鬼火-とこしえのうた 公演情報 鬼火-とこしえのうた」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    即発へのなし崩しに武器は表現
     時代を映すのに「満州国」建国の黎明期と思しき時期を採り、史的経過の既に知られていることを以って、現在を照らし返す構造になっている点で、この劇団が今作に掛ける念いが伝わってくるようだ。

    ネタバレBOX

     “国が人を殺す”という事実が、秘密保護法と命名され定着しかけているように見える。然し、誰の秘密を誰から守る、と言うのだろうか? 為政者の嘘と瞞着と怠慢を、主権者の目から守る、という彼らの本音こそ、この法の命名に現れているように思えてならぬ。実体は、情報隠蔽法なのだし、共謀罪も提出されようとしているのだから、この解釈が正しかろう。為政者は、言葉でも誤魔化す。誤魔化された側は自由を失い、やがて自らの命も失い、終には狂気の尖兵となって自らを狂騒の内に葬るのだ。これは、戦前、我らの父祖が経験してきた事実である。
     「国」の民衆蔑視、下司な為政者共の無責任と倫理欠如、これらの嘘を暴く者への見せしめとしての拘束・拷問による恐怖支配の貫徹、民衆の革命権無視及び武器収奪と権力による一元管理、情報隠蔽、偽情報配布、国民監視等々の犯罪行為と、偽。嘘情報によるプロパガンダ及び洗脳によって作り出した、嘘八百が露見しないように張り巡らされた監視ネットワーク及び罠に対し。武器を持たぬ民衆は何をどのようにすれば、抵抗を有効なものと為し得るか? 教育の主導権も下司共に握られ、真理は、心理を操作されることによって最早機能しない。それどころか、鬼の思想、悪の思想と同値され排除の憂き目を見る。大手を振って陽の下を練り歩くのは、虚偽の群れ、欺瞞の群れであるが、多数である。


  • 結果論としての1939。ヒロインの純白な演技は断絶である

    『劇団演奏舞台』は1970年安保闘争の流れを受けた、「常に権力の外にいる」劇団である。


    まるで異次元にテレポートしたかのような小劇場 原体験。毎回、魂を入れ込んだ演技に、「ゲキバンド」のエレキ・ギターを弾く効果音がそのメリハリを後方支援する。


    観劇しずらい劇場構造ではあった。長方形のベンチ・タイプには麻のクッションが備え付けられおり快適だ。
    しかし、『鬼火』の作品は腰を下ろしてのシーンが占めるため、役者が「視界の外」であった観客も多く、劇場構造のユニバーサル・デザイン化が要求されそうだ。



    「集団自衛権」の閣議決定がクローズ・アップされつつあるが、同時に、「国民投票法」の有権者年齢が18歳に引き下がるニュース・インパクトも注視しよう。

    一般論として「憲法改正派」からすれば、「右傾化」の若年層を吸収したい。そういう意図がある。



    舞台『鬼火』。時代設定は旧満州へ地方の国民が移住していく1939年だ。当時、政府は農民に対し、「日本は土地が狭いけど、大陸に渡れば農地を所有できますよ」を宣伝。台湾へ渡った移住者が都市労働者中心だったとすれば、後の満州移住は地方農民中心である。


    以下、慶応義塾大学法学部 研究会の満州移民に関する論文から引用したい。

    【(略)『拓け満蒙』、『新満洲』、『開拓』に分けて、それぞれの雑誌の紹介を行
    い、いかなる編集方針のもとに移民宣伝が行われたかを分析する18)。 『拓け満蒙』は、昭和1年4月~昭和14年3月まで発刊された月刊誌であり19)、
    価格は15銭、頁数は創刊号が20頁であったが、徐々に増頁され昭和13年初め頃か ら約60頁となった。

    創刊号において、「本誌は都会に於る知識階級の人々にも十分の熟読を希望す るが更に又た田舎の農村青年諸君には是非一人残らず読んで頂くことを希望」20) するとされているように、主たる読者層は農村の青年と都市の知識人であった。 満洲への主たる移民者層が地方の農民であったことと、満洲開拓政策が悲観的に 見られていたことが背景となり、こうした読者層が想定されたのである。】(昭和戦中期における満洲移民奨励施策の一考察 ――移民宣伝誌を通じてみた満洲イメージとその変容――
    山畑 翔平 玉井研究会4年 )



    この近現代の史実を受け、今度は舞台『鬼火』の台詞を紐解きたい。



    「若者の手で、新しい国がつくれるんだ」


    これは村の青年 ・孝(森田 隆義)が、許嫁へ 満州移住を説得する際に発した希望メッセージである。
    「領土拡張主義」を暴力の面から描くのではなく、「満州へ行けば自動車会社を経営できる!」という明朗な 、好奇心を爽やかに訴える演技は、どうにも恥ずかしい。
    余談だが、松下幸之助は 形を変えた「領土拡張主義者」である。
    その思想体系が1976年に出版した『新国土創成論』(PHP研究所)だろう。
    元厚木市職員・松下政経塾 出身で、現在はシンクタンクの運営を務める片山 清宏 氏がわかりやすく解説している。

     【『新国土創成論』は、200年間にわたって理想の日本国土を創成しようという提言の書である。「諸悪の根源は国土の狭さにある」としたこの提言は、日本の国土の約70%を占める山岳森林地帯のうち、20%を開発整備するとともに、山岳森林地帯をならした分の土砂で海を埋め立てることで、計15万平方キロメートルの有効可住国土を新たに生み出し、現在の有効可住国土を倍増させ、住みよい理想的な国土にしていこうという壮大な計画である。】(「環境創造国家 日本」~『新国土創成論』に基づく国家百年の大計~
    片山清宏/卒塾生)




    1980年代、東京都23区上空に成層圏へ至るまで人類の生活拠点を建設する「ラピュタ構想」が発表された。早稲田大学教授の建築研究室が 草案を記した構想。SF雑誌の特集ページではない。


    ただ、松下の「新国土創成論」も、200年間かけ、日本青年を総動員し、国民が住める土地面積を15万㎢造設する というトンデモである。東京ドームに換算すれば320820個分の広大さ。佐渡島に換算すれば157島分だ。日本列島に都道府県単位が新たに三つ画定できるほどの面積と考えればよい。(計算中にトンデモを確信した)

    この「新国土創成論」の脆弱なところは、第一に日本の自然を広域にダンプカーの踏み場にしてしまう「環境破壊」、第二に70年代には すでに予測されていた「人口減少」をデータベースから かなり排除した点であろう。
    松下が1979年に開講した「松下政経塾」財閥系の政治家が いわゆる反東アジア外交派と呼ばれる理由こそ「新国土創成論」の影響だ。

    たしかに松下によれば、アジア進出の反省が「新国土創成論」らしい。しかし、「日本は土地が狭いけど、拡張すれば あなたも一軒家 所有できますよ」という思想は、満州移民(領土拡張主義)の宣伝と同一ではないか。

    そこに、私は財閥系政治家の若く、清新だけど、反東アジア外交政治スタンスであるバッグ・ボーンを読む。

    ネタバレBOX

    舞台『鬼火』は その「怨念」が幻想的である。また、恐怖心を混在しながら漂う、断絶した農村でもある。

    まるで「お化け屋敷」のような 1秒間、2秒間の「ゾッとする」シーンは、1939年から断絶した農村における残像だろう。



    『劇団演奏舞台』看板女優の文月 一花は若い姉の役柄である。
    その演技が わざとらしく、むしろ後の大日本国防婦人会が プロパガンダする「良妻賢母」だったことは 皮肉かもしれない。

    しかし、「父さんは なぜ死ななきゃいけなかったの」という文月は、人類に共通するエネルギーが あった。疑問を持ったから《?》形式。
    それは 文字通りなのだが、論理だとか、理論だとか、思想だとか、アナロジーだとか、そうした枠組みを無視する真っ白な《?》であり、ついつい泣きそうになった。

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