満足度★★★★
群盗感!
勝手な予想とは裏腹に全体的にポストモダンに
まとめられていたように感じました。
生と死や、電灯と灯火、人格そのものであったりと、
「お芝居」を楽しめるように散らばった点と点を結ぶ楽しさも相まって、
新しい挑戦への意気込みとの統一感に心が踊るようでした。
脚本と役者の距離感も程良くて、脚光も相応で引き立っていました。
全体的に興味の湧く役者が多かったです。
満足度★★★★
惜しい!
これは画期的な試みだと思う。古典を小劇場で、そして新しい解釈をくわえて上演する。欧米で演劇をみているような気持ちになった。日本の観客にどこまで哲学的テーマや解釈や新しい試みが伝わるのかは甚だ疑問だが、深く戯曲研究をした結果であろう。理解される率が低い事もわかった上での上演と思うと途方もない事をやっていると感じる。ただし、
演出に難あり
言わずと知れたシラーの作品だ。古典ともいえる作品なので、筋についてくだくだ書かない。図書館ででも読んで貰えばすむ話だ。演出でアロマセラピストが香りをつけているのだが、自分の座っていた席には余りその効果が無かったようだ。ところで、新訳と銘打ち、かなり気合の入った舞台であるべきが、キャスティングや場面転換が頗る安易で、折角の原作が色褪せてしまった。キャスティングミスを言葉で言い繕っているのだが、この時点で既に演劇を嘗めて掛かっている。別に女性が男性役をやることに問題は無い。然し、身長でも、押し出しでも、また匂い立つような若武者振りでも、無茶をやって許される天性の資質でも、何一つギャップが埋まらないキャスティングは失敗と言うしかない。
更に、場面転換でもボヘミアの森から故郷フランケンに近い森に戻った時、恰もパソコンの画面転換でもするように場面を切り替えてしまう。余りにも安易だ。役者の身体性に対する演出の気遣いが足りないことが歴然としている。映画と勘違いしている点もあるのかも知れないが、言葉面だけ捉えて分かった気になっているのではないか、と勘繰りたくもなるのだ。更に、当時のヨーロッパに対する歴史認識も浅い。オーストリアの名がちらっと出てくるのだが、当時のオーストリアは、今とは比べ物にならぬ位力を持っていた、何故、シラーがここでその名を出しているかについて、もう少し勉強しておくべきだろう。
演出の力が全然足りない。これでは役者が可哀そうだ。