演戯団コリペ『小町風伝』 公演情報 演戯団コリペ『小町風伝』 」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★★

    コリペの小町風伝
     演劇団コリペ(1986年、釜山で結成)を率いる李 潤澤氏の演出になる今作であるが、実は、1992年に李氏は太田 省吾氏から直接演出を頼まれていた。その時点で演出しなかったのは、太田氏のオリジナルでは、沈黙に多くを語らせており、それは李氏とは、逆の方法であった為、その時点では沈黙を言語化することを断念せざるを得なかったのだと言う。互いに互いの力量を認め合えるだけのアーティストが、このような形で邂逅していたのである。その後の二人の付き合いは続き、20年余を経た今日、李氏は、かねてからの依頼に応えた。
     因みに、現代韓国の演劇レベルは、世界トップクラスである。才能が鎬を削る韓国内にあってコリペは、プロの集団、現在迄にいくつもの賞(東亜演劇賞、ソウル公演芸術祭での受賞、韓国演劇大賞での受賞等々)を獲り、韓国を代表する劇団の一つ。劇団員は、全員、舞台収入だけで食っている。それだけに、志も高く、技術もプロのそれである。今作でも、日本の能と朝鮮半島へ伝わった騎馬民族のサバンチギ、韓国に残る古典芸能の一つ、グツ、半島南部に残る矢張り古典芸能・仮面を用いたトッブェギなどがさりげなく織り込まれて伝統的形式を能面と対比させることで、単に歴史的推移ばかりでなく、現代に於ける互いの文化の歴史的潮流と融合を含めたムーブメントの方向性をも示していると見ることができよう。(追記2013.10.29)

    ネタバレBOX

     幾重にも重ねられた時空と人間関係が、ひたひたと寄せる波のように我々の心を浸し、生の総体迄体感させるような感覚を呼び醒ましてくれる。
    夜と昼、光と闇、若さと老い、一瞬と永遠、これら総てが、思考を追求することから解き放たれた不分明の央で、時に融和し、時に離れ、また寄っては距離の近さに戦く様に顫え、生命のリズムに呼応し、永遠の愛を一瞬に稔らせたかと思う瞬間に飛びさる。悠久の時が、波が我らにひたひた押し寄せるように寄せて足を濡らし絡め取る。
     このようにして我ら観客は、夢とも現ともつかぬ劇空間にいつの間にか取り込まれ乍ら、生命の息吹のようなものに、その気配や佇まいに出合うのだ。一旦、西洋的な論理のオーダーを捨て、魂を猶わせてみよう。其処には東洋が見えてくるはずである。
  • 満足度★★★★

    不思議な感覚
    一人の女性の一代記に見えるんだけど、過去と現在と未来が同時に存在する不思議な空間。動きや間は独特だし、古く感じないけど既視感もあるし。この作品について、他の方のコリッチの感想読んで、なるほどなぁと思う事が多い。字幕追いながらでも、わかりやすくて楽しかったです。

    ネタバレBOX

    どこまで現実でどこまで回想(もしくは夢)なのか、ゆったりした物語の運びなのにはっきりしない内容も楽しいし、語り手とお婆さんと若い女が、3人で一人の人物を表すのも、刺激的だった。
    途中で、お婆さんが観客に手を差し伸べるシーンがあって、手を繋げたのが嬉しかった。
  • 満足度★★★★★

    インスタントラーメンと幽玄
    土曜日に観客席の中央寄りで観て、劇中で老婆に手を取られて、
    「これは凄い」と思って、
    千秋楽には当日券で入れたので、今度は老婆側に寄って見てみた。

    インスタントラーメンを作る、僅か数分間かの間に視る幽玄。

    最近、目にする韓国演劇のどれもが凄い。

    演出家は、「これは日本演劇です」と言っていた。

    確かにそうだと思う。

    韓国の劇団が、まさに日本の劇団の誰もやっていない日本演劇の地平を切り開いているのだと思った。

    日本の演出家も、古典(てほどでもないか)の演出をするなら
    もっと別の素養を深く身につけた方が、
    刺激的な作品を作れるのではないかと改めて感じたりした。

  • 満足度★★★★

    とても幻想的
    夢か現か。

    ネタバレBOX

    基本韓国語上演。字幕が読みづらく、意味はあまり分からずに観ました。

    座ったまま歩くような歩き方は能の様式を取り入れたような感じ、ラーメンの匂いは夜9時の脳には刺激的でした。

    大家さんがいたり、医者がいたり、実際にラーメンを作ってみんなで食べたりするのですから、最初老婆は現実の人で、時々妄想の世界に陥りながら若い頃を懐かしがっているのかと思っていましたが、ラストで洋服を着てスーツケースを引きながらこれから旅行に行ってきます的な様子を見ると、やはり時空を超えて次の時代に移動するような存在なのかなと直感しました。

    背中に黒っぽい薄い布が貼ってあったのは妄想の世界の人たちなのでしょか。貼っていない人は現実の人なのでしょうか。そうだとすると、運動会は現実で、若い頃の人たちは妄想の世界の人であることは当然として、大家さんや医者も妄想の世界の人ということになってしまいます。

    全ては幻想の世界の妄想、小町ちゃんはチョコっと今の現実で運動会で騎馬戦をしたりして楽しんだのでしょうか。
  • 満足度★★★★★

    本当に素晴らしい 改演出(快演出)!
    転形劇場が1977年に初演し、その沈黙が支配する舞台に当時誰もが驚愕した『小町風伝』を、韓国の李潤澤(イ・ユンテク)氏が演出。

    李潤澤氏は、太田省吾(転形劇場)の演出とは全く違うアプローチによって、
    この作品に新たな命を吹き込んだ。

    とにかく役者さんの演技が素晴らしかった。
    演出も本当に素晴らしかった。

    ただし、転形劇場の芝居が好きな人が観たら、賛否は別れると思う。
    詳しくはネタバレBOXに書くが、私は転形劇場版と演戯団コリペ版はネガとポジの関係にあると思った。

    これだけ個性の強い戯曲を、そして演出イメージも強く付いてしまっている作品を、ここまで自分のものとして演出できる李潤澤(イ・ユンテク)氏の実力、そして勇気は本当に凄いと思う。

    スタンダードな古典を奇異に改変する(崩す)のとは訳が違う。
    極めて特異な作品を、物語演劇に仕立て直しているのだ。
    こちらの作業の方が、実は失敗する可能性は遥かに高い。
    敢えてそこに挑戦し、成功を勝ち取っている。

    久しぶりに作品テーマがどうこうと考える隙もなく、
    演技と演出に魅了されてしまう舞台を観た。

    ネタバレBOX

    <後日、戯曲や資料を読み直して、書き直すかもしれません。>

    『水の希望 ドキュメント転形劇場』(弓立社)に載っている当時の劇評を読むと、この作品は元々冒頭の「四十分ほどのあいだ、まったくセリフなしの無言劇」(小苅米晛)であり、「約二時間二十分のうち三分の二程度は、まったく台詞なしで進行するという大胆な沈黙劇に近い設定」(扇田昭彦)だったという。

    李潤澤(イ・ユンテク)氏は、この戯曲にあるト書き部を、語り部に語らせることで、無言劇ではなく、物語劇に仕立て直した。

    転形劇場版では、観客は、その沈黙の中に、引き延ばされる時間の中に、人が生きる時間そのものの重みを感じる。そして、多くが語られない中に、老婆の想いを感じる。

    それに対して、演戯団コリペ版では、観客は、現実と夢幻が入れ替わり立ち替わりする様に、夢の儚さ、現実の儚さ、常に生成変化する人生の刹那さを感じる。
    そして、多くが言葉としても語られることで、役者の身体に多くの物語の意味を付加しながら、その演技の厚みを感じる。

    あらゆる部分で、この2作品はネガとポジの関係にあると言えるだろう。

    そして、その作品の問いかけるものも、(当日販売されていたパンフレットに掲載されている)金世一氏の解説によると、
    太田省吾の原作は「男性中心の封建的な家族関係に対する拒否、そして男性の性の虚偽と虚飾に対する拒否としても受け入れられ」、「小町は、社会から強要された道を捨てて及び受動的な生き方という習慣の血を吐き出したコマコとなった」というのが中心テーマにあるのに対して、「李潤澤版『小町風伝』には、死に直面していた老人の目の前に広がる人生の想い出に焦点が当てられている。」ということらしい。

    とても的確な指摘だと思う。
    本作から、女の一生、人間の一生とは何かということを深く考えさせられた。

    金世一氏は続けて「蘇った人生の紆余曲折と和解してからこそ安らかにあの世に渡れるのだ。これは、半島の伝統演劇とも言える、「グッ긋」というシャーマンの儀式の目的でもある。李潤澤は列島の「小町」という表象に半島の伝統儀式の精神を取り入れることを通じて、文化を乗り越える和解及び時代を越える和解を提案している。」と書いている。
    これも的確な評だと思う。同じ韓国人だからこそわかる深い指摘だ。

    とにかく役者さんの演技に魅せられた。
    主演の老婆:キムミスク氏、
    そして、少尉/隣家の父/魂:イスンホン氏、
    若い小町:イセイン氏、
    隣家の息子:ゾヨングン氏、
    サチコ:ペミヒャン氏、、、     など、本当に素晴らしかった。

    演出も、とてもとてもよく構成されていて、本当に素晴らしかった。

    久しぶりに作品テーマがどうこうと考える前に、演技や演出に惹きこまれるという作品を観た。
    解釈よりも、「なんだこれは!」というエネルギーがまず舞台から襲ってくる作品こそが本当に良い作品なんだなと改めて思った。

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