演戯団コリペ『小町風伝』 公演情報 BeSeTo演劇祭「演戯団コリペ『小町風伝』 」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    本当に素晴らしい 改演出(快演出)!
    転形劇場が1977年に初演し、その沈黙が支配する舞台に当時誰もが驚愕した『小町風伝』を、韓国の李潤澤(イ・ユンテク)氏が演出。

    李潤澤氏は、太田省吾(転形劇場)の演出とは全く違うアプローチによって、
    この作品に新たな命を吹き込んだ。

    とにかく役者さんの演技が素晴らしかった。
    演出も本当に素晴らしかった。

    ただし、転形劇場の芝居が好きな人が観たら、賛否は別れると思う。
    詳しくはネタバレBOXに書くが、私は転形劇場版と演戯団コリペ版はネガとポジの関係にあると思った。

    これだけ個性の強い戯曲を、そして演出イメージも強く付いてしまっている作品を、ここまで自分のものとして演出できる李潤澤(イ・ユンテク)氏の実力、そして勇気は本当に凄いと思う。

    スタンダードな古典を奇異に改変する(崩す)のとは訳が違う。
    極めて特異な作品を、物語演劇に仕立て直しているのだ。
    こちらの作業の方が、実は失敗する可能性は遥かに高い。
    敢えてそこに挑戦し、成功を勝ち取っている。

    久しぶりに作品テーマがどうこうと考える隙もなく、
    演技と演出に魅了されてしまう舞台を観た。

    ネタバレBOX

    <後日、戯曲や資料を読み直して、書き直すかもしれません。>

    『水の希望 ドキュメント転形劇場』(弓立社)に載っている当時の劇評を読むと、この作品は元々冒頭の「四十分ほどのあいだ、まったくセリフなしの無言劇」(小苅米晛)であり、「約二時間二十分のうち三分の二程度は、まったく台詞なしで進行するという大胆な沈黙劇に近い設定」(扇田昭彦)だったという。

    李潤澤(イ・ユンテク)氏は、この戯曲にあるト書き部を、語り部に語らせることで、無言劇ではなく、物語劇に仕立て直した。

    転形劇場版では、観客は、その沈黙の中に、引き延ばされる時間の中に、人が生きる時間そのものの重みを感じる。そして、多くが語られない中に、老婆の想いを感じる。

    それに対して、演戯団コリペ版では、観客は、現実と夢幻が入れ替わり立ち替わりする様に、夢の儚さ、現実の儚さ、常に生成変化する人生の刹那さを感じる。
    そして、多くが言葉としても語られることで、役者の身体に多くの物語の意味を付加しながら、その演技の厚みを感じる。

    あらゆる部分で、この2作品はネガとポジの関係にあると言えるだろう。

    そして、その作品の問いかけるものも、(当日販売されていたパンフレットに掲載されている)金世一氏の解説によると、
    太田省吾の原作は「男性中心の封建的な家族関係に対する拒否、そして男性の性の虚偽と虚飾に対する拒否としても受け入れられ」、「小町は、社会から強要された道を捨てて及び受動的な生き方という習慣の血を吐き出したコマコとなった」というのが中心テーマにあるのに対して、「李潤澤版『小町風伝』には、死に直面していた老人の目の前に広がる人生の想い出に焦点が当てられている。」ということらしい。

    とても的確な指摘だと思う。
    本作から、女の一生、人間の一生とは何かということを深く考えさせられた。

    金世一氏は続けて「蘇った人生の紆余曲折と和解してからこそ安らかにあの世に渡れるのだ。これは、半島の伝統演劇とも言える、「グッ긋」というシャーマンの儀式の目的でもある。李潤澤は列島の「小町」という表象に半島の伝統儀式の精神を取り入れることを通じて、文化を乗り越える和解及び時代を越える和解を提案している。」と書いている。
    これも的確な評だと思う。同じ韓国人だからこそわかる深い指摘だ。

    とにかく役者さんの演技に魅せられた。
    主演の老婆:キムミスク氏、
    そして、少尉/隣家の父/魂:イスンホン氏、
    若い小町:イセイン氏、
    隣家の息子:ゾヨングン氏、
    サチコ:ペミヒャン氏、、、     など、本当に素晴らしかった。

    演出も、とてもとてもよく構成されていて、本当に素晴らしかった。

    久しぶりに作品テーマがどうこうと考える前に、演技や演出に惹きこまれるという作品を観た。
    解釈よりも、「なんだこれは!」というエネルギーがまず舞台から襲ってくる作品こそが本当に良い作品なんだなと改めて思った。

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    2013/10/18 00:53

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