明るい家族、楽しいプロレス! 公演情報 明るい家族、楽しいプロレス!」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★★

    終わるのが惜しいほど
    まさに昭和のホームドラマ。
    小学生の啓太の言動を筆頭にあちこちに共感できる部分があり郷愁をそそられる。
    たまに流れる家族内の気まずささえ懐かしい、みたいな。
    もちろん家族・近所付き合いのあたたかさも満載で終わって欲しくなかった。

    ネタバレBOX

    特にツボを突かれたのは姉弟の喧嘩+母の成敗、恭平の「賑やかになっていいが」、祖父に「プロレスは嘘」と言われて以降の啓太の「こいつ、敵!」な態度、毛利の「三原順子ヘア(笑)」などなど。
  • 満足度★★★★★

    初見!
    不器用だけど愛すべき登場人物を、役者が見事に演じていた。
    こういうストレートプレイは好きです。
    緑川さんには笑った。

  • 満足度★★★★★

    ウィー!!
    一部を除いてフツーの家族のフツーの日常、観終わって爽やかでした。

    ネタバレBOX

    プロレス好きの小6の弟、吹奏楽部の中学生のお姉ちゃん、近所に住むおじいちゃん、長期入院中のおばあちゃん、週何日かパートしているお母さん、家で寝泊まりせず時々顔を出すお父さん…、最後だけ特殊ですが、そげなこともあるがの家族の日常でした。

    弟はプロレスの雑誌やプロレスのビデオばかり見ていて、そうそう子供は同じ物を何回見ても同じところで感動するんだとか、きょうだいは喧嘩ばかりするもんだとか、息子が母親の見舞いに行きたがらないのはどこも同じなのかなとか、家族の風景を眺めていました。

    みんな役柄にぴったりでした。そして、『エキスポ』でもそうでしたが、宮崎の家族の中心にはお母さんがいました。

    おじいちゃんの言葉「そげなこともあるが」…、いいことも悪いことも折り合いをつけながら生きていく生き方は爽やかでした。

    お父さんですが、他に女でも作ったのかと思っていましたがそうでもなく、おじいちゃんから土建会社の社長を引き継いだ後の運営方針を巡ってお父さんとおじいちゃんの間には確執があり、それもあって家に帰れないようになっているようです。久し振りの親子一緒の食事がきっかけになればいいですね。

    子供が親を超えていたら、今頃世界はどんな理想郷になっていることやらと思います。超えたり超えなかったりです。違いを出そうとしがちですが、肩肘張りなさんなと言いたいです。
  • 満足度★★★★

    役者の圧倒的な描写力を映えさせるリング
    古き良き時代(といってよいのかわからないけれど)の家族の話。
    そこに編み上げられる時間のふくよかさと
    役者たちの力が描き出す人物の実存感に
    息を呑みました。

    ネタバレBOX

    食堂と居間の舞台、
    テレビとビデオが下手におかれて・・。
    そんなに貧しい感じもなく、
    むしろどちらかといえば豊かな家庭なのだと思う。

    物語としては、恣意的に複雑さを避け、
    その家族と訪れる人々のその場での風景を
    切り取って見せたような感じ。
    でも、脚本の秀逸は、その風景のあるがごとくのままにして、
    登場人物たちがの抱えるものや心情を描き出していきます。

    そして、そこに置かれた役者たちの表現力に目を瞠る。

    その家の姉弟たち、弟の小学生には
    子供の放埓さと無垢さが絶妙な力加減で編み込まれていて。
    役者から伝わってくるもののすべてが、
    まるで魔法のように一人の少年のものとして
    観る側に刻み込まれていく。
    姉の中学生の不機嫌さもしかり、
    思春期の自らがコントロールしえないような感覚が、
    少女の微かな危うさをまじえて組み上がってくる。
    母親の、母としての包容力と、
    その年代の女性としての歳を重ねる心情には
    観る側をふっと取り込むような奥行きがあり、
    その友人の女性の、
    子供を愛する心情も、そのキャラクターや
    一人の女性の歩み続ける時間をしなやかに取り込んで
    紡ぎ出されて。

    姉が恋心を描く同級生には、
    少しだけ姉からの見え方を意識したようなデフォルメがあって。
    以前に観た非常に狭いスペースでのお芝居でも
    想いの現し方に感心した役者さんですが、
    今回のお芝居にも
    デフォルメの切先から引きだされた思春期的な生々しさがありました。
    喘息持ちの親戚のおにいさんの突っ張り方にも
    可笑しさに加えて、ちゃんと裏側を垣間見せるニュアンスがあって。

    父親には、男としてのカリスマ的な実存感があって。
    親としてだけではなく、夫として、社長としての顔が
    男としての生き様を編み上げて
    その一つずつの態に華がある。
    妻が離婚を踏みとどまる理がしっかりと作り上げられていて感心。
    また、父の友人の醸し出す、
    胡散臭さにも心を惹かれて・・・。

    しかし、何よりも凄かったのはお爺さん、
    これまでも、いろんな舞台で、
    役者のお芝居の秀逸さは見知っていましたが、
    今回の演技は更に突き抜けて藝術的ですらありました。
    一瞬出落ちかと思わせるようなインパクトも下地に過ぎず、
    そこに重ねていく老人の描写に息を呑む。
    視線の動かし方で老いを表現しつつ時間を紡ぎ、
    言葉の枯れを操って場の空気をすっと染める。
    そこまでのリアリティに自転車の変速機ネタを
    てんどんでのせていくのが、 もうたまらなくおかしくて。

    役者たちの力が鮮やかに引きだされ、
    解き放たれ、さらにそこから踏み込んで、
    それが、ある時代の家庭の風景として
    きちんと観る側に収まっていく。
    そして、その場にあって、その時代の当たり前の時間を過ごす、
    家族とそれを取り巻く人々の一人ずつが
    とてもいとおしく思えてくるのです。

    美術や照明なども、とてもオーソドックスでシンプルなのですが、
    織り込まれたプロレスネタやひょうきん族の音声などが
    場をその時代に染めてくれる。
    また、シンプルであるがゆえに、作りこまれた役者たちの演技が
    リングのプロレスラーの如く映えたりもして。

    観終わって、良質の喜劇を観たような感触も残りつつ、
    でも、少し時間が過ぎると、
    それだけではない、
    ゆっくりと降りてくるもう一段深い部分のペーソスがあって
    深く染められてしまいました。
  • 満足度★★★★★

    登場人物が相互に、それぞれの役を成立させる見事な関係にある
    それは物語と深くかかわっていて、誰かが誰かを気にして、支える、家族や友人のコミュニティの形に似ている。

    コメディかと思ったらそうではなかった。
    ストレートプレイ好きならば観たらいいと思う。

    ネタバレBOX

    異儀田夏葉さんがお母さん、佐藤達さんが小学生の息子、内山ちひろさんが中学生の娘、そして永山智啓さんがおじいちゃん……そんな役柄を見て、てっきりコメディかと思ったら(先日デフロスターズ松本企画のコントみたいなものを観たあとなので)、違った。いい意味で裏切られた。もの凄くいい会話劇。

    89〜90年ぐらいの、宮崎にいる家族たちの物語。

    中島家では、父は母との関係で、家に寄りつかず、たまに帰ってくる程度。思春期にある中学生の娘はそういう父親を嫌っている。小学生の息子は単純に父が好きで、なによりも今一番興味があるのがプロレスだ。
    おばあちゃんは、痴呆か何かで入院中。母はパートをしながら見舞いに行っている。
    おじいちゃんは、自分の息子が留守がちの家を気にし、毎日のように訪れる。自転車の「切り替え」好き。

    そんな中島家を中心に、母の友人や、喘息持ちで、プロレス好きの近所の高校生、娘の部活で一緒の、シンバル担当の男子などが、どこか懐かしい香りがするストーリーを繰り広げる。


    最初はコメディかと思っていたのだが、途中からそうではないことに気づき、また、「それから数年後」のような展開があるのかと思っていたのだがそうでもなく(大人が小学生を演じていたりするので)、その設定のまま淡々と物語は進んでいく。

    そんな舞台に、実は違和感を感じることはなかった。なぜならば、ほとんどの役者が実年齢と違う年齢を演じているのだが、あまりにもしっくりくるからだ。

    小学生を演じた佐藤達さんは、よく舞台で大人が子どもを演じるようなあざとさが一切なく、さらりと演じていて、小学生の息子になっているのだ。中学生を演じた内山ちひろさんも、同様にさらりと中学生の娘になっている。

    そして、その2人の母を演じる異儀田夏葉さんが素晴らしい。2人への声のかけ方、夫や義理の父(おじいちゃん)への接し方が、リアルというか、さらりと「母親」「妻」になっている。
    その台詞や動きが、まさに「毎日繰り返される日常」を体現しており、「お母さん」という感じ。兄弟げんかしたらあんな風に怒られたな、なんて素直に思える。

    異儀田夏葉さんのお母さんが中心にきちんといるから、この舞台は、きちんと成立しているのではないか、とも思ってしまう。彼女が「お母さん」を演じているから、「息子」も「娘」も揺るぎなくそういう存在としていることができるのではないだろうか。
    おじいちゃんも、しかりだ。頭を白髪にしても見た目は若いおじいちゃんが、「おじいちゃん」に見えて来る。

    異儀田夏葉さんは、あひるなんちゃらで初めて観てから、結構気になっている役者さんで、この人の突っ込みのスルどさにはいつも感服していた。しかし、今回の芝居を観て、考えが新たになった。「突っ込みが凄い」のではなく、台詞のタイミングや声のトーンなどが的確な人なのだということだ。だから突っ込みもうまいし、今回のような芝居もできるし、西友のエスカレーターを不気味な笑顔で降りてこれる(笑)ということなのだ。
    ますます目が離せない女優さんだ。

    もちろん、今回の舞台は、異儀田夏葉さんだけが凄いということではなく、それぞれの役が、それぞれの役を見事に互いに支え、成立させていると言ってもいだろう。相手が本当にそういう役なのだ、と信じ切っている。そういう相互関係・信頼関係があるから、この舞台は成り立っているのだろう。

    また、台詞のタイミングや絡ませ方、声のトーンなどなど、細かく気を遣っていて、それも見事であったと思う。役者の力量もあるのだろうが、そこには演出のうまさもあろう。

    ストーリー自体も、母親の友人の息子の退学や、隣の高校生の入院(身体が弱いから近所の小学生の相手をしているのではないか、という切なさも含めつつ)、東京にプロレスを観に行けなかったり、娘の部活で一緒だった男子の転校など、ちょっとした波紋はあるものの、そこには、それらを支える、家族とご近所の関係(コミュニティ)がきちんとあるのだ。
    今観ていて、逆にそこがちよっと切なくなったりするのだけど…。

    心配してくれる家族や友人、知人がいて、遊んでくれるお兄さんが近所にいて、なんて、そんなことはもうないんじゃないかと思うからだ。
    昭和から平成のころには、そんな関係が、宮崎ではまだあったのかもしれない、と思ったりもした。「ケンタッキーだ!」って喜べるのはいいよな、なんてね。

    その「誰かが誰かを気にして、支えてくれる関係」は、先に書いた、「役者さんたちが、それぞれの役を成り立たせる関係」とよく似ていて、舞台のテーマと、演劇自体の在り方が、まさに密接な関係にあると言っていいだろう。

    2代目の社長となった息子(中島家の父)を、なんとなく頼りないと思っている祖父が、小学生の孫(啓太)がカツ上げにあったと聞き、「タカシ(啓太の父)を呼べ」と思わず言ってしまうところや、ラストでみんなで食事をしようとなるあたりに、簡単には切ることのできない家族のつながりを感じたりもするのだ。

    母親の友人・柴田薫さんのどこかにいそうな感じもよかったし、緑川陽介さん、塙育大さんの2人の男子の、少しエキセントリックだけど、実直さ、いい人ぶりも良かった。また、父親の野本光一郎さんの、実は真面目そうな感じ(だから家に戻れないような)、その友人の松本哲也さんの「一緒に風呂入るか」というような台詞に表現される、胡散臭い感じは、その風貌とともに短い登場ながらいいアクセントになっていた。

    観た後、暖かいものが残る舞台だった。

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