イッヒ リーベ ディッヒ【全公演完売の為、当日券の発売を中止いたします】 公演情報 イッヒ リーベ ディッヒ【全公演完売の為、当日券の発売を中止いたします】」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.2
21-23件 / 23件中
  • 満足度★★★

    ちぐはぐ?
    満席とのことで余裕を見て来場。既にかなりの人が来ていたのですが、受付がスムーズで丁寧で好印象。案内も手厚く、終演後には役者以外のスタッフさんからも丁寧に挨拶をいただいた。また役者に良かった人が何人かいたので☆3つ。だけど脚本は平坦で駄作の類、演出も全然人物を立体的に描けてない。

    はっきり言って全く主人公の感情の流れに共感できない。暗転が多く集中力が切れるせいなのか、物語にも没頭できなかった。役者の年齢層も高くベテランっぽいんだけど・・イマイチ華が。ベートーベンの人間らしさは良かった。子供っぽくて意地っ張りでワガママで、でも憎めない人間性を良く表現してると思いました。クライマックスで出てくる声楽は上手いけど、お芝居から浮いてる。

    ここ最近観た芝居での折り込みで気になってた団体だったのですが、なんかイメージと違いました。呼んでくれた方には申し訳ないのですが、、、

    ネタバレBOX

    みちるが何で義父を許したのかも、何で自分を捨てた実父を許したのかも分からなかった。義父にイタズラされてる云々重いのに、それを黙認した母親をみちるが許したのもわからん。ロリコンで妹襲った義父に、みちるのお姉さんの反応が無いのもおかしい。

    捨てた父親を許したのは、ベートーベンの人生を知って父親の仕事の意義を理解したから?いや親子関係ってそんなにシンプルじゃないでしょうとツッコミを入れたい。みちるの葛藤も何も見えないし、父親のみちるへの愛情も見えない。ただ自分の研究を娘に理解して欲しいだけのエゴじゃないですか?

    テーマの愛はどこ?
  • “少女”が抱いた「温もり」への序章
    旋律さえ走る「崩壊」の後に、「温もり」を感じた。
    それは雪の積もる野原を照らす、提灯の「温もり」である。


    今作は、世界史に残る楽聖•ベートーヴェンと、その影を通して、「愛の形」を静かに語った作品だ。


    2013年の父ー娘、1800年代のベートーヴェンー不滅の恋人の関係性がクロスし、思いもよらない「感動」が待っていた。


    佐々木美奈の演じる籠島みちる…。


    私は、みちるの内に秘められた繊細な「少女」の様子を称賛しなければならない。
    生き別れたベートーヴェン研究家の父親(籠島丈一郎)を愛する気持ちと、その人を軽蔑する家族…。
    20歳を越えたはずの「少女」は傷ついていた。そして、肩を抜いたまま決して威張ろうとしない身体性が「健気」を現す。
    身体性で、これほど心 打たれた演劇も少ない。
    『観たい!』の「70%の具現化」は、つまり そういうことだったのだ…。
    「愛の形」を形作る、狂い だとか、弱さを、その身体性で 目に見える形にしてくれる。



    2013年と1800年代のシーンの境目は、絶妙の一言だった。
    おそらく、短過ぎても、長過ぎても観客の心を離しただろう。

    また、前者の ともすると暗いエピソードを経た後、強烈な「ベートーヴェン」の登場する後者のバランスが極めてよろしい。

    古賀司照の 鋭い視線をみれば、誰しも「額縁の肖像画」を思い出す。
    これも重ねて「身体性」の話になってしまうが、指摘する必要がある。

    ネタバレBOX

    彼の、指揮棒を振りかざす「後ろ姿」は、音楽性と狂気でしか造り上げることはできない。
    ピアニストがいて、声楽家が待機するなか、劇場に響くのは無音である。
    唯一、聴こえる音といえば、「ベートーヴェン」の指揮棒が風を切る音であり、見える光景といえばライト•タキシードのシワが揺れに揺れる光景だ。
    「背中で教える」とは、こういうことを指すのか…。
    「ベートーヴェン」なる男は明治の日本人だったのかもしれない。


    2013年と1800年代がリンクするシーンが、終盤にかけ二つある。



    一つは、1800年代、ジョセフ(園田祐樹)の それだった。
    ピンライトの当たったジョセフは説明調で、語り始めた。


    「まさか東洋の端の研究家が私の子孫を訪ねるとは」

    ある研究家(籠島丈一郎)の膨大な論文から、200年間あまり距離のある時代はクロスされた。


    もう一つは、籠島丈一郎の墓前、別れた妻が「大変でらしたわねえ」と、「ベートーヴェン」の愛した不滅の恋人•マリア(早瀬マミ)へ笑顔のままに話しかけた それだった。


    「愛の形」は時代、国を越えた普遍的なテーマだろう。

    人を狂わせ、人を苦しめる 。


    しかし、その先には何が あるのか?
    私たちは たえまない期待を抱き続けてきたのだ。
    「愛の形」を進む、プロセスが「生き方」かもしれない。


    非難したいシーンも あった。
    十字架のセットの上を役者が乗ってしまった場面である。
    十字架として ではない。

    だが、西洋文明を扱うわけだから、宗教的な配慮は 当然しなければならない。
    これは演出へのメッセージだ。


  • 満足度★★★★

    感動は一度がいい。
    現代とベートーベンの生きた時代を並行させながら、ベートーベンの様々な楽曲をライブと音源で十分に楽しませてくれました。照明がよく、特に下からの照明が雰囲気を盛り上げている。衣装の色彩にも細かく注意が払われ、父と娘のシーンでは赤と緑を基調とし、不安定で愛憎半ばする関係をよく示唆しており、ベートーベンの時代は白が基本でクラシックな感じをよく表わしている。解り易い演出があちこちに見られ、現代とベートーベンの時代の社会の問題点なども浮彫りになっており、とても見応えがありました。ただ、楽曲とお芝居のコラボなら、クライマックスは一度で良かったと思います。

    ネタバレBOX

    すいません、少々衣装にケチを。マリアの衣装やアクセサリー、髪型など、素晴らしかったです。これに比べ、ベートーベンやシューベルトなど、男性陣の艶のあるファブリックや鬘が少し安っぽく見えた。同じ白でも素材が違うと雰囲気が全然違ってくる。これ、全体に薄いセピア色に統一できればさぞ美しかったことと思います。それと、せっかく映像を使うのだから、時代を示唆するだけではもったいなかった~。「イッヒ・リーベ・ディッヒ」の歌詞の訳とか、当時の街の様子などをそれこそセピア色で流せば素晴らしかったと思う。あるいは、ピアノ演奏の手元とか客席からは見えないので、ぜひ映して欲しかったですね~。私はピアノのコンサートの時は必ずピアノを弾いている手元が見える席に陣取ります。これ、ライブの楽しみの一つなんですよ~。ぜひ見たかったなあ。ストーリーは現代、過去ともにもう少しサスペンス色があればもっと楽しめたかな。それにしても、なぜ「イッヒ・リーベ・ディッヒ」を2度使ったのだろう。どんな名曲でも2度目は感動が薄れる。また、クライマックスは歓喜の歌とみちるの叫び声だったと思うが、どんなに大音響にしても小品のピアノと歌のライブには敵わない。感動がばらけてしまう感じがして、なんだかちょっと残念な感じが残った。それにしても平日のマチネで満席の入り。現代の観客はこんな劇を欲しているのかもしれません。それとベートーベンがそこはかとなくお笑いテイストなんですけど、そう感じたのは私だけ?

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