ヒューイ 公演情報 ヒューイ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.3
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★

    よかった
    まさにアメリカの物語ですね。雰囲気でてました。

  • 満足度★★★

    違和感あり
    まったく噛み合わない二人の様子を淡々と眺める構成となっており、当時のアメリカにおける鬱々とした雰囲気や閉塞感を感じさせる作品でした。

    ネタバレBOX

    登場する人物は、ふたりとも、夢を持ちながらも(それが決して叶わない)現実と直面し、しかし必ずしも現実を受け入れるのではなく「いつか自分も…」と自身を慰め誤魔化す、そんな雰囲気を漂わせていて、今の日本や日本人にも通じるところを感じさせました。

    ただ今回の作品は、「アメリカ」を日本人が演じる、という演出法をとっていましたが、それに違和感がありました。
    アメリカ人の所作、言葉遣いを、日本人の顔をした俳優が日本語で演じるのは、不自然さがあり、観客として作品の世界に入り込みづらいものを感じました。

    観客との距離の近い、小劇場での芝居において、今回のような「異文化」を描き伝えるのは限界があるのではないでしょうか。一方で、異文化世界を描いた作品を取り組む姿勢は、新しい芝居のあり方について考えさせる、興味深い作品でした。

  • 満足度★★

    うーん…

    時代背景を学ぶテキストDVDなら有り
    感じたのは他の方とほぼ同じなので割愛させていただく。



    これはあまり関係ないですが。
    あと観ていたほうの態度が悪い人が多かったですね
    観ながら何度か鞄ごそごそして飴食べだしたり(笑)ある意味で笑わさせていただきました

  • 満足度★★★

    彼我の差
     1929年の世界大恐慌直前迄のアメリカは狂騒の時代と言われ、バブリーな時期であった。この物語の舞台はバブル終焉期1928年の夏、ニューヨークミッドタウンの安ホテル、フロントで展開する。原作はユージン・オニール。演出が、アメリカ人というちょっと珍しい趣向の作品なのだが、演出、役者共に舞台よりは、映画で活躍しているようだ。基本的に舞台役者と質が違う。
     更に、アメリカの文明・文化と日本のそれとは矢張り大きな差がある。演出家はハワイ大学で大学院まで出、アジア演劇を専攻したと説明書きに書いてあるが、彼我の差を、全然、身体化できていない。一段落目、二段落目、二つの原因が大きいだろうが、表面的でインパクトの浅い作品になってしまった。
     演出家の責任が大だが、演出家、役者それぞれが、もっと舞台の勉強をし、文化の基底を為すものを研究すべきである。

  • 満足度★★★★

    ギャンブラーの孤独
    1928年のニューヨーク、安ホテルのフロント係チャーリーを相手に
    酔ったギャンブラー、エリーがヒューイの話を延々と続ける。
    チャーリーの前のフロント係だったヒューイ、
    いつもエリーに「馬はどうでした?」と尋ねたヒューイ、
    そして先週亡くなったヒューイ・・・。
    男二人芝居の熱演、若干単調さは否めないが、時代の空気を感じさせる舞台だった。

    ネタバレBOX

    客入れの時点でもう舞台の奥、ホテルの受付カウンターには
    男がひとり座っていて、ぼんやり客席を見ている。
    先週ヒューイが亡くなり、後任のフロント係になったチャーリー(木下雅之)だ。
    夏の午前3時、ニューヨーク・ミッドタウンの街を時折靴音が通り過ぎる。

    やがて酔っぱらった常連客のエリー(高城ツヨシ)がやって来て、
    新米のフロント係を相手に喋り始める。
    彼の話は死んだヒューイのことばかり。
    ヒューイはどんな時にも変わらない態度でエリーを迎え
    その日のギャンブルの話を聞きたがり、自宅にも招待した。
    エリーはギャンブルで大もうけをしたこともあるが、反対に大損した事もあった。
    エリーは次第に、ヒューイ相手にホラ話をすることで
    ギャンブラーとしての自信を回復し、また次の勝負に向かって行った自分に気付く・・・。

    時々床に当時の白黒写真などが映し出されて、雰囲気は伝わるのだが
    私の席からは良く見えなくて、何が映っているのか判らず残念だった。

    エリーの酔っ払いぶりは終始スキがなくて良かった。
    酔っぱらいながらも次第にヒューイに対する心情が変化するところが上手い。
    ヒューイの家に招待されて、内心女房も子どもも面倒くさいと思っていたが
    行ってみれば「子ども達もおとなしくて、悪くなかった」。
    なのに「子どもは動物の話が好きだろう」と考えて
    「馬の話」など始めて、ギャンブル嫌いのヒューイの女房から
    ひんしゅくを買ってしまうくだり、可笑しくて客席からも笑いが起こった。

    “ダメなやつ”呼ばわりしていたヒューイに、実は救われていたと認めるエリー。
    次第にエリーの最近のツキの無さや、借金に追いつめられた苦境が浮かび上がってくる。
    「これまで上手くやって来たんだ」と自分に言い聞かせるように繰り返すが
    それはそのまま”今度はそうは行かないだろう”という予想と恐怖心、
    そしてもう誰も自分の話を聞きたがらないという底なしの孤独感だ。

    一方的に喋るエリーは、酔っぱらっていて動きも限られるし
    同じような台詞回しになりがちだ。
    エリーの話に関心を持てないチャーリーは、もっと動きが少なく
    うんざりした顔で単調な“受け”が続く。
    エリーとチャーリーがマジで絡まないので、二人はずっと平行線のままだ。
    終盤ふたりの共通の憧れである大物ギャンブラーの話題で
    ようやく接点を見いだしたところで舞台は終了。
    そういう話なのかもしれないが、何だかひとり芝居でもいいような気がしてくる。

    作者のユージン・オニールは“鬱とアルコール中毒”に苦しんだ人生を送り
    貧困と絶望をテーマにした作品を多く残したそうである。
    この重苦しい時代背景と、
    “ギャンブルの浮き沈みとそれゆえの止められなさ”に激共感出来れば(私のように)
    彼の言葉を酔っ払いの繰り言と聞き流すことは出来なくなるだろう。
  • 満足度★★★★★

    ウンウン
    ギャンブラーには切実な話だったようで、納得!

    ネタバレBOX

    エリー・スミスというチンケなギャンブラーは常宿のフロントマンであるヒューイ相手に小銭でイカサマギャンブルをし、ホラを吹いて、自信を付けてニューヨークの街に出掛けていたんだとさ。

    ヒューイ亡き後、自信を付ける手段が無くなったため気弱になって街で負け続けていたので、口から出るのは愚痴ばかり。

    ところが、とっつきにくいと思った新しいフロントマンのヒューズが大物ギャングでギャンブラーのアーノルド・ロススタインに憧れていることを知るや、ヒューズ相手にまたまたイカサマギャンブルをしたり、ホラを吹くことができるようになり、明日からまたギャンブラーとしてやっていけると確信しましたとさ。

    1時間15分ほどの二人芝居の大半は、エリー・スミスがヒューイのことを延々と話すシーンに費やされましたが、ギャンブルには如何に自信が大切かということで、その理由が分かれば納得です。ま、何事についても言えるのかもしれませんが。

    エリーの酔っぱらい振りは見物でした。

    この翌年1929年は大恐慌の始まり、うら悲しいですね。

    ところで、開演前に当時のアメリカ映画を床面に映し出し、雰囲気に浸ることができてとても良かったと思います。ただ、お芝居が始まってから説明のために映像を流したのはかえって邪魔だと思いました。しかも、コンピュータの関係か、映像が流れる前に左上部分に前触れの光が流れるのがうざったかったです。

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