カウラの班長会議 公演情報 カウラの班長会議」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★

    演出のテンポの良さと舞台上の熱気で、引き込まれた
    今回も、演劇的な面白さの部分、がいいのだ。

    戯曲を書いて演出も行う坂手さんは、やはり凄い。
    矢継ぎ早に作品を生み出し、どれもクオリティが高い。

    ネタバレBOX

    第2次世界大戦中のオーストラリアにあるカウラの捕虜収容所が舞台。
    234名もの犠牲者を出した脱走を描く。

    いつもの、やや青臭いところや説明的なところ、盛り込みすぎなところはあるものの、「日本人」を軸に「男性と女性」「現代と過去」の対比やテーマの描き方が鮮やか。

    実際に起こった出来事と、女学生たちの虚構が入り乱れ始めるあたりが面白い。
    「死にたがる男たち」と「生きさせたい女たち」が、「過去」「現代」という時間の違いだけでなく、もともとの感覚としてそれがあったのではないか、と気づかせる。
    もちろん、それは単に「性」の違いだけでない。

    女学生たちの「歴史への介入(やり直し)」は、「死」へ「直線的」な思考しかない「男たち」への警告でもある。

    しかし、歴史は元には戻らない。
    一度回り出した歯車は止められず、凄惨なる脱走事件へと向かう。
    「死にたがる男たち」には「生きたい女たち」の声はいつも届かないのかもしれない。

    ……この公演は2013年のものだが、2014年に観た、唐組『櫻ふぶき日本の心中』にテーマが少し重なるところがあるな、と思った。
  • 満足度★★★★★

    30周年おめでとう!
    なにより30年の重みを感じた。しかも戦い続けての30年である。
    この作品も燐光群ならではの作品、戦時中の悲劇を取り上げながら、実は現代の日本を批評しているという構造は見事。

    ネタバレBOX

    当日パンフで懐かしい如月小春の名前を発見した。早稲田と東女と大学は違えど、同期の演劇人として協力しあった仲間である。彼女もまた戦い続けた演劇人だった。

    懐かしさと寂しさを改めて感じさせてくれ、想い出に残る作品となった。
  • 満足度★★★★

    何を信じれば
    とっても刺激を受けました。時空も人種もなにもひとつ空間に詰め込まれ目の前にその舞台がある。やり直しもできる。何を信じればいいのか、それは自分で決めること。決めるという自由がある。…。よかった。

  • 満足度★★★★

    熱い舞台でした。
    一人一人の熱や存在感にすごく感動しました。
    最初、2時間半ときいたときは「え!!」と思ったのですが、世界に引き込まれてあっという間でした。

    誰も死にたくなんてなかったのに、お国のために死を選ぶ時代。
    痛くて、苦しかったです。
    この苦しい気持ちって忘れちゃいけないんだなと思いました。

  • 満足度★★★★★

    必見の舞台
     いつ観ても質の高い、社会性の強い作品を観せてくれる燐光群だが、長い間あたためていたこともあって、この作品は抜群。必見の舞台だ。

    ネタバレBOX

     オーストラリアに実在した捕虜収容所で暴動が起きた。以下後送
    ハットと呼ばれた捕虜収容用建物と同じサイズで作られた舞台は、完全では無い。実寸取りしているので、劇場のサイズが間に合わないのだ。そこで、シナリオを工夫し、収容者達の定員オーバーに起因する問題の結果、火鉢に収容者用の寝具が掛かって、半分は燃えたという設定にしてある。但し、詰め込まれた人間の窮屈な状態を視覚化する為には、矢張り実寸を選んだのは正解だと言えよう。
     ここに、卒制で映画を作る女子学生達が、やってくる。彼女たちのアプローチはユニークだ。先ず、誰がどんな役割をこなすのか最終的に決まっていない。そこで当然、宙ぶらりんの彼女たちは、迷い、自ずと様々な可能性を自ら考えるのだ。そのような過程を経て漸く決定した役割分担の後、指導教授は、各々の学生が、カウラに収容されていた、其々の兵士に自らを仮託し、各々の兵士の日常を想像力を用いて具体的に再構成することを求める。
     登場人物は、この女学生らと教授連、それに、1945年8月5日、オーストラリア、カウラの捕虜収容所で実際に起きた史上最大規模の捕虜反乱事件に参加した兵士達である。双方が、女学生たちの映画製作過程に於いて、その日常をどのように過ごし、何故、多くの犠牲者が出ることを知りながら無謀な行動を起こしたのかを事件として知られる史実以外の部分で肉付けし観客の前に提示して見せた。
     この作品で描かれたのは、日本の特質である。つまり、2013年3月時点にこの国で実際に起きていることと、1945年8月5日に至る僅かな間にオーストラリア、カウラのハット内で起こった日本人グループの捕虜収容所脱出事件とを巧みに交差させることで見えてくるこの国とこの国の民の意識に関する詳細な演劇レポートなのである。
     ちょっと振り返ってみれば、直ぐ気付くことであるが、日本は、私小説の伝統を含め、身の回りの細々とした生活や其処に生起する出来事を作家の個人的な資質というフィルターを通したということで特殊化し、どちらかと言えば家の内側、塀の内側の美意識、愛憎を職人芸の粋を尽くして描くことには長けるが、時代の中でヒトがどう生き、何をどのように選択し、その結果どのような責任を負うことになるか? それが社会の一員としてどのような意義を持ち、意見の異なる他者や他の社会集団とどのような関係を取り結ぶかについての展望も、見通しの不可欠なことや生き抜く為の技術も弱いように思われる。
     その点、坂手 洋二の作品は、常に時代、社会とのコンフリクトの中で生まれ、作品自体が、各々の事象を描くに必要とされる形式を求めて生々流転しているように見える。坂手自身、自分が遅筆であることを表明しているが、その理由はこういう所にあるだろう。同時に彼の作品はどれを取っても、その質に於いて高いのもこういった理由に因るのだと思い至る。
    作品のまとめ
     さて、「カウラの班長会議」は、実際に起こった暴動事件を扱い乍ら、現代日本の抱える基本的な日本人の在り様を抉り出した作品である。中国、北朝鮮、韓国の脅威を煽りたてるマスコミと付和雷同して追随する日本国民、福島第一原発人災事故を既に終わったこととして忘れ去ろうとしている大手マスコミと報道されないのをいいことに、真相を追求しようともしない日本人。更に隠蔽と嘘によって、事実、真実を覆い隠しとおせると勘違いしている無能な政治屋、官僚、司法、マスメディア、御用学者等々。こ奴らの齎す結果に気付いていながら、波風の立つことを嫌い、事実に覆いを掛けて素知らぬ振りを決め込む日本人。どんなことをしても、また、誰が、責任ある地位に就いても変わらないと諦め、愚にもつかぬ弁明をダラダラ垂れ流す、諦めの良い見栄坊の日本人。このような日本人の変わらない在り様を、海外に生きた日本人グループを通して抉った。見事な作品である。

このページのQRコードです。

拡大