少女仮面 公演情報 少女仮面」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    考えてみれば、40数年前に初めて「少女仮面」を観たときの春日野が渡辺えり子だった(貝は森下愛子)。それが初めて観た唐十郎作品でもあったから感慨深い。今回は貝がトリプルキャスト、甘粕を日替り特別ゲストが演じる豪華版。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    (笑えた度)3(今感)3(完成度)5

    唐十郎追悼公演。 

    小劇場の聖地スズナリで、ワーグナーあたりを始祖とする総合芸術の完成形と邂逅。これ以上の幸せはない。

    ネタバレBOX

    チェロが印象的な生演奏は、三味線、アコギ 、アコーディオン、ヴァイオリンとのコラボ。タップダンスにフレンチカンカン、生粋のエンターテイナー川村さんの歌も見事。喫茶肉体のモダンでリアルな舞台美術、雨の表現が抒情的なライティング、扇風機に舞う花吹雪、オーセンティックな軍服に清楚なドレス。悠久の時を超えて変わらず流れるロシア民謡の調べ。あれこれの舞台芸術の果実をスズナリの桟敷、かぶりつきで観られる贅沢といったら、、、

    今に続くその後の小劇場演劇の原点ともいえる唐の思想は胎内回帰して、また、幾度も誕生する。

    唐の本の中に女性版ハムレットを見いだした渡辺が若き日から追い求めてきた女性が躍動する舞台。ご本人の身体を張った大芝居も、歌も、あと説も、見事すぎて感無量だ。
    社会性も性差もない、あるのは肉体だけ。唐の芸術論では肉体が舞台芸術の頂点だ。がしかし、その肉体こそ、実在が危うい。
    偽りだらけの無名の人生。ほんの少しの実在の実感は愛の記憶なのか、むしろ愛そのものが実在なのか、それさえも幻か。全ては演劇のように消え去るのか、そもそもこの芝居は上演されていたのか。演劇をアウフヘーベンして無に至る。東洋の美学。

    噴火と噴火の短い間、戦争と戦争の短い間に我々は生きている。奇跡的な平和のうちに生を受け、一念発起して一芝居打つ。芝居が終わったら、客出しして、セットをバラして、思い出を携えて小屋をあとにする。

    「人生は歩く影、哀れな役者にすぎない。しばらくの間、舞台の上で、見栄を張り、怒り狂って、あとは消えてしまう。」(ウィリアム・シェイクスピア)
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    唐十郎戯曲、殊に「少女仮面」は作り手により大きく変容する作品と再認識。スズナリはつくづく良い劇場だと思う。先日たまたま渡辺女史の出演したラジオ番組を聴いたらワイワイと賑やかしく音だけ聴いても密度が凄い。毎度の台詞「今回ももちろん赤字なんだけど」その最大要因は俳優の出演料だろうと踏んでいた所、今回のスズナリ公演、これでもかと趣向を詰め込んでいる。全部に金が掛かってる(掛けちゃう)んだろうこの人は..。今回も生演奏を入れ、演者と演奏者の区別もほぼ無しの混成(混沌?)舞台で(唯一演奏のみに専念したチェリストの女性も登場から終始歪んだ表情で物語世界にコミットしていた)。
    過去観た少女仮面で思い出せるのは梁山泊(最晩年の李麗仙が登場)、人形劇、唐ゼミとそれぞれ優れた舞台化だったものの、今回こんなクライマックスあったか?と訝るやり取りに驚いた。改稿?それとも別バージョンがあったとか?等と。。
    宝塚俳優春日野(同戯曲に登場させている実在した2名の人物の一人)は、後半唐作品にしばしば登場する突然詩情に煽られ語り出す人の一人として自分語りを語るのだが、それを聞く少女役が毅然と立ち立場逆転の様相を見せる時、芝居に限らず私たちがある種の義侠心や使命感に駆られてそうするあの透明な精神が、少女の中に立ち上がり、人生の孤独を激白する春日野との絶妙な関係の糸がすうっと浮かび上がって見える。このくだりは見事な普遍性を獲得しており、渡辺えりがこの演目を上演したかった所以であるかな、、判らないが、圧倒され通しの1時間45分であった。老若男女、若干女性多めの観客層であったが、退出渋滞に並ぶ高揚した顔顔の中にとめどなく涙を流す女性の姿が一人ならず。

    代わって広報すれば...プレイガイドでは指定席完売だが、仕込み後二十席余裕が出たので今からチケットお求めの向きは劇団に連絡を、との事である。

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