満足度★★★
現代に置き換える
団体が掲げている、『「いかに(戯曲の言葉を)今を生きることばとして響かせることができるのか」を主眼におき、独自の視点や解釈を用いて舞台を構成。役よりも「人間」を見せることを重視し、一個の人間としての役者がイメージにとらわれず、自ら物語を動かす瞬間の創出を目指している。 』ということはすごく共感がもてる。
既成台本ゆえに特に小道具や演出によって、それがなされるのだが今生きることばというのがいまいちピンとこないという印象があった。
今生きるというのは現代ということなのか?本当に今、お客さんが舞台をみているその今なのか、はたまた今日という今なのか、それがちょっと疑問だと思った。
ただ、個人的に既成台本に取り組みこういった演出で取り組むことに対してかなり勉強になった。演出自体はすごく好みでした。
既成台本だけをこれからどのように演出していくのか、楽しみです。
満足度★★★★
豆腐はどう切っても豆腐
岸田國士の短編2編。
前半の「葉桜」は、見せ方はコンテンポラリーながら台詞回しは正統派。
従って瞑目すれば極めてオーソドックスな感覚。
そして視覚と聴覚のギャップに「カサブランカ」など往年の白黒名作映画に着色したものやモンローの肖像を加工したウォーホルのポップアートなどを想起。
休憩を挟んでの「ぶらんこ」は夫婦の会話劇を3人の女優が演ずる趣向。
役を固定せず各女優が夫を演じたり妻を演じたりするだけでなく、同じ台詞を2人の女優が片や普通に片や節を付けて同時に発したりもする変化球ぶり。
が、アレンジの「基礎編」たる葉桜を経て「応用編」的なぶらんこということで、さほど違和を感じない。
むしろこんなアレンジを施しても岸田は岸田…みたいな。
少し前に観たオクムラ宅の「さくらんぼ畑 四幕の喜劇」が、ああいう見せ方によって逆に元の戯曲の構造を露にしたように、7度の「葉桜/ぶらんこ」はコンテンポラリーなアレンジを加えることで岸田の岸田らしさを抽出したのではないか?
「豆腐はどう切っても豆腐」ってコトですかね。
満足度★★★★
7度
7度という劇団名について、良く質問を受けるらしい。リーフレットの説明によると、音楽用語だという。ドから7つ目の音、即ちシの音を7度の音と言うそうである。そして、この7度の音を用いて、西洋音楽に新たな地平を切り開いた作曲家が居たと言うのである。彼の名はエリック・サティー。「ジムノぺディ」「干からびた胎児」「世紀ごとの時間と瞬間の時間」「夢見る魚」「逃げださせる歌」等々、数々の名曲を残したパリの場末のピアノ弾きである。だが、20世紀の作曲家の中で、現代人に、これほど愛されている作曲家がいるだろうか? 彼以外に。まあ、自分の感傷などどうでもよい。(追記後送)