硝子の方舟 公演情報 硝子の方舟」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.4
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★

    聞き取りづらかった
    新興宗教団体の「あちら側」へ行ってしまった人々の怪しい雰囲気がひしひしと伝わってきました。ただ、その怪しさを出すためか、独特の口調と異常なほどの早口で台詞が聞き取りづらかったでした。人間関係や場所関係が追いつかず、自分には難解なものとなってしまい、なぜ今あの事件をベースとして演じるのかがスッキリしないままでした。

  • 満足度★★★★

    カルト教団っぽさに説得力あり
    カルト教団に入信した恋人を救おうとする(?)男の物語。
    懐かしきアングラ芝居風の台詞回しが如何にもカルト教団の修行っぽくてサブテレニアンにいるんだかサティアンにいるんだかワカらなくなりそう、的な…。
    また、教祖や信者が振り回す理屈も、教団関係者が一般人を煙に巻く時に使いそうで説得力(!)があった。
    なので「ある不安」を抱いた(爆)が、終演後に談笑する役者陣がフツーの若者でひと安心。(笑)

  • 満足度★★★★

    どこからきて どこへゆくのか 生きる意味は?
     何故、明るさや豊かさがこれ程哀しいのか? 我らは何処から来て、何処へ行くのか? 我らの生きる意味は? そも、意味など我らが生き続ける為に編み出した虚妄に過ぎないのではないか? 

    ネタバレBOX

     余程愚かでない限り、ヒトたる者これらの自問を必ず経験して来たであろう。答えが出せないと、大抵ヒトは、追求することをではなく、問うことを止めてしまう。そして、何も無かったかのように、日常に埋もれてしまうのだ。然し、ここに問いを立てた者が居た。
     女は、彼との暮らしには何かが足りないと思い、男は、彼女を引き止められなかった理由を問うた。同じ屋根の下で、同じ時を過ごし、魂だけがこんなにも離れていた。問いは、残酷にもその理由を問うたのであった。
     いつかそれは、テーゼの形をして現れた。精神を縛るものとしての肉体を否定した。そしてそれは否定したまま、身体を持つ理由、即ち行為への関与については、口と頭を閉ざした。実際には、肉体を抱えたまま、それは出家という形を採らせ、修行という名の罠を伴わせた。
     実際、行われたことは、密室での洗脳であった。グルの沸騰の論理を、愚かな秀才達は、自分達に飛び越えられなかった壁を易々と越える高翔と見た。グルは、狡猾にも、既にこの時点で、己のオーダーに疑念を差し挟むだけの合理的・批判的精神を不純な心性として排除していた。
     この為、グルの精神の奥底に蠢いていた復讐心や世界に対する怯えが、肥大する自己肯定によって転倒。肥大し逆転した自己は、世界を滅することを正義に転化、終にテロ事件を起こすに至った。世間は殺人を含むこのテロ事件をテロであるとの報道や殺人という禍々しい報道から指弾した。
     然し、この作品のモデルになった事件は、そういった側面だけでは済まされない。何故なら、少なくとも宗教の仮面をつけているからである。無神論者の自分にとって、宗教は思想の取る一つの形である。そして、あらゆる思想は、そのオーダーを決めて仕舞った後は、唯一の展開として尖鋭化のみをそのベクトルとして本質を為し、論理のみでこれを負うならば、必ず死をものともせぬ潮流が現れる。「臨済録」でも仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、初めて解脱を得ん という表現が出てくるが、これを字義通り単純に読む愚か極まりない手合が出てくる可能性だってあるのである。まあ、臨済は無事の人に到達しようとして格闘した人だから、それが分かっていれば読み間違える気遣いは低いだろうが、零ではない。それが、ことばであり、論理であるからこそ、臨済録の中の別の個所では、言葉の限界を示してもいるのである。だが、この作品のモデルになった新興宗教のグルの到達点は、レベルの遥かに劣るものであった。出家信者達も、超越だの、肉体を滅して精神を追求するだのという初歩的な罠に掛かる程、愚かであったのも事実であろう。その点をキチンと指摘し得たシナリオである。
  • 満足度★★★★

    あちら側とこちら側。
    冒頭など怒鳴り台詞が割れ割れで聞き取れず。

    あちら側(舞台上)で何をしているのかこちら側(客席)に
    伝わりづらいところも少なくなかったかな、というのが正直なところでした。
    面白かっただけにちょっと残念でした。

    あの時にあの渦の中にいた人たちは、どうだったんでしょうね。

  • 満足度★★

    難解でした
    台詞が、よく聞き取れず、雰囲気でお芝居を観てましたので、お芝居に疑問ばかりわきました。それも観ていくと普通は氷解するのですが、膨らむ一方でした。姉妹関係がグチャグチャになるし、終始難解でした。まだまだ、観方としての修行が足らないですね。

  • 無題1055(14-094)
    19:00の回(晴)。18:37受付、開場。中央より手前がよいとの案内がありました。右側に座席(3段)、上手の角にカーテンで仕切られた小部屋らしきもの。19:00前説、開演〜20:33終演。

    こちらは初めて、「活動紹介」にある、転位21、山崎哲氏も未見。「板橋ビューネ」で何作か異色の作品を観ているので、そういったもののひとつとして観ました。「説明」を読めば何を素材として採り上げているのかはわかりますが、なぜ、今、此処で、演じるのかまではわかりませんでした。

    ネタバレBOX

    BGMが大きく聞き取れないセリフが多々ありました。

    「教団」の実態は相当部分明らかにされていると思いますが、それと比べると「そういうことかっ!」のような説得力が不足、既知のピースを組み合わせた以上のものが何処かにあったのだろうかと思いました。

    お互い、うまくコミュニケーションできない、ということを表現していたのでしょうか。

    おひとり、声がかすれているように聞こえました…(それとも地声?)

    パロディーではなく、教団のその後を憂うものでもなく、その時代を掘り下げるのでもなく。(当パンより)「真理のため」「人殺し」さえ「善」になるロジック…は今でも世界に蔓延しているのでは?

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