満足度★★★★
久石譲が五月蝿い(爆)
詩的・抒情的で演劇表現として(舞台美術も含めて)美しいが、久石譲が五月蝿い(爆)。
タイトルに因んで音楽を強調したのはワカるし意図も汲むが、台詞にカブせてあれだけの音量で流されると観ていてストレスが溜まるのも事実。
満足度★★★
男としての格の違いに涙する。
なんか観ながら、15歳の時に訪れた薬師寺での説法を思い出してた。
「ありがてぇんだろうが、よくわからねぇ」。
ボクの耳には、複数の観客による「鼻ズルズル音」が届いていた。
でも、ボクはよくわからなかった。
「現実と妄想、現在と過去とが入り混じってる話なのかな?」
「この少女は人形なの?・・・まさか、ねぇ」
「坂の見え方が、置かれている心理状況や、坂上坂下なんかの今いる位置、そして朝、昼、夕方、夜とで違ってくるってのは、なんとなくわかるなあ」
「・・・つかさ、って何者?」
「すごく稽古したんだろうな」
「ん・・・?つかさ、死んでるの?」
「ロリコンの話では、たぶんないんだろうね」
「・・・あと何回”つかさーっ!”って言うんだろ?」
瞬間を切り取ると美しい場面がたくさんあったのと、猿楽町アートスタジオの雰囲気が好きなのもあって、終演後、男坂を上る足取りは軽かった。
「よくわかんなかったけど、ラストシーンは良かったなあ」なんて思いながら。
で、丸ノ内線に乗ってから当日パンフを開いてみた。
作演の大貫隼さんの文章、すてきだった。
彼が高校生(だったっけ?)の頃の、輪行中の出来事が書いてあった。
道に迷う少女との、時間にしたらほんの少しの間の交流。
「あっ・・・そういうことだったのか。。。」
丸ノ内線の茗荷谷あたりで一人合点(←抽象的な芝居を、自分の価値観や思い出、日常etc.に強引にはめこむ術は、得意なのだ。そういう術を使うということは、人間の底の浅さを露呈することにも繋がっちまうのだが 泣笑)。
「そういや鹿児島赴任時代の金曜の夜、気ままなドライブで訪れた鹿屋で・・・たしか”ムッシュゼン”って店だったっけ・・・隣り合った赤ブチ眼鏡の女の子と話が盛り上がるでもなかったのに、養豚場の香り漂う田舎道にポツンと建つ小奇麗なモーテルに流れて・・・翌朝、彼女を送る時に”また会おうよ”なんて言われてイイ気になって・・・彼女をおろして、ふと助手席のシートを見たら、折りたたんだ1万円が置いてあって・・・”1万円?昨日、奢ったのを遠慮したのかな?”なんて思って、そのまま財布に放り込んで・・・しばらくの間、不思議な気分とチョット良い気分、そして ”ま、もう会うことは無いだろうけどね” なんて思っちまってることに対するチクチク感を味わったりしてたなあ。。。」
そんなことを思い出してた(その間に池袋に着いて、副都心線ホームへの通路を早歩き)。
刹那な出会いを、このような荘厳な作品に昇華させた大貫さん(大学生)・・・対して、都合の良い妄想を膨らませた上に、妄想の中においても”赤ぶち眼鏡の女の子”をもてあそんでいたボク(当時、大学を出て5年目の社会人)。
人間としての格が違うよね(泣)
満足度★★★★★
音楽の助けもあったし、
収束へむかう転換がやや唐突であったけど、よかったと思います。
前敦に似せてるっぽい女の子が気になった(いい意味で)。
かなり前ですがNHK朝ドラのヒロインで、「この子美人じゃないのが好感もてるのよね~」と評判になった女優さんがいたことをなんとなく思い出しました。(関係ないかもです)
満足度★★★★
どこか神秘的
「楽章」と名前がついているように、どこか音楽的な世界。
(といっても私はまったく音楽に造詣がないが。)
だからか、内容も、論理的に頭にはいってくるというより
抽象的な感じが入ってくるような印象だった。
それもすごくきれいで神秘的な印象。
主役の役者さんの終わりにかけての気持ちの入り方はなかなかすごかった。
満足度★★★★★
泣きました。
夏の終わりの郷愁感あふれる物語。シンプルで洗練された美術の舞台で、所狭しと走り回り、心を通わせる5人の役者さん達。意外な展開に胸が詰まり、クライマックスから号泣。終演後も泣いて泣いて、しばらく立てませんでした。学生演劇は突拍子もない方向にはじける劇団が多い中、この劇団は実に純粋に真っ直ぐな表現を観せてくれます。心が洗われました。久しぶりに、兄に電話をしようと思いました。※一橋くんが相変わらず良いです。コミカルな演技を観る機会が多いですが、やっぱりこういう演技で役者力・・・特に目の表情を堪能したい。