おとこたち 公演情報 おとこたち」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★★★

    「おとこたち」の「たち」の話
    「後で思い出してもらう」っていうのは、いいことかもしれない。
    思い出したり、思い出されたり。
    老人へ向かってまっしぐらの、来るべき未来も、恐くないかもね。

    ネタバレBOX

    親のこと、将来の自分のこと、いろいろ見たくないことも含めて突き付けられた。

    「突き付けられた」のだが、観ていて、「少し楽になる」可能性があるかもしれない、ということにも気が付いた。
    もちろん、未来に必ず訪れることに対する「不安」がすべてなくなることはない。
    しかし、「恐い」「辛い」と思ってしまう、自分の(あるいは肉親の、親の)未来は、ひょっとしたら「恐くなんてないかも」なんて思えてくる。
    考え方ひとつ、と言えば、それまでのことかもしれないのだが。

    ハイバイのうまさ、面白さは、自分の経験とは関係ないのに、自分の記憶だとか、それにまつわる感情だとかを引きずり出されるところにある。

    「観客」として、舞台のこっち側の安全な場所で、「へへーん」とか「ほう」とか「なるほどねー」とは言ながら見ていられない。
    エピソードの1つひとつが、笑いながら痛くなることがあるからだ。
    心とか感情とかが、ズキズキしながら、なのに笑ったりもしながら観ている。

    『おとこたち』は、「おとこ」の話なので、なおさらそれを感じた。
    しかし、「痛い」だけではないし、「笑い話」だけでも、もちろんない。
    その中には真実がある。その真実は、観客ごとのものであり、作品によって引っ張り出されたものだ。
    見えないふりをしていたことや、気が付かなかったことなどの。

    開演前に、携帯がどうとか、飴を食べるときにどうとかの前説が始まる。
    そして、いきなり、前説の彼が「山田」になる。
    劇場にいて、これからお芝居が始まりますよ、という現実からフィクションであるストーリーへ、シームレスにもっていく。
    現実と地続きであるような導入だ。マクラから本題に入る落語というか、こっちが身構える前に物語に入っている。
    だから、こちらの現実ともシームレスにつながってくるのかもしれない。

    まず、最初のシーンからやられた。
    バイトをしている山田かと思っていたら、そうではなかったことを知らされる。
    自分の置かれている場所や時間、そして理由を別の何かと取り違えてしまっている人を老人ホームで見かける。

    この設定から、この後展開するストーリーは、80代になっている現在の山田の記憶なのではないか、とも思った。
    認知症になっても、昔のことはとてもよく覚えていたりするからだ。
    もちろん、「記憶」なので、実際とは異なっていることもあるだろう。
    よりドラマチックになっていることもある。つまり、そういうお年寄りには、実際の記憶がテレビや小説、あるいは他人の経験談(ドラマ)とない交ぜになってしまうこともあるからだ。

    なので、山田たち4人のおとこたちの20代から80代までの行動は、山田の記憶によって、よりドラマチックになっている可能性もあるし、恐ろしいことに、4人のおとこたちは、山田以外の、別の誰かのドラマの登場人物で、彼らが山田の回りには「いなかった」可能性すらあるのだ。

    それは横に置いて、彼らの半生(あるいは一生)は、辛いこともある。
    しかし、それは面白い。
    他人の話だから面白いということもあるが、「昔の話」だから「面白くなっている」とも言える。
    いろいろ辛い話も、時間が経てば、「面白エピソードの1つになっていく」というのは、誰しもが体験したことではないだろうか。特に他人事であれば。
    「面白い」は「可笑しい」ものもあるが、それだけではなく、「興味深い」という意味合いも含まれる。
    それはたぶん「死」でさえ、そうなっていく可能性がある。

    この作品のストーリーでは、ツラさの上にさらにツラさが重なったりする。
    鈴木の死後わかる息子との関係とか、森田が病気になった妻から名前を呼ばれないこととか、とか、とか。
    当事者にとってはツラすぎることだけど、友人ぐらいだと、「そんなことあったねー」って言えるのではないだろうか。「大変だったねー」って。

    つまり、後で、その人のことをしみじみと思い出して語ることはできるのではないだろうか。
    カラオケボックスのような日常の中で、「そうそう、こんなことあったね」と思い出してくれるのは、いいかもしれない。さらに『おとこたち』のように、「笑え」たりすると、なおいい。
    そんなことを考えたら、少しだけ未来は恐くなくなってくる。
    観客席で観ていた私(たち)は、誰かが「後で思い出してくれる」ことに気が付いたし、同時に「笑った」私(たち)は、「後で笑ってくれること」に気が付いたのだから。
    さらに言えば、山田のように「自分」も誰かのことを「後で思い出すこと」や「後で思い出して笑える」ことに気が付いたのだ。

    この先、誰か自分のことを思い出してくれて、さらに笑い話のように語ってくれさえすれば、「救われる」のではないか、と思った。
    何から救われるのかはわからないが、少なくとも、「思い出してくれる人」「笑ってくれる人」がいることが想像できれば、「死」も「老い」も多少は恐くはないような気がする。
    たとえ想像の記憶だとしても、思い出せるものがあるのもいい。楽しいから。

    絶対に「老い」や「死」はやって来る。
    だからと言ってそれ対しては何もできない。

    だったら、誰かに思い出してもらうなんていうのは、素敵ではないだろうか。
    できれば、笑いながら、誰かと語り合ってもらうなんて最高だ。

    「認知症」で記憶が曖昧になり、いろいろ忘れてしまったり、「死」で存在自体が消えてしまったりと、「消失」が「恐さ」につながっているのではないだろうか。
    まったく存在しなくなってしまうことへの恐怖だ。
    それが、誰かが思い出してくれて、笑ってくれて、ときには語り合ってくれるということや、事実であろうがなかろうが、思い出すことがあったりすることで、その恐怖への軽減につながる感じがしたのだ。

    このストーリーの「肝」は「おとちこたち」の「たち」であろう。
    山田にとって、ひょっとしたら偽りの記憶の中にいる「たち」なのかもしれないが、「たち」がいることで、それでも彼は救われている。
    思い出してもらえる友人たちと同様に、彼らを思い出している自分も、それによって救われている。山田は楽しそうだからね。

    大学に入る前からの長い友人たちがいることは、甘いメルヘンかもしれない。
    「友だちって、やっぱ、大切なんだなー」って思ってもいい。
    しかし、年齢を経るごとに、「死」を迎え、自然と友人は減っていく。
    だから、山田にとって、森田という存在は黄金の存在だ。

    『て』は家族だったが、『おとこたち』は友人の話だ。
    「最後は1人」などと悲壮感に包まれて思いながらも、やはり「社会」は人間関係で成り立っている。1人ではない。We are not alone なのだ。
    友人や家族とは、しょっちゅう顔を合わせる必要もないし、すべてをわかり合える必要もないのだが、「つながっている」という感覚はとても大切なのだ、ということをこの2作は告げている。

    もちろんそんなことわかっているし、ハイバイに言われなくてもそうしたいと、誰もが思っている。ただし、その距離感はとても難しい。
    しかし、家族や友人との関係は、「後で思い出してもらえる」「後で思い出して笑ってくれる」あるいは「後で思い出してあげる」「後で思い出して笑ってあげる」ということが、結局、大事であると思うと、少し簡単に思えてくる。複雑に対人距離感を計り、微妙な動きをする必要もない。

    家族や友人にかかわらず、つながっている(いた)人のことを、後で思い出し、ときには笑ってあげればいいし、自分がそうしてもらえる人であればいいのだから。
    これが、「恐くなくなること」の極意ではないだろうか、なーんて思ったりして。

    最初のカラオケで、いきなりチャゲアスの曲が流れた。
    「あ、チャゲアスね」と思ったのだが、全体のストーリーと考え合わせると、ちょっと切なくなってくる。
    まあ、うーんと深読みすれば、行ってしまったアスカに、逝ってしまった友人たちのことや、残されたチャゲと自分のこととかをダブらせたりして……それはないか、ないね。

    ラストのシーンは特にグッときた。
    相当、丁寧にリサーチしているのではないだろうか。
    冒頭でも書いたが、認知症の人は、自分の記憶と他人の記憶(あるいはテレビなどのドラマ)が混在してしまうことがある。
    サラリーマンだった人が「自分は農家だった」と語ったりするように。
    でも山田は楽しそうに語っているよね、そこがいいんだ。

    また、山田が介護の人たちに連れられて自分の部屋戻る姿には、老人ホームに面会に行った後に、そこに置いて帰るときのような、うしろめたさや切なさを感じた。

    「恐くない」と言いながらも、実はこれが一番、辛く恐いシーンなのだ。
    これを、乗り越えるときに本当の「恐くない」という気持ちが出てくるのだろう。
    でも、「思い出して」もらえれば「大丈夫」だ。「思い出しながら」生きていけば「大丈夫」だ。

    出て来る役者さんは、みんな好き。
  • 満足度★★★★

    エレメント
    面白い。130分。

    ネタバレBOX

    山田(菅原永二)…若い頃精神病みかけるが、苦情受付の仕事を定年までやりおおす。70後半で認知っぽくなり(年金受給前に暗殺される等)、老人ホームへ入所。一番友達想い。
    鈴木(平原テツ)…薬品販売会社を退職するも、家庭内で孤立し行き場を求めたゲーセンで若者にボコされ死亡。息子から暴力を受けていると話していたが実は鈴木が暴力を振るっていた。
    森田(岡部たかし)…バイト先の女・純子(安藤聖)と不倫。純子と妻・良子(永井若葉)が繋がっているとツユ知らず、純子と別れることに。一晩で4回した。
    津川(用松亮)…酒と焼き芋が好き。俳優。若手女優(安藤聖)にゲロして追放され、舞台俳優になるが、やはり女優(永井若葉)にゲロして無職に。自宅火事で九死に一生を得て宗教の道へ。ヘマやらかした後、死亡。
    鈴木の息子(用松亮)…鈴木の葬儀に寝巻きで来て山田に注意される。幼少期、マジックが微妙に下手。
    花子(安藤聖)…鈴木の妻。反抗期な息子を庇う。
    純子…森田の彼女。バイトをやめて処女デリヘルに勤務。
    良子…森田の妻。森田いわく背中で語る系。ガンに苦しみ家族の名を呼び続けるが、森田の名前は呼ばれなかった。

    舞台右上に数字が投影されているのが山田の年齢と開演後ほど無くしてわかる。24歳頃の若き日のカラオケ騒ぎから、面々の状況とかが変わっていき、その生き方(というか足跡、爪あと)を描きだす。
    カラオケマイクで人物紹介やらナレーションやらをしたり、映像や小道具で保管していく舞台スタイルはテンポも良くて入り込みやすい。会話のユーモラスさも十分で声出して笑える。

    おとこたちってタイトル通り男たちの話で、基本人生のツライ部分を描いている。笑えるとこが多い作品ではあるけど、やっぱり苦々しい。こんな苦しさとどう向き合っていくのよと思わなくもない。だた、それでも落ち着くトコに落ち着くんじゃないって気楽さもちょっと感じなくも無い。

    宗教団体職員の安藤聖がかわいいと思う。
  • 満足度★★★★★

    良い舞台だったなぁ•・・
    いつもの調子で男子4人がふざけて笑わせながら成長し、自力で生きていく、という人間の根幹の話。
    劇的な何かがあって、話の空気が変化するでもないのに、見ているこちらに、じわりと老いを自覚させ、終いには涙腺までも刺激する。泣かないつもりだったのにw、深く胸を鷲掴みされ、こっちもこんな生き方してすみません、と誰かに謝りたくなる。
    今後の自分の人生に於いても、こんなに良い舞台、あと何回見られるだろう。約2時間。

  • 満足度★★★★★

    出逢いたくなかった、出逢えてよかった、そんな芝居
    あーしにとって、こう、自分のプライベートゾーンを晒さないことにはその作品についちゃなんにも中身ある感想が言えないわヽ(`Д´)ノっていうような実にめんどくさい芝居だったわ。
    個人的に割ととんでもないタイミングでこの作品と出会っちゃったなあ、っていう。こういうの見ちゃうとホント困るのよね・・・(´・ω・`)

  • 満足度★★★★★

    おとこ鍋
    おとこたちの人生のごっちゃ煮みたいなあまり美味しそうとは思えないけど味のある鍋をつついたようなそんな感覚に…。面白かった。泣けた。きっと今の年齢だからな部分もあり、若い頃こんな舞台に出会っていたらそれはそれで刺激的なものになかもと思いました。

  • 満足度★★★★★

    期待通り
    ハイバイ観劇3作品目。初めては「て」。次は「月光のつつしみ」。そして今回。
    「て」で、とっても素敵な作品、そして劇団だなぁと感動して、「月光のつつしみ」は私にはちょっと、難しい作品だったなぁ。当たり外れがあるかなぁと思っていましたが。

    岩井さんの作品が好きなのかなと。「月光のつつしみ」もすごい作品だと思いましたが、好みで言えば今回の「おとこたち」は期待通りで、とても楽しめました。
    男女で多少見え方も違うでしょうが、でも、どちらがいいということもなく、どちらも楽しめる作品だと思います。

  • 満足度★★★★

    みてきた
    聖さんはおでこがかわいいです。

  • 満足度★★★★★

    若井風生きることを信じた、125分
    前半は笑いがさえないぐらいのおもしろさに対し、後半は、シリアスっぽくほんとに若井秀人さんの作品なのかと感じましたね。東京芸術劇場シアターイースト だからできたこその傑作だった、125分でした。

  • 満足度★★★★

    ハイバイ新作
    『ある女』以来2年ぶりの岩井秀人さんの新作です。昭和から平成を生き抜いた男たちの人生の、いいところも悪いところもたっぷり見せてくださいました。コメディタッチで軽快に進みますが、後味はしみじみ、どっしり。

    ネタバレBOX

    サラリーマンがデリヘル嬢を呼ぶのに寝ないのは、岩井さんが内田慈さんと共演したドラマでありましたね。http://www.tv-tokyo.co.jp/ookawabata/story/03.html

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