ウィンズロウ・ボーイ 公演情報 ウィンズロウ・ボーイ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★★

    ウィンズロウ・ボーイ
    素晴らしい戯曲を丁寧に、真っすぐに上演してくださり、「いいお芝居観た~!」という充実感ですごく幸せになりました。大がかりな場面転換がないしっかりした会話劇ですが、微笑ましい場面が多く、堅苦しくなりすぎません。ウィンズロウ家の人々とともに勝敗の行方にハラハラしつつ、法とは、正義とは、人権とは…と当事者として思索し続けました。

  • 満足度★★★

    なぜ、コメディ要素の強い味付けにしたのか
    「重くシリアスなテーマを扱いながらもウィットとユーモアに富んだ会話劇として」と、作品の紹介に書いてあったが、その「ユーモア」の部分を拡大解釈してしまったのではないか。
    その結果、この作品のテーマが薄らいでしまったように感じた。

    ネタバレBOX

    「重くシリアスなテーマを扱いながらもウィットとユーモアに富んだ会話劇として」の「ユーモア」を拡大解釈して、より「笑わせたい」と思ったのだろうか。
    必要以上にドタバタして、コメディ的な味付けをしているが、タイミング悪くどれも不発だった。

    いや、そもそもそんなに「笑い」が必要だったのだろうか。

    この物語は、海軍士官学校で学んでいた息子が、5シリング盗んだとして、退学になってしまう。
    しかし、家族への風当たりが強い中、息子の無実を信じた家族が父を中心に、息子の名誉を回復するまでの戦いを描いたものであり、そのシリアスなストーリーの中に、ふと、ユーモアが顔を出す、といった作品のはずではなかったのか。

    戯曲を書いたテレンス・ラティガンは、喜劇で有名な方らしい。
    したがって、随所に喜劇的な味付けはされている。
    戯曲を読んで、面白いところを拡大してしまったのだろうか。

    しかしそれは、やはり「日常の中」にあるちょっとしたウイットであって、大笑いさせるものではないはず。
    大笑いして、ホロッとさせるというような人情喜劇でもないし。

    あくまでも「日常」が土台にあり、そこが面白くなったり、ある出来事でぐらっと揺らいでしまう恐さがあったりで、それに立ち向かう家族の姿があるのでは。
    困難だけではつらいから。そこが、喜劇を得意とする作者の見せ所であるのだろう。
    「コメディ」が作品の土台にあるのではなく、「日常」が、だ。

    例えば、こんなシーンがある。
    娘に求婚しにボーイフレンドがやって来る。母と娘は別の間にして、対応するのは父の役割。
    ボーイフレンドと大切な会話が済んだところで、父は杖で床を叩き、別の間で控える母と娘に部屋に入ってくることを伝えるのだ。
    しかし、コメディの常套として、ボーイフレンドとの会話で気持ちを高ぶらせた父は、つい杖で床を叩いてしまう。
    観客は、その展開にほくそ笑むのだが、母と娘はなぜやって来ない。
    そして、ボーイフレンドとの会話が終わって、本当に杖で床を叩いても彼女たちはやって来ない。
    実は、2人は会話に夢中になっていて、杖の音が聞こえなかったのだった。
    という展開なのだが、そのときの父親の反応が、コメディのそれなのである。
    父は小林隆さんが演じているから、そうした反応がうまい。

    間違えて杖で床を叩いてしまったことに気が付き、別の間を見る、という反応をする。
    本当に杖で床を叩いたのにもかかわらず、2人が入ってこないことへの反応の表情がある。
    そうした反応は、コメディのそれであり、作品全体が「笑い」中心ならば、爆笑になった可能性があった。

    しかし、この作品はそうではない。
    無理に笑いを取る方向に持っていくのではなく、そこは抑えたほうが、軽いウィットやユーモアになったのではないだろうか。
    そうすることで、物語に集中できたように思える。

    「笑い」を意識しすぎて、観客はとても中途半端な気持ちに追いやられたように思う。

    また、息子と女記者が必要以上にうるさい。
    作品全体のトーンとマッチしていないように感じた。
    ドタバタの中心にはこの2人とメイドがいた。

    メイドも、コメディ的な要素が多すぎて、いかにも「笑うところ」です、な見せ方をしすぎではないか。
    メイドの設定は、少し野暮な感じで、全体的に重くなりがちなストーリーの、息抜き、あるいは救いになる要素となっているとは思う。
    しかし、全体的な変に笑いを意識しすぎているために、そうしたメイドの役割を削いでしまっているように感じた。
    とても大切なポジションのはずなのに。

    そんな感じで、前半は結構つらかった。
    やっと、前半の幕切れに、弁護士が登場することで締まってほっとした。
    前半がこんな感じのままだったら、後半を見ようかどうしようか迷ったほどだ。

    ストーリーの展開により、登場したときと役の印象が変わっていくことがお約束とはいえ、とてもいい感じではあった。

    中村まことさん、良かった。
  • 満足度★★★★

    地味ながら沁みるストーリー
    窃盗の罪で海軍士官学校を退学になった息子の無実を信じ、
    名誉を回復させようと闘った家族の物語。
    実際の事件がヒントといいます。
    父親は寡黙で実直で厳しいが、小林隆さんの持つ優しさが
    自然とにじみだしていて、程よい加減の雰囲気がありました。
    母親の竹下景子さんは、ごくごく普通の母親=何があっても
    大きな包容力と明るさで家族を包んでしまう理想の母親像を
    「安心して」観させてくれます。
    有名弁護士役の中村まことさんも堅物で独裁的と見せて、
    実は公正・公平を厳格に打ち出しているだけで、心ある人物を
    さすがの安定感で演じてます。
    他の配役は新国立劇場の研修生またはOB/OGとのことですが、
    無名なれど先入観が無く観れ、なかなかの好演。
    (ただ、長男のお調子者ぶりを演じるのは確かに難しそうで…)

    これを家庭の居間だけで描く、まるで裁判所、裁判シーンのない
    法廷物ののよう。
    地味で重いテーマなのに、随所にユーモアが挟まれたり、にじんで
    いたりして「観やすくする細かい配慮」が多々あったようです。

  • 満足度★★★★

    見応えがあった。
    息子の名誉を守るためにどこまでできるのか。あきらめない父と姉。敏腕弁護士の強い思い。じっくり観させていただきました。婚約者たちとメイドのキャラで観客を引き入れる演出も好きです。

  • 満足度★★★★★


    イギリスの表現は感性が合う。重たすぎず、軽すぎず。笑いのタイミングがうまく緩急のつけ方がよい。

  • 満足度★★

    遠きかな20世紀。初のラティガン戯曲
    英国では戦前から戦後、劇作家として一時代を築いた人だそうな。その地位を揺るがしたのがかの『怒りをこめてふりかえれ』(56年)とか。時代は変わる。折しもピケティが戦後暫く続く格差縮小期を(資本主義の)例外的な時代と知らしめたが、50〜60年代に世界各国で火を吹く‘正義’を求める若者の行動は、その例外的に「真っ当な」状況をテコにしてこそ、更に突き詰めた「真っ当」を求め得たという、一つの現象と見れる。冷戦、核競争の大状況を背景にした強権的政策は、無法な戦争を経てようやく実現した国連や人権宣言、民主化の流れと、矛盾をはらみながら共存して行く。この欺瞞的状況から「怒れる若者」の動きが対抗的に湧いて出てくる<前>の時代に、良質なドラマを提供していた人が、ラティガンという事である(聴きかじった話)。日本で言えば、戦争期をくぐって戦後に我が世を謳歌した「新劇」が、60年代鋭い批判対象になって行くのに似ている。
    恋愛喜劇からシリアスな社会ドラマまで書いたらしいラティガンは、エンタテインメントでありながら社会的背景の中にリアルな人物を描き出す、という良き戯曲の見本のような作品を世に出すが、この「普通に正しい」演劇が時代遅れになって行く流れは、不可避だったのだろう。
    『ウィンズロウ・ボーイ』の「判りにくさ」は、それと関係している気がする。あらぬ嫌疑を掛けられた息子の名誉を挽回するために、立ち上がって行く父親と家族の物語だが、タッチはややコメディ(これは鈴木演出か)。その中からじんわりと感動が湧き上がってくる、ような所を狙っているらしい。だが肝心の嫌疑にまつわる不幸を、人物たちがどう受け止めているのかがよく見えない。恐らく書かれた時代の通念が前提とされていて、そこは説明しなくても判る事になっている。ヒントになる台詞があって聞き漏らしたのかも知れない。何か色々喋っていたが、役者の身体に落とし切れていないので、存在から漂ってくるものを理解の足がかりにしたくてもそこがうまく行かない。ぼやっと見てると判らなくなる。
    戯曲のほうも、ぎゅっと締めるべき「キメ台詞」が、意外性を持たず、ガッカリする局面が幾つもあった。「キメ」のために大上段に振りかぶるのでなく、日常抱いているものを詩的に表現する、という具合になら処理できそうではあったが、台詞に詩的響きが希薄で(どうにも説明的でならない箇所が幾つか気になった)、味わいようがない。翻訳が古いのか、訳の文学的センスの問題か、戯曲の問題か。
    ‥と言いながら、実はラスト数分を所用で割愛せざるを得なかったので、評する資格はないかも知れない。が芝居は大団円に向かっていたし、この段で心をさらう台詞を置けるならもっと前にやれただろう‥。
    時々、新国立劇場主催の舞台に感じる、どことなくおざなりな印象がもたげ、企画そのものにも疑問がよぎる。

  • 満足度★★★★★

    二人の男の信念!
    人にとって一番大事なものは何でしょう!

    ネタバレBOX

    本格的会話劇、個々の人間がどんな考えで生きているかを明確に表現。
    舞台セット、美術衣装、照明も見事!
    父親の子供の言葉を信じぬく深くて強い気持ちと敏腕弁護士サー・ロバート・マートンの論理的・策略的思考そして以外な信念に驚嘆!
  • 満足度★★★★

    正義と権利
     正直前半は少々だれた感があった。でも、後半は長い時間にもかかわらず一気に引き込まれた。
     70年も前の作品だが、非常に現代的なテーマだと感じた。権力と対峙する個人が、経済的な問題や人間関係も含めた生活全般が歪められていく。そこで闘うということのしんどさをリアルに描きつつ、ユーモアも忘れない。民主主義の質を問われているのは、今を生きる我々なのだ。               ロニー役の少年のセリフが聞き取りづらかったのが残念!

  • 満足度★★★★★

    家族の絆
    家族の居間が舞台・・・・セットがとても素敵です。
    ここにいながらにして、私たちは一家の次男のロニーくんの退学の顛末やら、裁判から判決に至るまでの2年間の家族の状況の推移やら、その時代の世相やらを観たり、感じたりしていきます。
    登場人物を通して、居間の外の世界の状態を知るのは、とても興味深く、面白かったです。
    キャスティングがとても良いし、それぞれがとても味わいがあり、そのキャラクターとして存在しているのが、とても気持ちが良かったです。
    父と娘の絆が自分と重なり合って、二人の信頼関係がとても素敵でした。

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