満足度★★★
見せ方が少し
中原中也をどれだけ知ってるかにより、落ちてくる印象は違ってくかな。
オイラは余り知らなかったが、何となく人物像は感じることは出来た。
ただ、前方側の客席から見て真横で物語が進んでいくシーンの見せ方は少しどうかなと感じた。
満足度★★★★
行った甲斐がありました
大川さんのチラシに惹かれて、ちょっとはるばる横浜まで行った甲斐がありました。中也の物語は期待以上に面白く、勉強になりましたね。役者さん達皆よかったな。
満足度★★★★
良かった
音楽や笑いは無いが、役者の演技と演出の上手さで引き込まれた。
中原中也よりも長谷川泰子に感情移入して、切ない気持ちになった。
百花亜希さん良かった。
満足度★★★★★
よかったわー
ちゃんとした言葉と、ちゃんとした演出と、ちゃんとした演技が合わさって、+αの色気が発生。こういう芝居にこそ、小劇場の真ん中にいてほしい。星50個
満足度★★★★★
言葉の一文字も
中原中也さん という 人を
あまり よく知りませんでして 観に行ったのですが、
いろんな面があったのだろうなって 思えました。
言葉は生きて これからも、
何年か
経過して未来に行く事を 考えると
不思議な気持ちになります。
満足度★★★★
不思議
ラスト15分くらいにオケツが痛くなるまで我を忘れ、ただただ追っかけてました。
観れてよかった。
魅力的な役者さんばかり
中也、可愛いし色っぽくもありました。
オノマリコさんの作品また観たいです。
満足度★★★★
傷
飛び石や靴脱ぎ石には、石材が使われ、如何にも大正から昭和初期の雰囲気を醸し出している。更に孝子の庭には、四季折々の木々と花、鳥や虫が挙って、いやがうえにも風情を顕す。このような背景が、芸術家たちの寄る辺ない位置に、傷つけられた神経をどれほど安んずるかに思いを致すべきであろう。
太郎が、泰子が、秀雄が、二郎が何故、中也を嫌うのかの答えが、ほの見える。無論、中也自身が最も深く傷ついている。中也は、小林自身が指摘している通り、voyantである。見えすぎるが故に、彼は言葉を溢れさせる他、方法を持たなかった。而も、彼の発する言葉は、その向かう対象の裸形を明らかにせざるを得ない。彼の愛する対象は、中也に愛されることによって、己の本質と真正面から向き合わざるを得ない。それが如何に不快であるか。多少とも自らを掘り下げたことのある人なら納得のゆく所であろう。つまり、太郎、泰子、秀雄、二郎総てが、自らの本質を嫌ったのである。そして、そのことを悟らせた中也を嫌うことによって自らの平衡を保ったのだ。そして、それら総てを暴き、愛された者たち総ての裸形を知る中也を恐れたのである。そのことが、voyantである中也には見えていた。そして、己自身、そのヴィジョンに喰われつつあることも。
それが、中也という詩人の誇りでもあり、傷でもあった。即ち、中也とは、総ての底を見尽くす透視力と同時に見られる傷。傷を一身に体現した存在。詩人と名付けられ、生きながらメスをあてがわれた神経束、同時に自らを切開するメスであった。
だが、彼を詩人と名付けた者は誰だったのか、或いは何だったのか?
我らに残された問いである。