原則は年を追うごとに成立する条件から遠ざかる。そして、明確な判断基準を持たぬまま、社会維持の方法として優しさを演ずることや他人の心情を慮る技術ばかりが発達する。それの出来ぬ者は、沈黙に身を浸す他は無くなる。この為に、人々は、個人を持たず、謂わば鵺の集団として現れることになる。今作は、20回公演を迎えた劇団光希が、この集団、日本とそこに暮らす個々の鵺的人々の気持ちの慮りに焦点を当てた作品である。
     物語は、時田組という工務店を中心に展開する。当然飯場 の仕事が多いが、河川の増水時には、補修等も行う。町場職人の親方の家の話である。修は男の子には珍しく大のお父ちゃん子、この家の長男で末っ子である。而もちょっと知恵遅れだ。
     ところで、今作、オープニングがちょっと変わっている。通常、オープニングで舞台が明転すると、役者が板についているものだが、今作では、ピンスポの当たったエアメールの封筒が照らし出されるだけで、後は、音声が流れてくる。そして、薄暗がりの中では、増水した河川の氾濫を防ぐための土嚢を積む作業が行われている。ゴリラのような体躯をした親方は、土嚢が30体ばかり足りない、と補充指示を出した。
     再度明転すると3年後。時田組事務所である。現場が中止になった為、古くからの職人コウさんと二女で社長の直ネエが朝からビールを飲み始めた。中止の指示をキチンと聞いていなかったマイが若手のアキオとやってくる。(以下追記No1にゃ~~~)他の組から手伝いに来てくれているタケさん、長女で建設重機のオペを担当しているマリねえ、他に出戻りで事務を担当する三女、ミコねえ、更に3年ぶりに借金を精算して戻って来たケイゴ。OL時代会社の行き帰りに見掛けるナオの仕事ぶりに憧れて転職した変わり種のマミも入社した。現在では飯場での請負仕事を務めるこの工務店で働いている。劇中にも喧嘩になりそうなシーンやイザコザが描かれているが、実際、喧嘩は日常茶飯事であった。今でこそ、ペナルティーがきつくなって現場での喧嘩は随分少なくなったが、筆者が職人をしていた頃は、組織に入っている者も多かった為、刺青を入れた連中と年中喧嘩になったものである。互いに獲物は持っているから、ヘタを討てば命を獲ることにもなりかねない。実際、二十数針縫うような大怪我をした奴も居た。こんな喧嘩が年中起こっていたのも、一つには、絶対的なルールが無い為にアナーキーな状態が日常的だったことも影響しているかも知れない。何れにせよ原理・原則が自らの精神の内側から己を監視するような世界観を、日本人の殆どは持っていないのではないだろうか? その代わりと言っては何だが、日本人の内側にあるのは、他人の目である。相互監視は、江戸時代の武家諸法度を始め、禁中並公家諸法度、寺院諸法度等での統制の他、民衆支配には五人組が用いられ、相互監視と連帯責任とで民衆を縛りつけ、自由と自由を求める発想・行動を著しく制限した。因みに現在も続けられている回覧板による相互監視制度へ繋がる制度であり、戦中は隣組として機能していた。日本人が、敗戦後自らの主体的責任を自ら問うことが出来なかった理由は、自らの判断と責任に於いて何事も為してこなかったという「事実」にあるのかも知れない。そして、この思考に於ける主体の喪失こそ「表徴の帝国」でロラン・バルトが指摘した意味の喪失、即ち空虚という名の中心だったのではないか? 無論、仏教の第八識を持ち出して、それを中心に据えようとする発想はあり得る。然し、日本の仏教の多くは既に形骸化し、そのように深い主体・抽象的な主体を護持し得るものとは既に言えまい。従って、日本人の大多数を占める大衆は、この空虚を中心に据えることによって一種の自由を得ると共に無責任な体系を甘受したのである。
     一方、このような条件下で、もう一つ働く力が人情である。そして、今作の描く中心、即ちもう一つの柱が、この人情なのである。然し日本社会の持つ、自らが絶対と対峙した実存として判断し結果責任を負うということができないこの特殊構造性が、またしても中心に空白を産むことになる。それは、修に父の死を隠し続けてきた事実であった。今作では、実は修は気付いていたのだが、姉達への気兼ねからそのことを言い出せなかったことになっていて物語としては一種の救いに繋がってゆくのであるが。
     以上の事を更に突き詰めてゆくなら、責任の曖昧化は誰でも気付くことができよう。原理的に主体が確立できないのであるから、責任主体も生まれるハズが無い。人間という発想も生まれない。そもそも、我々の認識は、比較によって生まれる。人間に対するものは、神の概念であったり、絶対の概念である。それに対して、人間は、ヒトという対置概念を設定することができるのだ。このように設定すれば、相対VS絶対、それらの相関関係を通して関係の概念を打ち立てることができ、そこから、様々な原理原則を打ち立てることができる。無論、この根本の中には、其々の要素を相互作用させる運動やエネルギーという要素を組み込むこともできよう。
     然るに、我々の暮らす日本では、自分の頭で考えられたこれらの基礎が無い。そのことを人々は感じているが、その原因の究明については力不足であり、もとよりそのような事を追求する覚悟もしない者が殆どである。通常、主体が無いのに、そんな覚悟ができるハズが無いのである。だってそんなことをすれば、狂うか自死するか或いは長い不毛の旅をその精神の領野に過ごした後に息絶えるか、途中で耐えきれなくなって犯罪者にでもなるか、長い苦しみに耐え終に発見者となるかしか、道は残されていないからである。そして、発見者になる確率は、実に低い。
     ところで、憲法審査会参考人三人が全員安保関連法案を違憲と断じたことに対し、自民党副総裁の高村 正彦が「最高裁が示した法理に従い、自衛の措置が何であるかを考え抜くのは憲法学者でなく政治家だ」と反論し、合憲を主張。憲法の番人は、最高裁判所であって、憲法学者ではない、と言明したことを“異様”だと感じた向きは多いのではなかろうか? 無論、異様だ。何故なら、高村の言っている法理の一方は、安保法の体系であり、他方は、憲法体系の法だからである。敢えて混同しているのであれば、その拙劣な欺瞞は、政治家の名を汚すものであるし、意図的でないとすれば、政権与党の副総裁ともあろう者が、この程度の認識も持てないとは恐れ入って二の句が継げない。
     では、その法理とは何かを明らかにする前に、審理された事件は何であったかを今一度キチンと整理しておきたい。この事件は、米軍立川基地の飛行場拡張の為の測量に反対して1957年7月8日に立ち入り禁止の基地内に数メートル入ったとして労働者、学生7名を安保法体系に属す刑事特別法第二条違反(1年以下の懲役または2000円以下の罰金もしくは科料)と検察が主張したことだった。ところで立ち入り禁止区域に入ったことは、憲法体系の法ではどのように訴追するのだろうか? この場合は、軽犯罪第1条32号“入ることを禁じた場所に正当な理由がなくて入った者”(拘留または科料)に該当する。為された行為は同じでありながら、日本国内で異なる法理が適用され、米軍基地に入った場合には、より重い刑が科されること自体、日本国民の法益より米国の法益を重視するという主客転倒した法処理である。このような矛盾を解消し安保法体系より憲法体系を優先する至極真っ当な判断を下したのが、東京地裁の伊達判決であった。この判決は、検察官主張の刑事特別法より、憲法31条の“どんな人でも適正な手続きによらなければ刑罰を科せられないことを保証する”ことに準拠、憲法を基準として安保法体系を違憲無効とし2つの法体系併存を否定しようとした判決であった。当然、その根底には、米軍駐留は、憲法9条違反という判断がある。(最後の段落については記述に「検証・法治国家崩壊」創元社刊を参考にさせて頂いた。)
  • 満足度★★★★

    期待通りでした
    家族を中心として、さまざな人が絡む心暖まるストーリーでした。土木は、10年間ほど携わった経験がありますが、よく研究されていました。仕事の中の心地よい「勢い」を感じ、懐かしかった。関西弁も効果的で、ちょっと暗転が多いものの、全体として上手くまとまってました。観た後は清清しかったです。

  • 満足度★★★

    あったかい作品
    チケットプレゼントありがとうございます☆
    まず 木造の日本家屋風 舞台セットが良かったです。


    120分ちょっとの作品ですが 
    ラスト30分になるまで みんなのやりとりが 盛り上がりが無く続き 退屈になっちゃいました。
    しかし 不思議とあったかさは 初めから伝わってくるもので。
    胸が幸福感に包まれる瞬間が 何回かあった。


    ただ作品作りの為に 土木の現場の勉強をされたとのことでしたが
    土木の見せ場シーン(という表現で合っている?)以外は それほど土木感がなくて 
    わざわざ土木を扱う意味があまりなかったように思います。
    例えば 家族経営なら 測量事務所でも 大筋は変わらなかったイメージ。
    でも役者さんの 男っぽい演技は 見事にドボジョっぽかったです (笑)


    あとマイとマミのやりとりが多々出てきますが、
    名前が似ていて わかりやすいもっと違う名前にしたほうが良いと思いました。
    続きはネタばれにて☆

    ネタバレBOX

    3年前に父親が亡くなったことを 4番目の末っ子には 知らせないようにしてきた4人兄弟。
    その嘘は弟の幸せを守る為だったと お姉ちゃんの愛は大きくて・・・
    その愛に心がうたれました。


    とはいえ 感動屋の私を泣かせるインパクトまではなかったのは ちょっと残念でした。


    森下知香さんの演技力と存在感。
    堀内かつみさん、村松幸さん、堀内克哉さん ほかの方も良かった。


    一番気になったのは、他の方書かれていますが 
    末っ子の男の子 知的障害の役だったのでしょうか? 
    観劇中に私が見逃してたのか すみませんがその設定がわかりませんでした。
    『なんで精神的に幼い演技なのだろう』と気になったので
    それがわかって見ていたら もっと良かったと思います。 

    ~~~

    それから 私は一度に文章をかけない人間で 
    後からぽつりぽつりと 記憶とともに文章が下りてまいります。
    そのため、作品によっては 2・3カ月 劇の感想が完成せず 文章が変わっていくことがあり。
    決して人の意見を見て変えたとかではないのですが 
    2・3ヶ月後に書くより すぐアップのほうが皆様の役になれるかと思い 
    勝手ながらそうさせて頂いております。 
    どうかご了承くださいませ。

    ~~~

    ここ2週間 観たい作品が沢山で 正直全部見切れなかったのですが。
    実は劇団光希さんのこちらの作品が 一番観たかったのでした。
    それは 過去の作品の劇団の評価を見て 温かさと愛が伝わってきたからです。
    色々と厳しい事を書かせて頂きましたが 
    劇団カラーとしては ドンピシャでわたし好みです☆


    森下さんは とても丁寧なメールをくださったり 頭が下がる思いでおります。
    気持ちの良い対応を頂き 観劇させて頂き 本当にありがとうございました ☆

  • 満足度★★★★

    土木女というより、三姉妹。
    土木業界で働く姉妹のハートフルドラマ...その根底にある思いは、”従業員も含めた家族愛”である。家族内での思い遣りは、その思いが強ければ、それだけ悩みも深い。そんな気遣いの誤解が招いたことは…。

    「劇団光希」の第20回記念公演は、劇風であろうか、優しく人情味たっぷりであった。好公演が前提であるが、土木を謳うのであれば、もう少し社会性を加えた幅広い捉え方でもよかったと思う。

    ネタバレBOX

    まず、舞台セット・美術や照明の効果がよかった。セットは上手を階段2段分高く設え、事務所居間(敢えての表現)をきり出し、そこに継テーブル、ミニ椅子が数脚。奥壁には台所も見える。下手客席側には2掛ベンチと暖缶、、その奥には、4~5段高くした橋(?)が下手袖に架かる。また、照明は盛上げ場面こそ、当該部分に柔らかさを感じさせる照度にする。その感性は観客(自分)の居心地よくする。
    細かい気づきとしては、冒頭の土嚢を運ぶシーンを始め、音響と被り何箇所かで台詞が聞き難いところがあった。また、土木といえば重厚のイメージであるが、本公演ではそのイメージ場面(冒頭の土嚢運搬、中盤の掘削運搬など)に迫力・緊張感があまりない。できれば土嚢には風船か布を詰めた模擬を使用する、ツルハシ、ショベルなどを持ってイメージさせてはどうか。

    さて、公演梗概の中で、三姉妹の母親がそれぞれ違うらしいが、弟の母親も違うのだろうか。父親が急逝した時の様子が心配になっているのと同様、母親との関係はどうだったのか。それぞれの母親とは死に別れ、生き別れによる離婚だったのか。そしてこれほど姉妹、弟の家族愛が育まれた家庭環境に興味が惹かれる。そのエピソードがあると、お互いに思い遣る心情に深みが増すような気がする。

    この職業(下請け土木会社...時田組)に対する着眼点がよい。2020年の東京オリンピックに向けて土木・建築の需要がある時期であり、一方、東日本大震災の復興もあり、人材不足が言われている。その現況を背景にした社会性が観えれば、物語に幅と深みが出たと思う。その表現として、もう少しストーリーに盛り上がりがあれば...例えば3Kと言われるゆえに、働く人が強いられる課題(安全面・健康面など)への問題提起を多少のトラブル(今回は熱中症であったが、個人的な健康管理として描かれた)を絡めると、ドキドキ感が加わり、さらに観劇の集中力が高まると思う。ちなみに2015年3月期決算、ほとんどの大手ゼネコンは好決算であったが、下請け子会社、孫会社はその恩恵を受けていない、というアイロニーがあっても面白い(公演でもその葛藤が垣間見えたが、直接伝わらない)。実は、この描きがないと「土木」の意味合いが薄れると思う。

    公演全体を通じて、テーマ、主張の着眼(女性の視点...男女平等推進施策の奨励時の土木、東京オリンピック・震災復興時の土木、労働者派遣等をめぐる労働法制等々、今日的話題を含んでいるが)は家族愛としての視点でもよかったが...。

    劇団”光希”の劇風は大事にしつつも、20回記念公演であればこそ、いくつかの話題を盛り込むことができた”好機”だったのでは...。


    劇団光希のますますの興起を祈念し、また次回公演も楽しみにしております。

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