京都学生演劇祭2026 公演情報 「京都学生演劇祭2026」の観てきた!クチコミ一覧

★ 満足度の平均 ★ ★ ★ ★ ★ 4.0
1-6件 / 6件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    Aブロック観てきた。

    以下、ネタバレへ。

    ネタバレBOX

    京都学生演劇祭のAブロック、三本見終わってみると、かなりとんでもないプログラムだった。

    最初の作品は、神様として祀られている存在が実は怪物で、村人たちは生贄を捧げながらそれを鎮めている、という伝奇的な世界から始まる。そこに、子どものようにも見える、どこかいたずらっぽい存在が現れて、物語の構造をひっくり返していく。

    妖怪や神話を題材にした作品として受け取ることもできるけれど、単純な怪異譚ではなく、「人間が神や怪物をどう名付け、どう扱うのか」というところまで遡っていく感じがあった。

    こういう伝奇ものは、やはり京都で見ると少し凄みが増す気がする。
    神社や祭祀、妖怪や怨霊といったものが、単なる物語上の設定ではなく、街のあちこちに古い記憶として残っているからだ。
    舞台の外側にまで、こういう物語を受け止める背景がある。

    二本目になると、さらに不思議になる。

    夕日を追うように歩き続ける人々、眠れない少女、孤独な神、怪物のような存在、母と息子、月の欠片、そして「21グラム」。

    神話なのか、夢なのか、創作なのか、それとも誰かの記憶なのか、最後まで輪郭が完全には固定されない。

    「21グラム」が魂の重さをめぐる有名な逸話を連想させることもあって、息子が太陽や星空のような存在でありながら、どこか大事なものを失って抜け殻になっているようにも見える。母親が何かを「創った」存在だと考えると、創造した側と創造された側の関係にも見えてくる。

    個人的には、このあたりの少女幻想的な感触がかなり好きだった。
    ユリイカ百貨店のような、現実と幻想の境目が少しずつ溶けていく感じがある。
    長野まゆみや鳩山郁子の作品を読んでいるときのように、物語の意味そのものより、言葉や物や人物が持っているイメージの連鎖に引っ張られていく。
    ただ、こういう作品だからこそ、もう一つくらい具体的な神話の足場があっても面白かったのではないかと思う。

    たとえば「神様」という言葉は、とても広い。

    ギリシャ神話のプロメテウスのように、固有名が一つ置かれるだけでも、創造、神と人間、与えられたもの、そしてその代償といった具体的な物語が一気に立ち上がる。
    もちろん、この作品が実際にプロメテウスを意識しているという意味ではない。
    ただ、「神様」や「月の欠片」や「21グラム」といった言葉を、もう一つ具体的な神話的構造につなぐものがあれば、観客が作品の中へ入っていくための足場になったかもしれない。
    そうしないと、言葉を拾っていくほど、
    「神」
    「母」
    「息子」
    「月」
    「21グラム」
    といった巨大で美しい記号だけが残っていく。

    それは長野まゆみや鳩山郁子のような少女幻想の方向にも見えるし、逆にそこから、さらに匿名的なゴドーが口を開けているようにも見える。

    こういう作品は、筋を説明してしまうとむしろ面白さが抜けてしまう。観客が「これは何なのか」と考えながら、自分の中で神話やイメージをつなぎ合わせていくことそのものが作品になっているように感じた。

    だからこそ、これは作品が薄いという話ではなく、むしろ好きだったからこそ、もう一つだけ具体的な神話的固有名があったら、かなり強いところまで行けたのではないかと思った。


    ここまでなら、かなり実験的ではあるものの、まだ「学生演劇祭らしい、神話的で少し難解な作品」として受け止められる。

    そして三本目になると、神話的世界が突然、地獄第三セクター三途の川ラインの職場になる。

    三途の川を渡る亡者を運ぶ、いわば「三途の川線」。

    そこには現世で犯罪を犯して服役し、地獄でも刑期を終えた人たちが働いている。つまり、かなり真面目に更生している……らしい。

    その中心にいるのが三十又機関士である。

    特に「僕、現世で三十又してたクズ男です!」などとは言わない。普通に有能そうな機関士として仕事をしている。
    よくわからないのだが、もうすぐハロウィンになると新幹線みたいに三途の川ラインも舎人ライナーみたいに激混みになるらしい。そのうえ停電まで続いていて、現場はピリピリしている。

    この人、現世では三十又。

    数々の女性と関係を持った末、そのうちの一人に背後から刺され、昭和の色男として堂々たる最期を遂げ、死☠。
    そして地獄で服役した後、三途の川線で機関士として働いている。 

    なんでやねん。

    ここまでなら、かなり「罪と罰」である。
    ドストエフスキーである。
    ところが、その女性も現世で殺人の罪に問われ、服役し、死後は地獄で服役している。そして三途の川線で、何食わぬ顔をして彼と同じ職場にいる。

    しかも彼女は、可愛い顔をしてニコニコしながら、心の奥底では彼を全く許していない。

    密かに呪いを仕掛けようとする。

    その呪いは「誰かに背を向けること」に関係する。自分が後ろから三十又機関士の腹を抉った、そのトラウマを死後も彼に味わわせようとする。

    ……それ、重すぎるよ展。30%…

    ただ幸いなことに、三十又機関士はすでに別の呪いを受けているため、新しい呪いは掛けた方に跳ね返るという、妙にジョジョ的で精密なルールまである。

    なんでやねん。

    最初の三十又機関士の、「頭に浮かんだことに合わせて電球がぶら下がって光る」という呪いまで、後から考えると単なるギャグではなく、作品全体の呪いのルールに組み込まれている。
    ここまで来ると、これは「宴会芸のような作品」に見えて、実はかなり細かくルールを設計した呪いのシステム演劇でもある。
    しかも三十又機関士の周囲にいる同僚たちも、現世で詐欺をして服役し、地獄でも服役し、ようやく罪を償って三途の川線で粛々と真面目に働いているだけなのに、彼女の復讐によって、

    「……こいつらまとめて呪う!(キャー)」

    となる。

    それ、重すぎるよ…展50%…(シャンシャン)!

    罪を犯した人間が罰を受け、その後に働いている。
    そこへ一人の人間の情念が侵入してきて、また全員を地獄へ引き戻そうとする。
    こう考えると、たしかにドストエフスキー的な入口がある。
    罪とは何か。罰とは何か。復讐とは何か。罪を犯した人間は、その後どう生きるのか。他人の罪によって自分まで巻き込まれることは、果たしてどこまで許されるのか。
    ……と、こちらはだんだんドストエフスキーの顔になってくる。
    しかも太宰的な日本文学の女性像を思い浮かべても、今回の彼女はかなり異質に見える。
    太宰的な人物なら、自分自身の弱さや破滅を言葉にしてしまいそうなところを、この女性は、
    「憎い」
     ↓
    「殺す」
     ↓
    「服役する」
     ↓
    「死後も地獄で服役する」
     ↓
    「同じ職場に行く」
     …え?
     ↓
    「呪う」
    ????

    と、情念が内面描写を通過せず、そのまま行動になる。
    いわば、文学の中で悩み続ける女性ではなく、
    ハカイダーみたいな実行力を持った情念の女性である。
    ……と、ここまで考えると、いよいよドストエフスキーっぽい。
    ところが、舞台はそれを許してくれない。
    三十又機関士の絆創膏を、その女性が剥がす。
    「痛っ!」
    機関士、50センチくらい飛び上がる。
    ここで全部が崩れる。
    「……重い。人間とは……」
    と考え始めたところに、

    鈴木雅之『違う、そうじゃない!』

    が脳内から乱入してくる。
    しかも困ったことに、見ている側、特に中年のおっさんの中には、見かけ上ラブコメに見えるせいで、

    「……いいなぁ……」

    と思う人間まで出てきそうである。

    ちょうど津波警報のようにメンヘラ警報が場内に鳴り響きまくっているのに、
    ビッグ・ウェンズデーを見に海岸へ行きたがるようなキラキラ✨️した目をした飴ちゃん舐めた中年たちがそこにいた…かもしれない。

    断言はできないが♨️

    いや、待ってくれ。
    冷静に考えれば、この男は三十又をやっていたのである。
    自分を刺した女性だけでなく、同僚まで自分と同じ泥舟に乗せている。決して無害な主人公ではない。

    ……おっさんたちの良心の声。あれば。

    それなのに、
    「死んでも自分を追いかけてくる女性がいる」
    「しかも美人である」
    「絆創膏を剥がしてくれる」
    「痛がる」
    という場面だけ切り取ると、突然、死後の世界が地球のGを遥かに越える超重量級ラブコメになる。
    まさに、

    『それ、重すぎるよ展』✨️
    完全体である(シャキーン)…

    イオンモールの片隅に、そこだけ重力が地球を越えている一角がある(イメージ)。
    不倫カップル、曽根崎心中型のカップル、復讐型の元恋人、死後まで追いかけてくる女、三十又機関士。

    土日なのに、ちびっ子はいない。
    せいぜい水子の霊どまり。

    みんな情念が重すぎる。
    その一角だけ、物が床に落ちる速度まで違う。
    そして三十又機関士は、その中心で巨大な「恋愛の重力場」を作っている。本人は死後もラブコメの主人公であり続け、その周囲にいる同僚たちは、ただただ巻き込まれていく。

    人権もなく。

    だから、この作品を太宰からドストエフスキーへと進んできた日本文学のように考えてみると面白い。
    太宰的な人物なら、もっと自分自身の弱さや破滅を言葉にしてしまうかもしれない。
    ドストエフスキーなら、罪と罰、救済、復讐、愛、自由意志といった巨大な問題にまで掘り下げていく。
    ところが、この作品の女は、そんなところで立ち止まらない。
    「憎い」
     ↓
    「殺す」
     ↓
    「服役する」
     ↓
    「死後も地獄で服役する」
     ↓
    「同じ職場に行く」
     ↓
    「呪う」
    そして三十又機関士は、
    「痛っ!」
    と50センチ飛ぶ♨️

    さらに船医がラブなコメな雰囲気に今さら無駄に気づいて「気まぐれロマンティック」と呟きなぜか全部ぶち壊しなエンドになる(byいきものがかり♫)

    …これは文学が邦楽に侵食される、という、意味?というかいきものがかりに…?

    なんでやねん。

    だから結局、
    太宰からドストエフスキーへ向かおうとしたところに、鈴木雅之が現れて「違う、そうじゃない」と言う。
    そこからの、いきものがかり…。

    強引?

    でも、もしかすると「違う」のではなく、それこそがこの作品の面白さなのだと思う。
    神話、妖怪、地獄、罪、罰、復讐という大きな物語を作りながら、最後まで人間の身体と恋愛と職場のくだらなさから逃げない。
    高尚なテーマを掲げているのに、絆創膏を剥がされた男が飛び上がる。
    その瞬間、ドストエフスキーの重力を、鈴木雅之の一撃が吹き飛ばす。

    Aブロック全体も、そんなふうに「神話」から「夢」へ、そして「死後の職場」へと降りてきて、最後には神秘的な世界そのものを、人間関係と身体のドタバタにまで引きずり下ろしてしまったように見えた。
    最初の二本で「これは何か」と考えさせておいて、最後の一本で「いや、なんでやねん」とこちらを現世に引き戻す。

    かなりとんでもない三本だった。いや、こういうの好きです、わりと(ボソッと呟く)♨️
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    Aブロック
    1話 立命館大学
    三面舞台でこれは無いでしょ?といった舞台美術
    舞監がいない?最悪で演技が正面からしか…
    基本からやり直した方が良いかも🦆
    2話 京都大学
    流石京都大学というか、1話が最悪だっただけになのか…
    題名は人々→サンに
    月が無くなった後にさまよう3人の話
    この3人は実は…
    ギター🎸の人がいい味出してました
    3話 同志社
    最近演劇レベルが落ちてきた大学
    しかし、これはコメディや推理要素を加えながら軽快に話が進む 楽しめました✨

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    Bブロック
    1話 京大の1人芝居
    島に流れ着いた男1人 隣には白骨化した…
    海岸に留まるのは…
    苦痛でした
    2話 近畿大学
    このブロック中では、一番の作品
    オカ研がオバケをみつけていく過程で巻き起こる、ファンタジー作品
    楽しめました
    3話 京大等のミックス
    うーん🤔なんだか異様な雰囲気
    ナゼ盛り上がるのか…
    演劇要素ほぼ無

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    京都学生演劇祭のBブロック、三本とも方向性はかなり違うのに、見終わってみると「いない人、死んだ人をどう物語の中に置くか」という妙な共通項があった。

    ネタバレBOX

    京都学生演劇祭のBプログラムを観る。

    3本とも方向性はまったく違うのに、並べてみると「失われたものをどう取り戻すか」という感じがどこかにある。


    『墓石』は、湖で遭難した青年が岸にたどり着き、森で骸骨を発見するところから始まる。ほぼ一人芝居で、青年はその骸骨に名前をつけ、友達のように扱う。置き手紙をきっかけに森へ進んでいく展開も含め、晩夏の冒険譚と幽霊譚が混ざったようなジュブナイル感がある。
    「友達がいない少年が、死者を友達にしてしまう」という設定が妙に切ない。


    『幽霊』は、オカルト研究会のような三人組が廃墟で幽霊を探す話かと思ったら、幽霊と会話するうちに役者や演技の話へ滑っていく。
    幽霊の正体も、舞台に立てなくなった役者のような存在として見えてきて、いつの間にかオカルトが演劇の話に反転する。

    最終的には「幽霊を見つける話」なのか、「演劇から消えた人間をもう一度舞台へ戻す話」なのか分からなくなるところが面白い。


    そして『ぶっちぎり♡愛の一等show』が、とにかく異物感のある伏兵。

    金色の玉のお嬢様『たまこさま』をめぐる謎の戦いがあり、勝者にはその玉を割って何でも願いを叶える、ドラゴンボールなゴールデンボーイ(お勉強野郎になるわけではない)的権利が与えられる。

    お嬢様にメロメロの執事、ネットで陰口ばかり叩くルサンチマン、そのブラコンだった妹、死んだ妹を蘇らせようとするマッドサイエンティストと、その妹の代わりとして作られたアイドル?ロボットまで登場する。

    なぜアイドルなのかは知らん。なぜかルサンチマン妹がそのロボットアイドルを推している。

    「何の説明もないけど、何で推すの……?」

    と考えているうちに、もう物語についていけない。
    でも、ここがこの作品の面白いところでもある。

    最初に与えられた設定をきっちり説明して物語を進めるというより、設定を与えられた役者たちが、そこからどんどん勝手に膨らませて暴れだしているように見える。

    『執事』『妹』『アイドルロボット』『マッドサイエンティスト』という設定が出るたびに、それぞれがさらに一段おかしな方向へ走り出す。因果関係を説明する暇もなく次の設定が投げ込まれるので、観客も「なぜ?」と考えているうちに次の「なぜ?」が来る。

    それでも話を追っていくと、これも結局は「失ったものを取り戻したい」という話になっている。

    しかも途中では妹などが突然、観客を置き去りにする謎の妄想芝居を始める。客席、特に中年の男性(女優の餌食)の一団が見事に固まる。

    ところが、その「誰もついていけない」状態そのものが妙に面白くなってくる。

    そして最後には、なぜか観客全員が盆踊りの手拍子を始める。
    物語を理解するというより、観客まで祭りの中に放り込まれてしまう。
    この感じは、囲み舞台という形式とも相性がいい。

    役者「発進!」
    観客「……?」
    舞台「ブォォォン!」
    観客「……え?」
    宇宙船「シュン……」
    観客「待って…」
    くらいの速度で舞台が先へ行く。しかも亜光速。🚀

    さらに囲み舞台の場合、ちょっと悲しいのが、別の客席ではちゃんと宇宙船に乗れている人がいること。

    こちら側:
    「……何?」
    向こう側:
    「ハハハハ!」
    こちら側:
    「何で笑ってるの?」
    向こう側:
    「シャンシャンシャン!」
    こちら側:
    「……置いていかれた!」
    (( ゚д゚)ハッ!
    ということが普通に起きる!!(無駄なびっくりマーク)
    ……でも、それも含めてライブなのだと思う。

    理解できなかったというより、舞台の速度が速すぎて、観客が地上に残される。しかも残された側の「ポカン」や「硬直」まで、囲み舞台では客席から見えてしまう。
    私はこれを勝手に『ナマハゲ✨️スキーム』と呼んでいる。
    あくまで勝手にだが……♨️

    笑っている客席、固まっている客席、手拍子を始める客席が同時に存在する。

    その反応まで舞台の一部になって、最後には全員まとめて祭りへ連れていかれる。

    その勢いのまんまなのかなんか知らんがたまこさま割って『ハーレムを作りたい』という純粋な欲望を持ったルサンチマン役者がほかの役者たちから袋叩きにあう、それとは関係なくたまこさまうっかり割っちゃったけど、願いで復活して、オーライ、みたいな展開をお約束?として挟みながら…たぶん…。

    『墓石』のジュブナイル/怪談、『幽霊』のオカルト研究会から演劇への急旋回、『ぶっちぎり♡愛の一等show』のバトル漫画・ラブコメ・アイドル・推し活の闇鍋。

    3本とも全然違う。

    なのに、死者や失われたものをもう一度こちら側へ戻そうとする話であり、同時に、舞台そのものが観客を「こちら側」へ引きずり込んでくる。

    かなり京都学生演劇祭らしい、サブカル万歳!?なBプログラムだった……気がする。勝手に。

    あとなんとなくの補足。

    京都学生演劇祭を金曜ちょこっとだけ観て、なんとなく「夏のメタファー」みたいなものを感じている。

    作品ごとは全然違うのに、盆地の京都の夏の空気をそのまま持ち込んできたような自由さがある。涼しいところで夏合宿をして、落ち着いてじっくり作ったという感じがまったくしない。暑い京都で、そのままの勢いでここまで来てしまった感じ。

    しかも観客席まで含めて、東西南北、秋雨前線自然発生型ムーブというか。

    あっちでベジータが爆発している。
    「あ、こっちはスーパーサイヤ人になった」
    と思っていたら、今度は別の場所から妄想芝居が飛んでくる。
    こちらが爆風を受けて硬直していると、
    「……あれ? なんか僕、見られてます?」
    みたいな瞬間まで発生する。

    観客参加型というより、客席のあちこちで勝手に前線が発生して、それが東西南北へ移動してくる感じ。

    作品を観ているというより、盆地の京都に発生した夏の気象現象を、観測しながら気づいたら客席で一緒に爆風喰らっている。

    そう考えると、これはもう『夏の夜の夢』としか言いようがない♨️
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    Dブロック拝見
    1話 京大 大谷大のミックス
    劇団あるある 演出と舞監の喧嘩からはじまり…
    結局演出は最後に…
    2話 大芸
    役者あるある 大学から就職した人と卒業後も演劇の魅力から離れられず役者を継続している人達の会話劇 演劇人も見ながら共感?笑いの内閣の政治家も来てました

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    Cブロック拝見
    1話 京産大の演劇部
    不思議の国のアリスをオマージュした作品
    気持ちは分からんでも無いが… 今ひとつ
    2話 京都芸術大学のユニット
    女性3人の共同生活の話 今時の女子大生の会話劇
    中々面白かった

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