満足度★★★★
『人間はいずれ死ぬのに,どうして生きているのだろう』
渡辺えり子『あかい壁の家』を観た。
『人間はいずれ死ぬのに,どうして生きているのだろう』と,子どもの頃から渡辺えり子はずっと思って生きて来た。おまえ,太っているな!と言う友達からの厳しい指摘で,小学校もろくに行っていない。演劇で世の中は変わるか,沢田研二に会いたい,漠然とした理由で,山形を捨て,東京に出て来た。そのような娘に,父親は,ゲーテのウィルヘルム・マイスターの修行時代を与えた。生きるとは,何だろう。生きるために,演劇をしたい。本で読めばいいものを演劇でやる必要はないのでは,なかろうか。感動した演劇の一つは,唐十郎『盲導犬』で,蜷川幸雄が演出していた。心中した男と女の意識が,たまたま町を歩いていた二人の心に入ってしまう。渡辺えり子も不条理演劇を,結構早くから実践していた。『青い鳥』,お金よりも大事なものがある,そういう世界が好きだった。演劇は,額縁を見るのではなく,役者と客が一体になるべきものなのだ。
寺山修二は,突然消えてなくなった人を探す,唐十郎は,解体されたところから,自分が新しく何かを作っていく。演劇は,親とか,知人が良く見にいく。標準的な演劇を観る場合,さほど抵抗もない。しかし,渡辺えり子のは,わからない演劇が多かった。そのために,役者の親の中では,わかるとかわからないとかでなく,感じて見るべきと主張する人もいた。細かいところは,流そうぜ。言葉に一つ一つに意味があるけど,わかんない!といっちゃうと,バカにされそうだから,無理してわかった振りしたい。あとは,慣れの問題だろう。ぼろを隠そうと早口になるだけだ。小劇場は,なんで弁当食えないんだよ。ちゃんとした椅子くらい用意して欲しいよね。
日本人は,話をするとき,暗黙の了解ってのが必ずある。そのため,多くを語らない。感覚で気持ちを伝える。あとで,どうしてはっきり言わないんだよ!というのは,どっちかと言うと,西洋人の発想なのだ。言葉を直接に,相手にはっきり伝える。欧米では,愛していると,妻にも伝える。日本人は,シャイなので,結婚前でも,後でもそんな言葉は口にしない。渡辺えり子は,女優仲間から,あなたはやっぱり演出家だと言われることがある。芝居が,世の中でどういう意味を持つか,そういうことをいつも気にする。如月小春は,子供を残して死んでしまった。渡辺えり子は,子供はいない。すったもんだの恋愛遍歴の末,年下の旦那と一緒になった。如月小春とは,シンポジウムの打ち合わせを始めた頃,永遠の別れとなった。44歳で,くも膜下出血でライバルは消えていった。
『おしん』に出た。本当の山形の人間を連れて来た。そうみんなから言われた。確かに,山形出身であった。唐十郎の『少女仮面』1982では,春日野八千代という,宝塚歌劇団の男役の半生をやった。これは,初演では,白石加代子だった。状況劇場では,李麗仙だった。渡辺えり子は,娘役の森下愛子が印象的だったと言っている。『少女仮面』に出て,渡辺えり子は,岸田國士賞をゲットし,『おしん』で一躍時の人になっていく。まだ,28歳だった。小劇場が下積みで,お金になるTV・映画の俳優が成功者ってのはあんまりひどい区分じゃないだろうか。勿論,今でも小劇場だけでは食べていけない。TV・映画関係者に見出いだされて初めて,ひとかどの俳優になったにちがいないとも言えるけれど。
劇団という厄介なものを解散して,手放すと,精神的にも経済的にも確かに楽になる。プロデュース公演が,次第に多くなっていく。39歳まで,独身でいた。「誰かいい人いないかな」。すごくごちそうしてくれて,レシートを見ると,15万円もしたことがあった。何度もデートをした。結婚も決まりそうで,あとは,劇団をほかって,自分のしあわせに突入する。そう思って,心構えしていたら,スカとなった。30歳で好きだと言ってくれた男と結婚するはめになってしまった。
『あかい壁の家』を観た。渡辺えり子の演劇を観たいと思って,本田劇場に足を運んだ。特急かいじが,大月で止まった。急遽,タクシーで高尾まで飛ばす。とんでもない金額を請求された。
演劇は,生バンドも出て来る楽しいものだった。上記の特色も出て,少し過去と未来が交錯する作品だった。なぜか,みそも○○も一緒とか言っている場面があって,なんとかみそ,というのが良く出て来た。偶然そのような,つかってみそをお土産でいただいだいた。なんという幸福。なんという偶然。
参考文献:えり子の冒険(小学館)