劇団 マウス オン ファイア サミュエル ベケット『消滅するまえに…』 公演情報 劇団 マウス オン ファイア サミュエル ベケット『消滅するまえに…』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
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  • 戯曲に忠実に従った演出
    俳優の集中力が高く、所作が美しく、台詞は聴いていて耳に心地良い、上質の舞台でした。
    今回上演された作品は、代表作「ゴドーを待ちながら」など前期作品とはかなり表現の方向性が違うみたいです。公演パンフレット(総勢12人が寄稿して300円!)ではベケットの後期作品について、別役実が「こういう言い方が許されるならそれらは、「前期作品を、靴下を裏返しにするようにくるりとひっくり返したような」作品、と言えるかもしれない」と記し、早大教授の岡室美奈子氏は「実験性、前衛性、言語の詩的美しさ、過激とも言える身体の希薄化、そして何よりもその幽霊的な雰囲気」と説明しています。

  • 満足度★★★★★

    当日券
    最初から予想はしていたけど、
    シンプルながらも、あまりに濃密な作品群のため、
    100m無呼吸で走り抜けるような、
    息継ぎなしでずっと海に沈むような時間だった(苦笑

    削ぎ落としながらも、
    内に見える心は豊かで、
    闇夜でありながら、目に入る光は啓示に満ちていた。

    戯曲自体は、以前に何度か読んでいたが、
    海外の劇団を見て、
    音や光を交えながら豊かに語る様子に
    自分が予想もしなかった言葉の向こうの豊饒さを見せつけられた思いだった(笑

    ウィリアム・ブレイクやレンブラントの名前がプレトークにあったが成程と思った。

    確かにウィリアム・ブレイクなどは自分も好きだけど、
    後期ベケットを読み解く上では
    常に心の中に置いた方が良いビジョンかと思った。

    ベケット批評の本はあまり読んだことが無いが
    (歴史とかでもそうだけど、自分は概説や批評的なものを読むことはあまりなく、
    その分の時間があるなら、原作やその当時の時代に書かれたものを読み直すことが多いので・・・
    自分もぼんやりと近いイメージではないかと薄々は感じていた画家たちの描いた景色を、
    ハッキリと戯曲の向こうに配置する勇気を
    この舞台は与えてくれたようにも思う(笑

    また、この劇団の人びとが、
    ベケットの戯曲の技巧的な面よりはむしろ、
    ベケットの人となり、
    母親に対する思いなど、
    非常に個人的な感傷を掘り起こすことに
    心を砕いていることにも感銘を受けた。

    ベケットの戯曲は、
    高度に感覚的で難解な代物であるというよりはむしろ、
    戸を叩いて響く音がその時の感情によって微妙に揺れ動くような、
    子供のように素朴でアナログな感性と、
    死を前にして心惹かれる
    宗教的な啓示とが
    隣り合わせで存在することに特徴があるようにも思ったりする。


    特にベケットの自伝的な感傷(母親への感情など)が込められた作品群をこうして並べたときには、
    一見素朴で時に幾何学的な想像力に満ちたイメージの列の中から、
    ベケット本人の温かみが泉のようにあふれ出ていることを感じる。

  • 満足度★★★★★

    ベケットの普遍性
     ベケット後期の作品から4つの短編「オハイオ即興劇」「あしおと」「あのとき」を英語で、「行ったり来たり」を英語とアイルランド語の2つのバージョンで上演する。難しいと言われるベケット作品の原語上演ということになるが、ベケットの作品の特質を知る為に、研究者は無論のこと、一般の方も観ておくのが良かろう。英語は苦手の方(作品の字幕は無いので、白水社から刊行され、今は絶版になっているベストオブベケット2,3巻とベケット戯曲全集の3巻を事前に読んでおくか、事前に問い合わせて翻訳資料が残っていれば、劇場ロビーで入手可能である。)(4作品の翻訳300円)。
    英語は大丈夫という方は、公演前に演出家によるプレトークも英語で楽しんで頂くと良い。(通訳つき)

    ネタバレBOX

     閑話休題、ベケット作品は、1行、1行がverseで書かれている為、非常に音楽的・詩的である。ベケット自身、音楽・美術に造詣が深く、作品の随所にその手腕が活かされている。verseで書かれることによって彼の作品は、ヒトの生理にマッチしたリズムを持ち、言葉のリズム自体が、呼吸し、言語表現の最終形態である充実した沈黙へと自然に推移する。 
     この事実と照明への卓抜な感覚、喩として自然な用い方と相まって、舞台空間を物理法則の支配する現実世界から、それに対置し得る文化的空間に再編するのである。ベケット作品の持つ普遍性がここにある。
     この特質に気付きさえすれば、観客は言葉の持つリズムに身を委ね、充分に作品の本質を味わうことが出来よう。余りに図式的になって恐縮だが、原語上演でもある。照明についても更に記しておこう。基本的に光は生、闇は死に対応している。同じように言葉は生に沈黙は死に対応する。
     但し、人の身体も年齢によって変化する。年をとれば、元気はなくなってゆく。それを光の強弱や、当て方で示したりもするのだ。初め強かった光が徐々に弱まり終には消える、となれば意味は明らかであろう。
     また、言葉と身体を競合させる場合などには、科白は一種の饒舌として排斥される側に立ち、身体行動そのものの象徴である歩行が実は生命そのものを表しているケースもあるので注意が必要ではある、が。
     この辺りの微妙な綾は、是非、舞台を直接観て感応して頂きたい。

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