満足度★★★★
例によって馬渕英俚可さん目当てという兄な観劇理由では有りますが…中川晃教さん、緑魔子さんほか奇跡の競演!
馬渕英俚可さんだけでなく、中川晃教さんも競演。
それだけでも十分観劇の理由でしたが、
これに加えて高岡早紀さん、若松武史さん、
特に十数年ぶりの舞台という緑魔子さん!、
もちろん作演出の渡辺えりさんとくれば、奇跡とでも
言いましょうか。
私のような単純な人には、複雑で盛り込み過多な内容は
部分部分しか理解できませんでしたが、
それでもこの密度の高さ、濃度の高さは凄かった。
満足度★★★★
『人間はいずれ死ぬのに,どうして生きているのだろう』
渡辺えり子『あかい壁の家』を観た。
『人間はいずれ死ぬのに,どうして生きているのだろう』と,子どもの頃から渡辺えり子はずっと思って生きて来た。おまえ,太っているな!と言う友達からの厳しい指摘で,小学校もろくに行っていない。演劇で世の中は変わるか,沢田研二に会いたい,漠然とした理由で,山形を捨て,東京に出て来た。そのような娘に,父親は,ゲーテのウィルヘルム・マイスターの修行時代を与えた。生きるとは,何だろう。生きるために,演劇をしたい。本で読めばいいものを演劇でやる必要はないのでは,なかろうか。感動した演劇の一つは,唐十郎『盲導犬』で,蜷川幸雄が演出していた。心中した男と女の意識が,たまたま町を歩いていた二人の心に入ってしまう。渡辺えり子も不条理演劇を,結構早くから実践していた。『青い鳥』,お金よりも大事なものがある,そういう世界が好きだった。演劇は,額縁を見るのではなく,役者と客が一体になるべきものなのだ。
寺山修二は,突然消えてなくなった人を探す,唐十郎は,解体されたところから,自分が新しく何かを作っていく。演劇は,親とか,知人が良く見にいく。標準的な演劇を観る場合,さほど抵抗もない。しかし,渡辺えり子のは,わからない演劇が多かった。そのために,役者の親の中では,わかるとかわからないとかでなく,感じて見るべきと主張する人もいた。細かいところは,流そうぜ。言葉に一つ一つに意味があるけど,わかんない!といっちゃうと,バカにされそうだから,無理してわかった振りしたい。あとは,慣れの問題だろう。ぼろを隠そうと早口になるだけだ。小劇場は,なんで弁当食えないんだよ。ちゃんとした椅子くらい用意して欲しいよね。
日本人は,話をするとき,暗黙の了解ってのが必ずある。そのため,多くを語らない。感覚で気持ちを伝える。あとで,どうしてはっきり言わないんだよ!というのは,どっちかと言うと,西洋人の発想なのだ。言葉を直接に,相手にはっきり伝える。欧米では,愛していると,妻にも伝える。日本人は,シャイなので,結婚前でも,後でもそんな言葉は口にしない。渡辺えり子は,女優仲間から,あなたはやっぱり演出家だと言われることがある。芝居が,世の中でどういう意味を持つか,そういうことをいつも気にする。如月小春は,子供を残して死んでしまった。渡辺えり子は,子供はいない。すったもんだの恋愛遍歴の末,年下の旦那と一緒になった。如月小春とは,シンポジウムの打ち合わせを始めた頃,永遠の別れとなった。44歳で,くも膜下出血でライバルは消えていった。
『おしん』に出た。本当の山形の人間を連れて来た。そうみんなから言われた。確かに,山形出身であった。唐十郎の『少女仮面』1982では,春日野八千代という,宝塚歌劇団の男役の半生をやった。これは,初演では,白石加代子だった。状況劇場では,李麗仙だった。渡辺えり子は,娘役の森下愛子が印象的だったと言っている。『少女仮面』に出て,渡辺えり子は,岸田國士賞をゲットし,『おしん』で一躍時の人になっていく。まだ,28歳だった。小劇場が下積みで,お金になるTV・映画の俳優が成功者ってのはあんまりひどい区分じゃないだろうか。勿論,今でも小劇場だけでは食べていけない。TV・映画関係者に見出いだされて初めて,ひとかどの俳優になったにちがいないとも言えるけれど。
劇団という厄介なものを解散して,手放すと,精神的にも経済的にも確かに楽になる。プロデュース公演が,次第に多くなっていく。39歳まで,独身でいた。「誰かいい人いないかな」。すごくごちそうしてくれて,レシートを見ると,15万円もしたことがあった。何度もデートをした。結婚も決まりそうで,あとは,劇団をほかって,自分のしあわせに突入する。そう思って,心構えしていたら,スカとなった。30歳で好きだと言ってくれた男と結婚するはめになってしまった。
『あかい壁の家』を観た。渡辺えり子の演劇を観たいと思って,本田劇場に足を運んだ。特急かいじが,大月で止まった。急遽,タクシーで高尾まで飛ばす。とんでもない金額を請求された。
演劇は,生バンドも出て来る楽しいものだった。上記の特色も出て,少し過去と未来が交錯する作品だった。なぜか,みそも○○も一緒とか言っている場面があって,なんとかみそ,というのが良く出て来た。偶然そのような,つかってみそをお土産でいただいだいた。なんという幸福。なんという偶然。
参考文献:えり子の冒険(小学館)
満足度★★★★
さすが!
芝居とは、本来こういうものを指すんだろう。
客の想像力に働きかけながら、舞台上の役者の演技と客の想像力が一体になって、すごいものを見せてくれる。
時空を跳ぶ不可思議感と、時折挟まれるミュージカルシーンのナンセンスでチープな空気が、劇場にも合ってる。
ゲゲゲのげにも出演した中川さんが一番好きでした。
久しぶりの観劇で調子を合わせられるか心配でしたが、良いものを観れて幸せでした。
満足度★★★★
不可思議な感動
「ゲゲゲのゲ」で、中川さんの才能にインスパイアされたらしいえりさんの、中川さんの存在故の音楽劇の誕生に、息を呑みました。
16年ぶりの舞台という緑魔子さんと、中川さんの共演は、まさに奇跡的なコラボという感覚があります。
芝居の内容自体は、頭の整理が追い付かない部分もあるのですが、何だか目ではなく、心の深淵で観た芝居という感覚です。
見逃さなくて良かったと心底思いました。
ただ、えりさんと同い年の私には、中のエピソードは全て理解できますが、若い観客には、少々不親切な部分もありそうな気はしました。
満足度★★★★
舞台の可能性を楽しむ。
予想にたがわぬ力作、意欲作でした。メッセージ性の強い作品ながら、本多の舞台いっぱいに役者が歌い舞う、それだけでも十分楽しめるでしょう。
大きな災難のあとには芸術もまた何かに目覚めるというけれど、このように消化(昇華)した渡辺えりさんに心から敬意を評します。
いささか盛り込みすぎ、というかまだまだ未整理という印象が強かったものの、ミュージカルではなく「音楽劇」とする作者の矜持がうかがえ、これぞ舞台!と感じました。熟成されて再演、再々演とつながっていってほしいです。