TheStoneAgeヘンドリックス「おおきないし」たくさんのご来場ありがとうございました! 公演情報 TheStoneAgeヘンドリックス「おおきないし」たくさんのご来場ありがとうございました!」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★★

    流石評価の高い劇団だ
    TheStoneAgeのツープラトン公演のうち、ヘンドリックスの作品だ。流石に評価の高い劇団である。シナリオ、演技、演出、抑えが効き、勘所をついた照明と音響、適確な間の取り方で効果的な舞台を作りながら、大阪らしいギャグのセンスで笑わせる、更に自然でたゆたうような筋運びで、実に深いことをさらりと表現する。登場人物の名前にも、細かな配慮が見られるのは、無論偶然では無い。
     天狗役の緒方 晋(The Stone Age)、渚役の大西 千保、滴役の一瀬 尚代(baghdad café)、神田役の本木 香吏(仏壇観音開き)らの演技が特に気に入った。

    ネタバレBOX

     近畿地方の海岸近くにある大きな石、この石には、天狗が座って海を眺めているのを目撃したという言い伝えがあり、UMA(雪男、ネッシー、ツチノコのような未確認生物)ライターの渚と編集者の神田 温子が取材にやってきた。この石から直ぐの所に彼女達の予約した民宿、春日屋がある。この宿の主、清隆は、町議会議員の大塚こだまと街おこしの為に天狗伝説を利用しようと、あの手この手の作を練り実践している。因みに、大塚は、天狗の面を被って急に現れたりするので、時には、他人を驚かす。実際、清隆と共に宿を切り盛りしている滴は、腰を抜かさぬばかりに驚いた。こんな細工を弄したりしているので、無論、彼らは天狗が本当に居るなどと信じてはいない。編集者の神田も然りである。
     然し、渚は、子供の頃、体が弱く、本ばかり読んでいて、他の子供達と同じように遊び回ることが出来ずにいた。その彼女が嵌ったのが、小学校4年の時に読んだUMA特集雑誌であった。以来、彼女のバイブルは、この時読んだ雑誌であり、今、彼女が、UMAライターになっているのは、その結果である。そんな彼女は、子供のように純真な心を持ち続けている。その彼女の前に、天狗が現れた。だが、天狗の顔色は赤くないばかりか、羽も無い。然し、彼女以外に天狗を見ることのできる人間はいないのであった。彼女は、天狗に多くの質問をし、記事を書く為にメモを取るが、神田は、写真が必要だと言う。そこで、天狗を写そうとするが、どうしても写らない。仕方なく、民宿へ温泉風呂を浴びに来る画家の生田 澪に天狗の特徴を伝えて絵を描いて貰う。そうこうしているうち、天狗に詳しいと定評のある漁師にも取材をという話があり、取材を申し込むが、この漁師、松尾は漁の為に、天狗の羽を持っており、この羽の霊力のお陰で漁も豊漁が期待できるばかりではなく、天狗の気配を察知することもできるのであった。その松尾が、渚と天狗が話していると、時折やって来て、天狗狩りをし出すのだが、投網を正確に天狗の居る方へ打つので、観客には、とてもおかしく、罪の無い笑いを齎す。
     ところで、この海岸は、2年前に北の方で起こった大地震の余波で津波が押し寄せ、大きな被害を出しており、滴の弟はまだ行方不明のままである。天狗石の位置も何度となく位置が変わっている。といった情報や天狗の「人間には見えない白い雪が降る」という科白を入れることで観客の想像力をやんわりと3.11.3.12へ誘うのだ。
     渚は、滴にも遠慮勝ちに取材を申し込む。明るく振る舞っている滴にも、辛い記憶があるかもしれないからだ。案の定、彼女は風邪をひいた弟を「治る迄」と引き留めた為殺してしまった、と罪の意識に苛まれていた。それで、津波の来る前に、この辺り一帯に生えていたシロツメクサの種を撒いていたのだ。弟が、四葉のクローバーを見付ける名人であった思い出を織り込みながら。その彼女のどうしようもない悲しみに渚は寄り添おうとするが、矢張り被災者と取材する者との間に在る越えようの無い傷の深淵を、越えられない。然し、この作品の凄さは、越えられないことを見据えたまま、個々の力を前に向けて歩み出そうとする姿勢を示す所にある。渚は、黙って独り天狗岩を押す。一所懸命、唯、明日に向かって押す。横には、滴がいる。滴は渚を見ている。渚は岩を押し続ける。たった独り、終に、滴が手を貸す、幕。
     余談だが、滴は、荒れ狂う海に弟を奪われる一滴の水、渚は、その海と陸との境界、どちらも水の精、龍と深い関係を持つが、渚が滴の集合であると同時に、滴が集まらなければ渚は存在し得ない。更に踏み込めば、天狗信仰は役 小角と深い関係にある、と同時に小角は、別格の天狗という側面を持ち、他の天狗同様、水の精、龍を抑える神通力を持つ。物語の中に登場する天狗は、天狗岩に登って、海を眺めるのが、好きである。太陽の方へ飛んで行った仲間を偲んでいるのである。そうしながら、渚との話でとても大切な哲学を教え、渚が、ひいては滴が、明日へ踏み出す力を、自らを自らの力で制御する力を与えたのである。
     渚の苗字は伊勢、滴の苗字は春日である。どちらも神道と関わりのある苗字だ。天狗と神道の関わりは今更言う迄もあるまい。

  • 満足度★★★

    もっと関西弁多用してもよいのでは
    元気の良かった編集さんが楽しかったが、
    なんとなく話は今ひとつで説明・説得力に欠けていたキライがあったです。

    <80分>

    ネタバレBOX

    UMA専門のライターさんのみ天狗が見れるので、
    皆が可哀想な目で見るのが受けました。

    天狗の石が津波で流されたらしいのと、
    どうして仲間の天狗がいなくなってしまったのか。
    インタビューを受けていた天狗がいなくなった理由。
    戻ってきたのは何だったのか?
    想像に任せるにしても、もっと観客に情報は提示するべきだと思ったさ。

    ほんにハジケタていた、
    あつこ編集さんの存在感をもっと上手に引き出せて見せて欲しかったなー。

    ’60年代のヒッピーのようだったミオさんに、
    特徴伝えて天狗の似顔絵描いてもらうアイデアは良かった。

    旅館の主人やその人間関係&偽天狗のアイデアと実行力もよかったけど。
    観客に伝えたいメッセージの焦点をキチンと合わせればもっとハッキリとした芝居になったのでは?と考えたです
  • 満足度★★★

    わざとらしいドタバタは関西風
    無理に話を作っているように感じました。

    ネタバレBOX

    羽野晶紀さん風なライターとバタバタおばちゃんの雑誌編集者で関西を感じました。ただ、おばちゃんが出てきただけで大笑いがあったのには、笑い袋が仕込まれているんかいなと白けた思いになりました。

    話自体は天狗探訪の取材旅行に津波の話を無理にくっつけたように感じました。

    天狗は西方から仲間が戻ってくるのを待っていると言っていましたが意味不明でした。海の色と天狗の赤が混じって紫色になったというのも意味不明でした。
  • 満足度★★★

    なごやかな雰囲気
    楽しく拝見しました。

    ネタバレBOX

    おんなじセットを使って違う芝居をするのかと思ってたら、セットも違ってた。舞台の真ん中に大きな石が置いてあるのは同じだったけど。
    石といっても、ほんとうの石ではなくて、合板を貼りあわせて作ってある。「石だ」と言われなければ、石には見えない。でも、あれでも作るのは大変だったろうな。複雑な形だから。

    石の上に天狗がいて、仲間が戻ってくるのを待っている。
    取材にやってきたライターの女性が、地元の女性を励ます。
    『おおきないし』の「いし」がひらがななのは、石と意志を引っ掛けてるのかな。
    「大きな意志」を持って、がんばれみたいなメッセージ。
    あんまりストレート過ぎると照れくさいよね。てへへ。

    「初めての東京公演で楽しそうですね」
    アドリブっぽい感じで、台詞を入れていた。
    その言葉どおり、天狗を追いかけてる漁師が、自由に楽しそうに演ってる感じで面白かった。

    出版社の担当?の女性の体当たりの演技も面白かったです。

    ただ不愉快なことも。
    内輪受けで、大笑いしている観客(スタッフ?、関係者?)がいて。笑いのレベルが低すぎる。ひとりで馬鹿笑いしてた。ひとりで無遠慮に笑いすぎると、他の観客の集中が切れるんだよ。
    携帯のアラームなんかが禁止のように、身内の馬鹿笑いも禁止を徹底してほしい。せっかくの舞台もたったひとりのスタッフの馬鹿笑いで台無し。
    それが単なる観客なら、「残念、不運でした」とも思えないこともないけど、スタッフだったら、もっと気を遣ったほうがいいのでは。
  • 目に見えないから愛おしい。そして、悲しい。


    とにかく何も考えずに  ひたすら笑える、関西流の“笑い”。(新喜劇文化)
    3.11の津波や原発問題までも題材とした、その“ドラマ性”。
    短い舞台の中に両者が見事に組み込まれ、舞台の持つ力を改めて感じさられた。

    しかし、日曜日の  お昼公演という最大の集客タイムなのにもかかわらず、空席が目立つ。
    夜の千秋楽に関しては、「倒れそうなくらい」チケットが余っているという。なぜか。
    演劇は地域に囚われず上演できるエンターテイメントである。翻訳さえ表示されれば、外国の演者•演出•技術スタッフ(経済的な事情から日本人スタッフも登用される)のまま上演できる。
    そうした海外もの のケースでは、劇場や主催者側が宣伝を含めバックアップする。
    だが、一部を除く大半の国内劇団だと、たとえば東京をホームとする劇団が関西圏で上演する場合、そうしたバックアップ体制も乏しいため、やはり上演回数は1/2もしくは1/3程度に削減せざるを得ない。人的ネットワークも形成されにくい。

    逆も また しかり 、関西の劇団が東京に来て上演する場合も、同じことがいえる。
    6日間のスケジュールが果たして妥当だったか、どうなのだろう。


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