SHUJI TERAYAMA#13 公演情報 SHUJI TERAYAMA#13」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★

    疾走感、焦燥感の欠如
     今作のタイトル“似非地球空洞化説”が示すように地球空洞説からもそのコンセプトが援用され、其処に「不思議の国のアリス」が綯い混ぜにされて大枠を形作っている。更に、同時に異なる主題を追求することで認識の総体化を解体する寺山がよく用いた手法も採られる。その上、狭いpit北/区域を総て使って、迷宮化するなど、寺山的世界を創出する為の様々な工夫が為されている。だが、天井桟敷の面々が持っていた特異性、時代を切り裂く者のみが持つ迫真性は出せていなかった。(追記2013.9.28)

    ネタバレBOX

     没後30年を迎えて、寺山 修司の評価は定まったのだろうか? 寺山に対しては、巨人と言う者、虚人と言う者、天才と言う者、奇人と言う者、様々であるが、自分が敢えて呼ぶならば、“魔術師”という称号を付与したい。この単語が十全だとは思わないが、人々はまだ寺山の創った実人生の虚構化からは抜け切っていないように思うのだ。
     無論、寺山は、ここで表象されたような解体の方向を持っていた。然し、同時に恐山の“いたこ”のようなおどろおどろしい風習や、フリークスなどの見世物的復権といかがわしさを、恐らくはその乾いた怒りや言語化されたアイデンティティーの根拠として、またロートレアモンの有名な一節「手術台の上のこうもり傘とミシンの出会い」の寺山流変奏術として、既に喪われたアイデンティティーへの滑稽な鎮魂歌として歌うと同時に、決して辿りつくことのないもの・ことへの限りない渇きによって、時々刻々、寺山修司は、寺山修司になりなりてなっていたのである。
     自分が、敢えて、日本の古典に用いられている表現を援用しているのも、無論、この意味に於いてである。最先端と最も伝統的なもの・ことの想像力の中での邂逅以外に、何が、我々のアイデンティーを育み、保障するのか、との問いでもある。
  • 稚拙なアングラ風学芸会
    なんとも稚拙なアングラ風学芸会。観客たちを舞台に座らせて、まさかそれで観客参加と思っているのだろうか。彼らは実験劇をどのように考えているのだろう。どう見ても実験劇だからこの程度でいいやとしか思っていないような美術的クオリティー。だが、寺山の実験劇はその時代の最先端のアーティストたちが支えていたのだ。また、この劇の冒頭で問題が起こることを恐れてか「触れることは禁じます」とのアナウンスがさかんに流れる。これも寺山の実験劇のあり方とはまったく反すること。触れるどころではない。殴り合いというコミュニケーションが行なわれていたのだ。実際にその当時の実験劇を見ていて、確かに部分的にしか見ることが出来なかったし、ときにはほとんど見られないようなこともあったが、劇に導く霊媒的な天井桟敷の表現者たちの存在は充分に信じるに足るものがあった。だから、どんなに過酷な状況でも、こちらも劇の加担者としてつき合うつもりになったのだ。しかし今回の高校演劇以下の腐女子たちの稚拙な学芸会で、見るものが取り込まれるような要素は皆無だった。もういい加減にこの手の寺山修司を騙った幼稚なパフォーマンスはよしてもらいたいものだ。

  • 満足度★★★

    よかった
    不思議な劇であった。まさに寺山的であった。

このページのQRコードです。

拡大