OIL 公演情報 OIL」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
1-7件 / 7件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     作はエラ・ヒクソン。翻訳は一川 華さん。演出が水野 玲子さん、芸術監督が坂手 洋二氏。

    ネタバレBOX

     照明はずっと昏め。これは石油をエネルギーとして人類が大々的に使い始める以前及び使い始めて以降の歴史に於ける暗黒史を象徴していよう。当然、今作を描くに当たってエラ・ヒクソンその人がぶち当たった現実の悍ましいとしか形容できない巨大資本、産業の核を為すエネルギー業界と国際政治の蜜月・結託関係が齎す(今作では齎した、と齎すであろうであるが本質は現在も全く変わっていない終盤描かれる2050年頃も変わるまい)ミエミエの茶番論とその茶番をごり押しする者{勢力・追随者(国家及び力に屈し隷従する群れに属する人々)}とこんな嘘八百と欺瞞の犠牲とされた国と国民、その狭間に在り結果的には不十分な第三者となる者三つ巴の物語だ。
     演劇も実際に上演されて観客に届かなければ完結しない。これはあらゆる表現がそうであるように受容する者無しには完遂したとは考えられないからだ。ヒクソンもこの道理からは抜けられない。その結果が、イラクで実際に起こっていたことが起こっていた時点から隠蔽され、今では往時そのファクトを追求して居た者、及び体験し生き残れた者達にしか伝わっていないという事実と、往時を知らぬ者達の間でも”通用”し得る『愛』という概念を用い劇作家と観客、その間に居る役者、演出家、ドラマトゥルグら、及び舞台美術、衣装、化粧他演劇表現に関わる一切の者及びその成果を受け取る観客への橋渡しを老人がかつて体験した深く、昏い思い出を訥々と語る際に聴く者たちへの気遣いを怠らないような按配にみせる愛に近いように思う。当然、現実に起こっていた正しく地獄とは遠くかけ離れている。従って観客が観劇後何をすべきか? については不可視化された事実を発掘し、それら事実だけを手掛かりに今作終盤で触れられた常温核融合について自ら判断できるほどの勉強をすることだろう。ヒントとして以下の事実だけは挙げておく。実際にイラクで何が起きたか事実を知っていた人々の多くは暗殺されてしまった。
     今作はこのような闇を一般に開く契機となった点で極めて重要だ。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    19世紀末、英国南西部コーンウォール州。かつて銅と錫の鉱山で栄えたが銅の暴落と共に衰退。英国で最も貧しい州とも言われる。延々と続く荒野と岩場の崖、荒涼たる景観。

    下手前で電子ピアノを弾く後藤浩明氏。効果音から劇伴までリアルタイムで奏でる。ウォーターフォンから多種多彩な楽器を用意。湯たんぽのような地雷のような謎の楽器もある。ツルハシを振るう音、ドアの開閉音、テーブルを叩く音まで。
    今作の面白い演出は殆どの小道具をマイムで表現。食べ物、飲み物、バケツ、皿、グラス、酒瓶···。マイムに音を被せる効果でメタ的な虚構の層が何層も重ねられる。

    第一場
    1889年、コーンウォール州の農場に暮らす一家。余りの寒波で桶の水が凍ってしまい羊が飲めない。氷を砕いてやらなくちゃ。痺れて指の感覚がなくなる。くたくたのメイ(森尾舞さん)、愛する夫ジョス(猪熊恒和氏)。朝から晩まで引っ切り無しに続く労働。厳しい義母(岡本舞さん)。いやらしい目で自分を眺める義理の弟(林田一高〈かずたか〉氏)。弟の女房(高木愛香さん)は流産した。凍傷を負った三男(武山尚史氏)とその妻(山下智代さん)。酷い臭いのする傷んだ鶏肉を調理。そこに夜遅く訪ねて来る一人の紳士(円城寺あやさん)。アメリカの石油会社が石油の備蓄倉庫としてここの農場を買いたいと。これからの時代は石油である。持参したオイルランプで室内を照らしてみせる。石油を使った灯りの余りにも明るいこと、そして何よりも温かいこと。メイは部屋を照らすその光に神の福音に似た衝撃を覚える。だがジョスは紳士を追い返す。「ここは一族の土地だ。売る気はない」。メイの妙な様子に何かを感じ取る義母。「出て行くんなら扉を閉めてお行き」の名台詞。妊娠中のメイは目映い光の温かさに道を指し示される。身籠った赤ん坊は私自身。産まれた時に私のもう一つの新しい人生が始まる。それはきっとここではない。基調は灰色。

    オイルランプを知るのが遅すぎる気もするが。(日本ですら1877年には普及)。

    完璧な第一場。ここだけでも傑作。森尾舞さんはほぼ出ずっぱり。客前で着替え、髪型を変える。口を右にひん曲げる癖。
    娘エイミー役柴田美波さんは若い頃の指原莉乃っぽい。この母娘の愛憎漫才のようにも受け取れる。
    今年も森尾舞さんを見逃せない。

    ネタバレBOX

    第二場

    1908年、ペルシャ(現イラン)の首都テヘラン。メイは8歳になる娘のエイミー(柴田美波さん)を連れて働いている。クラブを馘首になり、宮殿の執事的立ち位置の男(武山尚史氏)に一日だけ食事の盛り付けの仕事を貰う。そこで働くペルシャ人(高木愛香さん)。エイミーは遊びたい盛りで言うことを聞かない。シャー(王)を手懐け、油田を独占しようと企む英国の差し金で動く軍人士官(林田一高氏)。メイは二人の男に口説かれる。基調は赤。

    第三場

    1970年、英国の首都ロンドン。英国を代表する石油メジャー、ブリティッシュ・ペトロリアムのトップに就くメイ。リビアでカダフィ大佐による革命が勃発。欧米企業に支配されていた油田の国有化を一方的に宣言。そんなこと関係なしに15歳のエイミーは彼氏のネイト(山岡隆之介氏)とヤりまくるのに夢中。食卓上のクンニ・シーンが見せ場。二人で家を出て暮らす計画。リビアからの使者(円城寺あやさん)、悩み苦しむ会社の幹部(武山尚史氏)。ジョスの幻影。基調は黄色。

    第四場

    202X年、荒廃したイラクの首都バグダッド。戦争の後遺症で反政府ゲリラが乱立し常に不穏な政情。環境活動家として自由を満喫するエイミー、共に行動する現地の友人(高木愛香さん)。メイがヘリコプターで連れ戻しに来る。彼女は首相にまで登り詰め中東戦争を決断し、今は政界リタイア状態。山岡隆之介氏演ずるウェイターがチラリ登場。基調は青。

    第五場

    2051年、コーンウォール州。世界の気候は限界に達し危機的状況。氷河期のような世界。老いたメイを介護して暮らすエイミー。停電が続き常に電力は足りない。馬でやって来る猪熊恒和氏にときめくエイミー。旦那も子供もいない寂しい暮らし。そこに中国人(山下智代さん)の訪問。新しいエネルギーの売り込み。フライングライトボールを飛ばしてプレゼン。基調は黒と緑。

    余りにも第一場が良過ぎてそれ以降は引き算みたいな戯曲。多分、連れ戻そうとして拒絶された旦那はガソリンを被って自殺したのだろう。その焼死の場面を赤ん坊だったエイミーは目撃してしまった。何度も夢にうなされる。ミアはこの件で踏ん切りが付いてペルシャに渡ったのだろう。

    石油をただの背景として一切切り捨てて観た方が分かり易い。妊婦のまま貧しい家からの出奔、数々の求愛を断り娘(8歳)と二人きりで生きていくことを決める。社会的経済的成功を手にするが娘(15歳)は彼氏と家を出て行こうと企んでいた。彼氏と別れさせ、学問の道へ進ませる。結局出て行った娘(30歳?)は荒廃したイラクで自由を謳歌する。それをヘリで無理矢理連れ戻す。落日の英国、停電ばかりで先の見えない寒く長い冬が続く。老母娘二人暮らし。(娘50歳?)。そこにあの日を思い出させるような中国人のセールスマン。中国は月からヘリウム3を採掘して常温核融合を成功させた。夢のエネルギーがあなた方を救う!イギリス人からすると最高の皮肉なんだろう。

    愛とは支配、従属させること。自由とは孤独。愛も自由もバランス次第。どちらも捨てられないし求め続けてしまう。人間はそもそもが不完全。

    フライングボールは5000円以下で買えるらしい。(安いのは1500円位)。マジで買いそうになった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    燐光群というよりは森尾舞と柴田美波の二人芝居という感じ。石油をめぐる歴史的、地政学的な要素と母娘の話が並走しながらごちゃごちゃと入り混じる。19世紀から21世紀までを旅する少し不思議な物語。興味深いけど、ずば抜けて面白いとは思わない

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    『OIL』(燐光群)を観た。石油が「新しい光」だった時代から、遠い未来まで——母と娘の関係を軸に、人類の繁栄と暴力、依存と正当化の歴史を折りたたんでいく構造は野心的だ。時代も土地も跳ぶ。その跳躍を成立させるために、俳優陣は人物の温度を落とさずに繋ごうと踏ん張っていたし、舞台が抱える情報量の多さを身体で支えていたと思う。

    ただ、私自身は不思議なくらい「刺さる台詞」が残らなかった。言葉が弱いというより、観客が人物に感情移入していくための“撚り”——関係のねじれが積み上がっていく感じ——が薄い。場面ごとの情景は追えるのに、主題の輪郭が像を結びにくい。とくに核に置かれているはずの「愛」が、何の比喩/隠喩として立っているのか掴みにくかった。愛=依存、愛=支配、愛=世代間責任……読み筋はいくつもあり得るのに、その複数性が「意図された余白」というより「手がかり不足の余白」に見えてしまい、観客の側が芯を握り損ねる。

    終盤の着地も、予定調和というより既視感が勝った。結末そのものが悪いのではなく、そこへ至る増圧が足りず、“そうなるよね”の地点で止まってしまう感覚が残る。壮大な時間のスケールと、家族という最小単位のスケールが最後まで噛み合いきらず、世界史の叙事と私的な倫理が、並走したまま終わったようにも感じた。

    とはいえ、題材の射程は大きい。豊かさの源泉だったものが、暴力や分断の燃料にもなる。その二重性を「家族」という器に注ぎ、観客の生活感覚へ沈めようとする企て自体は、いま必要な挑戦だと思う。だからこそ、「愛」という語が綺麗事ではなく、支配や依存や責任と地続きに見えてくる瞬間を、もう少し舞台の側から手渡してほしかった。野心の大きさに対して、感情の導線がもう一段、太くなれば——そんな悔しさを残す観劇だった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    趣向を変えた公演をしばしば行う燐光群ではあるが今回はまた随分と色の違う舞台・・と観始め感心しきりだったが、改めて布陣を見れば、そうであった。今回はこのかん燐光群の演出助手に名を連ねていた村野女史による「演出」であった。燐光群常連の客演もいるが新顔と思しい俳優も含め数名の舞台(燐光群俳優は猪熊氏くらい)。舞台美術の趣きも同じく抽象舞台の多い燐光群とも異なる(犬猫会に通じる?)曰くあり気に見える抽象性で(使われた数台のテーブルは前回「高知パルプ」のものかも)。
    昨年来しばしば遭遇する人間の本質を抉る作劇のこれも一つ。「KYOTO」のCo2を今度は石油に置き換えたドキュメンタリータッチの劇を想像していたが、人間ドラマ、親子のドラマである。ただしそのタッチは独特で、背後に人間とエネルギー(石油)の関係、文明論が静かに流れている。俳優力を要する戯曲(いやどんな芝居もそうだとは言え)を見事に俳優力で舞台に上げたと言える仕事。この企画を燐光群でやった事が面白い。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    少し変わった興味深い作品で、なかなか難しいところもある。一人の女性の半生とその娘との愛と葛藤、閉塞感と自由への欲求、生活の維持、生への欲望、孤独などが描かれ、石油はそれらの心的エネルギーの象徴として絡められていると感じられた。ストーリーは5つの時代に分けられているが(最後は2050年代?よく見えなかった)、それらは同じ人物の話なのだろうかと疑うほどガラッと変わる印象があり、その一つ一つは面白いとしても、まとまりにくさは否めない。一筋縄にはいかない台本と思われ、上演は簡単ではなかったのではないかと想像する。2時間半ぐらいと思うが、休憩なしで通したので少々つらいものがあり、5部に分かれているのなら途中どこかで休憩を挟んでも良かったのではないか。それにしても、森尾舞氏は一流の舞台俳優だな、と。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「時空を超えた母娘の物語」

     イギリスの劇作家エラ・ヒクソンが2016年に発表した戯曲の日本初演である。坂手洋二率いる燐光群+グッドフェローズのプロデュースで、翻訳は一川華、演出は文学座の水野玲子が手掛けた。

    ネタバレBOX

     1880年代から2050年代にかけて、五つの世代でイギリスと中東を舞台にしたエネルギー資源の利権に翻弄される人々を描いた物語であるが、いずれの場面でもメイ(森尾舞)とエイミー(柴田美)母娘を中心に据えている点が大きな特徴である。登場人物の関係性が異なる時期と場所で変わることを描いた作品はほかにもあるが、本作は資源争奪に揺れる国際情勢が人びとに与えた影響に焦点を当てている。こう書くとただ政治的であるように思われるが、作者はそこに母娘の愛憎と人びとのままならない性の営みを書き加えた。こうして私は一組の母娘を通して時空を超えた 「公」と「私」の物語を堪能したが、戯曲にはさまざまな要素が詰め込まれており、作品に込められた熱量に反して主題がどこかぼんやりとしたものになっていたようにも思った。

     森尾と 柴田のメイ、エイミー母娘はどの場面でもエネルギーに満ち溢れていたが、特にオイルショック期のイギリスで会社を守るために苦渋の決断をする重役と、ボーイフレンドとの逢瀬に耽り反抗的な態度をとる思春期の娘を描いた第三場が印象に残った。ちょっと出るだけだが、円城寺あや演じる石油利権を主張する人物の役がミステリアスである。

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