ぼくらは生れ変わった木の葉のように 公演情報 ぼくらは生れ変わった木の葉のように」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.3
1-4件 / 4件中
  • 満足度★★★

    大雪の中、観劇
     今作は1972年10月、新宿アートシアターで上演されたのが、初演ではないかと思う。蜷川 幸雄演出、主な出演者は、石橋 蓮司、蟹江 敬三、本田 龍彦などで一幕二場の作品である。1972年といえば、沖縄闘争の敗北で、学生運動の転換期に当たる。単行本になったシナリオの扉横には、ギンズバーグの詩の一節が引用され、今作のタイトルも、この詩から採られている。
     有名な作品なので、あらすじ等は読んで確認して欲しい。今回の上演では、シナリオに忠実な科白回しであった。

    ネタバレBOX

      清水 邦夫は、詩が大好きで詩人の書いた作品のフレーズを良く引用するが、殊にリルケからの引用が多いのは衆知の事実だろう。今作でも多くのリルケ作品が引用されている。詩は、文学の中で最も高いレベルの言語表現であるから、テンションが高い。殊にリルケは、読む側、発語する側のテンションが高くないと、その良さが出て来ない。非常にデリケートな、同時に、ピアノ線のように強靭な強さを持った言語表現である。
     しょっぱな、自動車が、壁をぶち抜いて、一家団欒の部屋へ飛び込んでくるのは、恐らくは「時計仕掛けのオレンジ」のパロディーだろう。その非日常性によって、観客を巻き込み、毛沢東等の言行も引用しながら、学生運動衰滅期の社会状況とメンタリティーを高いテンションで演じ切らなければならない所に、この作品上演の難しさがありそうである。今作を上演した劇団には、その辺りのことも、もう少し深めて欲しい。
  • 満足度★★★★

    それはなにゆえ。
    大雪の中で、となってしまいましたが、
    道順メールなど制作の方のお気遣いはありがたかったです。

    不勉強で清水戯曲は「楽屋」しか知らなかったのですが、
    この作品にも「楽屋」と同じというか劇中で古典作品を演じるシーンがありまして。
    作品の内容は、書かれた年代もあって今ではピンとこないところもあったかもしれませんが
    「楽屋」とはまた違っていろいろと挑みがいのある面白い作品ですね。
    男役どちらもやってみたいなあ。
    どうしてこの作品を選ばれたのかは聞いてみたいところです。

    古典を演じるシーンはインプロ「だけ」やってる人だとよりハードル高いかなあ、という印象で。
    メリハリのハリの方ばかりで頑張ってもつらいので、
    メリの方をしっかり出せるかという方向を目指してもよかったのかな、と。

    全体的に力んでる感じになってしまってたので、
    もっと肩の力を抜いて臨めたらよかったのかなーと感じました。

    でも、真面目に戯曲に向き合って稽古されてたんだろうなと思いましたよ。

  • 満足度★★★

    面白いが…
    日常にスルッと入り込んだ狂気は伝わった(常識が狂気・偏執に変貌)。その狂気は、人間がもともと持っているのか…外部に刺激されて表れたのか。いづれにしても誰しもキッカケがあれば凶悪になるかも…。平穏と思っていることは、実は砂上の楼閣で脆いもの、と改めて思った。狂気で守るか理性で抗うか。
    構成、演出は面白いが、演技が今一つ。セリフが、単なる怒声か内なる叫びか…自分は前者に聞こえた。

  • 私には…
    まず最初に 前日、劇団さんのほうから 会場までの懇切丁寧な道順の案内を頂けたことを感謝いたします。ここまでの配慮を受け、たとえ雪道とは言え、絶対に遅れるわけにはいかない と思いました。チケプレで観させていただきました。ありがとうございます。

    清水邦夫が巨匠と呼ばれるかたなのかさえ無知な私はわかりません。ただ「楽屋」を観てとにかくストンとお腹の真ん中にくる感じというのか、その心地好い重さ、熱が忘れられないでいます。

    今日見せていただいた作品、残念ながら、私にはわからず「観させてもらった」と書くことさえ自信がない。ただ出てくる人物たちの絶叫を60分も聞かされる。役者経験はありませんが、皆さん、身体からというより喉を振り絞るように締め付けられるように声を出される。あえて、意図的にそんな発声をしているのか、仕掛けのうちなのかわかりませんが、割れるようなMAXの、あるいはキンキンした声を長時間聞かされるのは私には苦痛でしかありませんでした。以下、ネタばれにて

    ネタバレBOX

    シェイクスピアを演じているときとコテコテの任侠芝居のひと節をやってるときと 基本何も変わってない。がらりとべつな世界を見せてこその見せ場でしょうに。もし、もとの戯曲を読んだら、ああ、そうだったのかと合点がいくのかもしれない。かえって台詞でなく、途中、蜘蛛の巣のように張り巡らしたトイレットペーパーを身体に巻きつけての表現のほうが、はっとするくらい雄弁だった。でもなぜ、舞台の最後に「ぼくらは生まれ変わった木の葉のように」と叫ばなければならなかったのか舞台ではわかりませんでした。このタイトルにもなった言葉は大変詩的な比喩ですが、舞台では私にはその詩を感じられなかった。アンテナの感度の問題なのかもしれない。残念です。

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