マクベス 公演情報 マクベス」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.7
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  • うーん。。
    一つのマクベス作品として、加納さん演出・スズキさん振付他、役者さん達の演技を楽しむことは出来たものの、「子供に見せたい」となるとどうかなぁなんて思ってしまいました。古典は同じ戯曲をどのように表現するかという観方があり、そういう意味では楽しめたのですが、スーツを着たオールメールでの上演だったらやはり子供の騒ぎ声は不似合いだったかなと思います。しかし加納さんの描くマクベスにはかなり興味がありますので、花組芝居で是非観てみたい、です。

  • 満足度

    がっかり
    学校から子供に見せたい舞台とのことで、案内をもらい話の内容が良く子供に見せたいと思い連れて行きました。開演前の舞台も数人の男の子人がパンツ一枚になり、スーツに着替えだし
    何だか怪しい雰囲気。始まると、その男の人達がやまんばのようなウィッグと怖い顔のお面?を被り踊り出しました。その途端にすごく大きな雷の音が何回もなり、最後は雷にうたれた感じで倒れてしまいました。見ていた子供は、怖いと言い出し、足がガクガクと震えだし した。可哀想たけど怖いのはOPだけかもと思い、我慢して見ていたらとちゅうでも、また例のウィッグと怖い顔のお面をつけ踊り出しました。子供が、また震えだしたので可哀想になり、開始後5分ほどで外に出ました。
    使われてる言葉も難しく分かりにくいし、これが子供に見せたい舞台。の、意味が全くわかりませんでした。大人の私も全く見る気が沸きませんでした。子供に怖い思いをしてしまい最悪の時間でした。

  • 満足度★★★★★

    「見せたい」舞台
    今回は「子どもに見せたい舞台」とのことで、どんなお芝居になるのか楽しみでしたが、子どもがいるからといって決して甘やかしたりしない、本格的な舞台が用意されていました。

    マクベスは元より、たくさん人が死に、とても笑って見ていられるようなお話ではありません。「子どもに見せたい舞台」という冠がついたところで、ストーリーは変わりませんでした。

    子どもに本格的な観劇体験をさせたいと考えていても、小さなお子さんは入場できない舞台もたくさんあります。きれいな日本語のセリフで、本格的な芝居とダンスを見せたいと思う親御さんがいたら、間違いなく貴重な機会だと思います。
    そしてもちろん子どもだけでなく、普段はお子さん連れでの観劇が出来ないとお悩みの方にも、有難い舞台なのではと思います。

    こんなに本格的で、子どもは大丈夫なの?と心配しましたが、面白いシーンではしっかり笑っていましたし、自分なりに分かるところを味わっている様子でした。

    特に驚いたのは、いよいよクライマックスといったシーンで、前列の子どもが「もう終わりなの?」と発したこと。
    古典名作なのでストーリーを知っている観客も多い中、初見である子どもまで、同じような体感で拝見できる工夫がされているのかと大変驚きました。

    初日を観劇し、二日目も当日券で拝見しました。
    セリフは坪内逍遥訳を使っているそうで、大人であっても耳馴染みのない言葉が出てきます。しかしその都度説明が入ったり、身振りで意味を表すなどの演出が分かりやすく、不安なく見ることが出来ました。

    マクベスといえば、重たく苦しく、沈んだ気持ちで劇場を出ることが定番ですが、これは「楽しかった!」と弾んだ気持ちで出てこられるのでとっても不思議でした。

    ネタバレBOX

    魔女のマスクがフルフェイスであるためか、声がこもってしまったセリフが明瞭に聞こえませんでした。
    ストーリーを知っていても猛烈にダイジェストされているので、ついていくのがなかなか大変でした。衣裳が同じで、アイテムだけで役柄を現しているので、カタカナの名前を覚えるのが苦手というのもあって、役柄の見分けに少々苦戦しました。
  • 満足度★★

    マクベスの、何を見せたかったのだろうか
    ロビーには大きなお城があり、子どもたちが入ったり、出たりと楽しそうにしていた。
    マクベスをどうやって見せてくれるのか期待した。
    しかし、びっくりするほど面白くなかった。
    変顔したって面白くないものは面白くない。
    「子どもに見せたい舞台」という前提を外したとしても。

    ネタバレBOX

    「子どもに見せたい舞台シリーズ」は何回か観ている。
    時間が合えば是非観たいと思っているシリーズ。
    フライヤーが凝っているし、内容もなかなか面白いからだ。

    しかし今回はがっかりした。

    「子どもに見せたい」というタイトルが付いているにのもかかわらず、子どもにはあまり受けなかったように思う。

    今までこのシリーズでは、子どもたちは騒ぎながらも舞台の上に釘付けになっていることが多かった(『ドリトル先生』『ピノキオ』を観ている)。
    しかし、この舞台(少なくとも私が観た回)では、「帰りたい」と愚図る子どもがそこここにいた。

    途中我慢仕切れず、上着を頭から被ったり、横になって寝ようとしたり、もぞもぞと身体を動かしたりと、集中できない子どもも多い。
    もちろん、今までも身体を動かす子どももいたのだが、それは楽しくて仕方ないという気持ちの表れだったのだ。

    一体、何が問題だったのだろうか。

    終演後、帰りながら、話していた親子連れやお母さんたちの話にそれがうかがえる。

    まず、
    「誰が誰かわからない」
    というものがあった。

    出演者が6人でいろいろな役を演じるのだが、演出と演じ分けが下手で、「今、誰が何の役」なのかがとてもわかりづらいのだ。
    もちろん、ストーリーを知っている観客には、当然わかるのだが、初めて観る人や子どもにはまったくわからず、最初のほうのシーンから置いてきぼりをくらってしまったようだ(「あらすじ」が配られていたが、登場人物が何人もいるので、わかりづらい、という声もあった)。

    例えば、マクベスとバンクォーが魔女に出会う大切なシーンも、誰がどうしてそこにいて、どうやって出会ったのかがわかりにくく、いきなり魔女に会うシーンに見えてしまうのだ。魔女たちのダンスシーンがその前に挟まり、役者全員が「魔女として」踊っているので、そこからマクベスとバンクォーが別れて、「魔女に出会う」というのがわかりにくかったようだ。

    「誰が何をしてどうなったのか」だけでも演出で丁寧に説明されていれば、これき解決されたはずだ。

    役者が6人しかいないのだから、何も6役も7役も演じされることなく、ストーリーと登場人物をもっと整理したほうがよかったのではないか。

    また、
    「台詞がわかりにくかった」
    という声もあった。

    台詞は、古い言い回しの、いかにもシェイクスピアというもので、長台詞ということもあり、子どもには「何を言っているのか」がわからなかったようだ。
    この点についてはさらに言いたいことがあるので、あとで述べる。

    そして、こんな意見も出ていた。
    「芝居のところは全部なかったほうがいい」

    この舞台は、芝居の要所要所にダンスが入る。
    10〜15分おきに入るので、飽きている子どもも、そのシーンでは舞台を見るのだ。
    だから「帰りたい」とダダをこねる子どもをなだめる身の母親たちとしては、ストーリーがわからないのだから、全部ダンスのほうがよかった、と言っているのだ。

    そもそもこの舞台では、「マクベス」の「何を見せたかった」のかが判然としない。
    オリジナルのまとめ方があまりうまくなく、見せたいところがわかりにくい。
    これに比べると、柿喰う客の『絶頂マクベス』がいかに優れていたかがわかる。
    見せたいところがストレートになっていて、テンポもよく、面白い。
    この作品をそのまま子どもたちに見せたほうが、どれほどよかったかわからない。

    舞台のオープニングは、普段着の男たちが、客席を通って舞台に上がる。
    そして、まるで倉庫のような雑然とした舞台の上(机やイス、ホワイトボードや冷蔵庫、洗濯機などが置いてある)で、スーツに着替える。

    彼らはスーツのまま、帽子や鉢巻き、たすき掛けにした布等で、それぞれの役を示す。
    それを変えることで、別の役になったことをわからせようとする。
    声色も変えたりもしている役者もいた(変なアニメ声のような、子ども騙しっぼいやつ)。

    この「スーツ」の意味が舞台の上ではわからない。
    なぜ、普段着からスーツに着替えて、マクベスを演じているのかがわからないのだ。
    彼らの立ち位置がわからない、作品「マクベス」との距離感がわからない、と言ってもいいだろう。

    先に書いたが、この舞台での台詞は少し古い言い回しになっている。
    しかし、一部、現代的な言い回しが加わる。原作にないような台詞を加えたりしている。
    その現代語のところは、面白「風」になっていて、朗々とした言い回しとは雰囲気が突然異なってくる。
    面白いからそうしたのだと思うのだが、そうしてしまうことで、朗々と舞台の上で語られていたマクベスは一体何だったのか、と思ってしまうのだ。
    つまり、どちらに軸足があるのか、ということだ。

    例えば、マグダフの妻や子どもが刺客に襲われ、死んでしまうシーンがあるのだが、悲痛なシーンにもかかわらず、殺された子どもがすくっと立ち上がり、変な雰囲気でおちゃらけるのだ。
    これでは何をしたいのかがわからないのではないだろうか。

    役者の演技でも同じことが言える。6名のうち、5名は基本的には普通に演じているのだが、1名だけ、なぜか手振り身振りを多用して台詞を言う役者がいた。
    もちろんこれも演出なのだろうが、その意図がわからない。
    1人だけそんな演技をしているので、違和感がある。
    トリックスター的な役割を与えられているとは思えないし、もしそうだとしたら、それは失敗していると言わざるを得ない。
    どうも、台詞といい、演技といい、違和感だけが残ってしまう。

    マクベスの世界に入っているのか、マクベスを「演じている」ということなのか、そこがわかりにくいので、観客は作品に入っていけない。

    古い言葉づかいで、朗々とした言い回しであったとしても、きちんと伝える気持ちがあれば、子どもにも面白さは間違いなく伝わっただろう。

    例えば、先日、新国立劇場で子どもためのバレエ公演を観た。
    簡単にナレーションが付加されていたが、基本はバレエなので、無言で踊るだけだ。
    しかし、あうるすぽっとのいた子どもの数の何倍もの子どもたちが、固唾を飲んで、舞台を観ていたのだ。
    「帰りたい」とぐずる子どもはもちろんいなかったようだし(オペラパレスは観客席の音も響くので)、終演後のロビーは笑顔の子どもたちが溢れていた。

    舞台の面白さ、物語の面白さをストレートに、かつ真摯に伝えようとすれば、学齢前の子どもであっても伝わるはずだ。

    今回は子どもを飽きさせないようにするためか、とてもつまらないギャグを入れたり、ダンスを入れたりしていたが、それは本末転倒であり、本来の演劇の面白さを伝えることだけに徹してほしかったと思う。

    ストッキングを頭から被り、それを引っ張って面白い顔をすることが、演劇の面白さを伝えることにはならないのだ、ということを肝に銘じてほしい。
    子どもたちにとって、初めて出会う演劇体験がこれでは台無しではないか、とまで思ってしまった。
    「帰りたい」言っていた子どもたちに、「またお芝居を見に行きましょうね」と言ったって、行きたいとは思わないだろう。

    「マクベスの何かを伝える」ことができなかったとしても、せめて「舞台や芝居の面白さ」だけは伝えてほしかったと思う。

    ラストは当然のように、スーツからもとの普段着に着替えて、客席を通って去っていく。
    いかにもスタイリッシュでしょ、と言わんばかりの演出にはガッカリの気持ちしか起こらなかった。
    マクベスの首らしき、王冠を付けたブタの首を、ドンと机の上に置いて。
    何がしたかったのだろう。何を「子どもたち」に伝えたかったのだろう。

    「子どもに見せたい」という前提を外して、普通に『マクベス』の舞台であったとしても、感想は同じ。ずいぶんセンスの悪いマクベスを見た、というものだ。

    役者は、マクベス夫人を演じた美斉津恵友さんが熱演だった。
    もっと、「夫人である」という演出がされていれば、よかったのにと思った。

    ついでに書いてしまうと、つまらない舞台の定番として、「関係者笑い」とういうものがある。
    いかにも「面白いでしょ」というシーンで、関係者らしき笑い声「だけ」が客席に響くというものだ。
    特徴として、その笑い声は大きい。それは逆に白ける効果が抜群だ。
    今回も、女性の大きな笑い声が響いていた。

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