満足度★★★
疾走感、焦燥感の欠如
今作のタイトル“似非地球空洞化説”が示すように地球空洞説からもそのコンセプトが援用され、其処に「不思議の国のアリス」が綯い混ぜにされて大枠を形作っている。更に、同時に異なる主題を追求することで認識の総体化を解体する寺山がよく用いた手法も採られる。その上、狭いpit北/区域を総て使って、迷宮化するなど、寺山的世界を創出する為の様々な工夫が為されている。だが、天井桟敷の面々が持っていた特異性、時代を切り裂く者のみが持つ迫真性は出せていなかった。(追記2013.9.28)
稚拙なアングラ風学芸会
なんとも稚拙なアングラ風学芸会。観客たちを舞台に座らせて、まさかそれで観客参加と思っているのだろうか。彼らは実験劇をどのように考えているのだろう。どう見ても実験劇だからこの程度でいいやとしか思っていないような美術的クオリティー。だが、寺山の実験劇はその時代の最先端のアーティストたちが支えていたのだ。また、この劇の冒頭で問題が起こることを恐れてか「触れることは禁じます」とのアナウンスがさかんに流れる。これも寺山の実験劇のあり方とはまったく反すること。触れるどころではない。殴り合いというコミュニケーションが行なわれていたのだ。実際にその当時の実験劇を見ていて、確かに部分的にしか見ることが出来なかったし、ときにはほとんど見られないようなこともあったが、劇に導く霊媒的な天井桟敷の表現者たちの存在は充分に信じるに足るものがあった。だから、どんなに過酷な状況でも、こちらも劇の加担者としてつき合うつもりになったのだ。しかし今回の高校演劇以下の腐女子たちの稚拙な学芸会で、見るものが取り込まれるような要素は皆無だった。もういい加減にこの手の寺山修司を騙った幼稚なパフォーマンスはよしてもらいたいものだ。