リア 公演情報 リア」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-11件 / 11件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/05/31 (土) 17:00

     岸田理生作『リア』を観た。これはW.シェイクスピアの戯曲『リア王』を基にしながら女性の視点から捉え直した作品といったようなことがCoRichのあらすじに書かれており、一体どうやってW.シェイクスピアの『リア王』を題材にしながら、それを換骨奪胎してどんな劇が私の眼前に立ち現れてくるのだろうと、期待と不安が入り混じった感じで観に行った。

     実際に観てみると、岸田理生版では、劇中前提条件となる老王リアが幽玄の時間から歩み出てきて琵琶法師に、自分が何者であったかを聞くといったところ、老王リアには、3人姉妹でなく、2人の姉妹がいることになっていること、登場人物たちが明確な名前を持たず、現代演劇でありがちな具体性を持たない名前になっているところも含めて、物語の根幹にある部分が大きく改変されていて、それでいて観ている観客側に違和感を感じさせず、父であるリアと娘の長女との対立や葛藤に焦点を合わせて丁寧に描いていて、今においても色褪せない、謂わば家族の葛藤や対立と言ったテーマは時代を越えて、国や民族を越えて、永遠に考えさせられるものだと感じた。

     大抵の場合、最初父の老王リアが王位を退くに当たって、3人の娘の内で孝行な者に領地を与えるとの約束に、領地欲しさから父王に聞こえの良い、都合の良いことを言って父王に気に入られ、領地を与えられる。それに対して、素直な物言いをした三女は、父王に怒りのあまり追放されるといった展開になり、その後話が進行するに従って、上の娘たちが如何に薄情で、裏切り者で、嫉妬深く、謀略に長けてるかが分かる展開となり、上の娘たちが嫌な徹底した悪女として描かれがちだ。
     しかし今回の岸田理生版『リア』では、リアが王位を退くと、長女は今までの態度を急に手のひらを返したかのごとくに硬化させ、自分の時代が来たとばかりに、今まで父親に縛られ自由に身動き出来ず、封建的、閉鎖的社会に外においても家においてもがんじがらめになっていたところからようやく開放されたという感じから、父王が座っていた玉座に座り、若いうちにという感じで、闘剣で家来の男たちを戦わせて、勝った物には褒美として装飾がされた美しい剣や黄金を与えるのではなく、王宮に仕える高貴な女性や自分との性的な関係を結ぶことを褒美の代わりとするような放埒振り、さらにリア王を可愛そうな老人と吐き捨てるように言うようになる上、リア王の忠義者の老人を自分の家来に指示して両眼を潰させたり、リア王の象徴だった王冠を奪って長女が被り、元王の老人には木の枝で結わえた粗末な王冠被せ、王宮から追放した上、時々娘の顔見たさに帰ってくることも許さず、道化たちを伴って荒野を着の身着のままで彷徨わせる。さらにお金に困っても支援せず、親子の縁はこれで切れたとばかりに絶縁を宣言する。さらに心優しいが口数少なくほとんど喋らない次女も、時々元リア王だった身寄りのない老人を不憫に思って自分の家に招いたことを快く思ない長女は、いくら自分の妹とはいえ、このまま生かしておいたら、元父王リア、また私のことを快く思わない諸外国の王たちといつか結託して反乱を起こして、成功させるんじゃないかと言うような疑惑から妹の次女を、自分の忠実な家来に宮殿の中で首を絞めて殺させる。しかしそれでも飽き足りない長女は、自分の忠実な家来で、自分と性的な関係にある男を、実は密かに反乱を企ててるのではないかと疑い、寝室で情事に耽る最中、短刀で突いて殺すと言ったように、元になったW.シェイクスピアの『リア王』よりも一見救いがなく、W.シェイクスピアの『マクベス』よりも凶悪で冷徹で、残忍で非道、手段を選ばず、共感、同情の余地さえ見受けられないここまでのピカレスクぶりは、むしろ天晴と言っても良い。
     しかし当然のことながら、長女もやはり人間なのか。劇の終盤が近づくにつれ、今まで殺したり追放し、自分の周りにはイエスマンしかいなくなったが、元リア王の気狂いになった哀れで薄汚くてかつての威厳や栄光はどこへやらの弱々しい老人を自分の手で殺し、これで封建制や閉鎖的社会、父権的といったものに全て勝ち得て、全ての事柄から開放され、これからは父の幻影を見る必要もなく、今まで以上に自由に生きることができ、自身が完全に自立できたと確信するが、父を殺した後、寧ろ父や家来を殺した幻に悩まされ、今までよりももっと不安と恐怖に怯え、誰も信用出来なくなって塞ぎ込み、不眠に悩まされ、身体を壊し、徐々に精神も壊れて、気が狂っていき、気付くと長女自身も幽霊になって彷徨っているという、何処か因果応報的だが、この岸田理生版『リア』がせめてもの救いがあるとするなら、長女が死してようやっと自分が殺したリアに許されるといった展開が用意されてるところぐらいか。

     元々、シェイクスピア悲喜劇の中でも『リア王』は、コミカルだったり笑いやユーモアが極端に少なく、登場人物たち誰一人として幸せになれない、救いようがない作品だったが、岸田理生版『リア』はよりコミカルだったり、笑いやユーモアと言ったものが殆んど無く、独白も多くて、実験演劇的で、深刻で残虐で緊迫して、何処か生々しさが目立つ場面が多かったが、それこそが今を生きる私たちの現実でもあり、なかなか変わらない世の中、生き辛い世の中、未だに多様性とは言い切れないこの日本、ジェンダー問題一つとっても、女性の首相どころか、会社の部長かそれ以上のクラスで女性が殆どそういった責任ある役職に付いておらず、そもそも未だに男性と女性とで給料に格差が生じたりと言ったこともこの日本では全然解決されていない。そんな時代だからこそ、岸田理生版『リア』の長女のような、男社会の中で野心と野望で持って手段を選ばず成り上がり、しかし忠実な家来や実の妹を殺し、父を殺したことから、長女自身鋼のメンタルとは言えず、気が狂い亡くなって幽霊となるまでの過程が、ただの大悪人や、闇を抱えた異常な人物として描くのでは無く、傍から見たらそういうふうに見えつつも、その実どこか人間味が完全には消えない生身の等身大の人間、思い悩み、葛藤する複雑な感じに描いているところが、非現実的なまでに誇張して描き過ぎるよりも、リアル味があって共感できた。
     長女は、ついつい弱音を吐きそうになる自分を、自分自身で牽制し、父権的、封建制、閉鎖的なるものと孤軍奮闘し続ける姿勢が、今を生きる人たちにとって多少の励みとなるのかもしれないと感じた。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    琵琶の演奏が印象的でした!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    和洋ハイブリッドな濃厚な舞台ですね。かなり疲れましたが、ぐっときました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    重厚/骨太にして独特の世界観が観る者の心を打つ。
    生と死、光と闇、女と男の境界をめぐる岸田理生 作品。それを構成・演出そして出演した篠本賢一 氏の詩的というか能的探究で観(魅)せる舞台にしている。「シェイクスピアの『リア王』を女性の視点で読み直した作品」という謳い文句、確かに その視点は感じるが、やはり人間そのものの存在を問う内容に重きがある。

    漆黒の闇の中で蠢く人間、それも黒い衣裳を纏っているから五感を研ぎ澄ませて舞台を凝視することになる。そこに心地良い緊張感が生まれる。そして音響・音楽で情景を想像させ、優しい暖色照明で効果をつける。また、薩摩琵琶の岩佐鶴丈 氏が彼岸と此岸をつなぐ悠久の調べを奏でる。

    登場人物は 「老人」「長女」「次女」等、具体的な名前は付けられていない。そこに年齢や性差は認められるものの、人間本来というか、その存在の何たるかを描いているようだ。冒頭、王位を奪われた老人が「自分は確かに死んだ、しかし悪夢の中で生きている」といった台詞から始まる。そこに生と死、そして 舞台の奥深さを表しているような…。
    (上演時間1時間50分 休憩なし)

    ネタバレBOX

    ほぼ素舞台、奥に紗幕があり その内側に椅子と王冠があるだけ。冒頭、上手 客席寄りに岩佐鶴丈 氏が座り薩摩琵琶を奏でる。客席通路を使い演者が登場する。

    シェイクスピアの「リア王」と違う 主なところは、娘が2人(長女・次女)ということ、そして長女が甘言によって王位を奪い取ったこと。言葉は「力」であり「権力」、それをどのように弄して使うか と嘯く。一方、父は 王という地位がなければ、ただの老人でしかない。地位も名誉も金もなく、1人の人間としての存在/価値が試される旅路へ。旅の従者は、忠義者と2人の道化(老婆の道化と若い道化)。

    人間はそもそも愚かしい存在で、人は己の愚かさを自覚する必要がある。それゆえシェイクスピアの劇では道化(フール=愚者)が、人物たちの愚かさを指摘する。本作では、それまでの絶対的な権威を失い、哀れな一老人となって荒野を彷徨うことになる。そして己の愚かさを悟り、逆に王になった長女が孤独という病に蝕まれる という皮肉。

    言葉には、表の優しさと裏の惨さがあり、人間の本性そのもの。長女は、強い言葉を発し 自己主張をする。一方 次女は無言で言葉を発しない。その精神的な描きとは別に、肉体的な描写が生生しい。長女に従う3人の男の家来と女3人の影法師(野望・虚栄・不測を表現)との肉感的な交わり。特に、長女(友竹まりサン)と家来(徳田雄一郎サン)の交感、その艶かしい姿態と喘ぎ声に息をのむ。その姿は影としても壁に映る。その光景は、肉と肉の交わりこそ 生であり死を分つ と言う。

    孤独を癒す存在としての母、それは糸車を回す女という平凡な者。度々現れては糸車を回す仕草をする。権威はもちろん野望も虚栄も持たない、逆に持たないことが苦悩を生まない。素舞台、しかも役者は黒衣裳で特徴を出さない、その中で「言葉=台詞」によって この世界観を感じさせる。また 次女が亡くなり、その周りを老人(篠本賢一サン)が能の足運びで回る。実に感慨深い公演。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    小劇場ブームの頃にこんなテイストの劇をよく見た気がする。
    NHK教育(古いね、どうも)で日曜日に放送されていたような。

    ネタバレBOX

    タイトルは「リア」だけど、主役は長女ですね。

    舞台上にマイクが見えなかったけど、使っていなかった?
    だとしたら、大したものだなあ。

    次女役(コーデリア?)の片桐さんが可憐で可愛かった。
    たたずまい、動きや所作が綺麗。ダンスの素養があるのははっきり分かった。
    台詞を喋ったら、声がきれい。歌も上手い。
    配布資料を読んだら、元宝塚。なるほど、得心。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    圧巻でした。以前能楽堂でサド侯爵の舞台を拝見しましたが、「こんな感じの舞台もできるんだ…」と思いました。琵琶の演奏もサックスの演奏も最高でした。リアがときどき古田新太に見えました^^ 最高の舞台で充実した約2時間でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    役者さんのレベルが高かった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    履物を脱いで観る劇。おやっと思いましたが、リラックスできて良いですね。舞台の方は初見で、途中から話についていけませんでした。予習してから行った方が良さそうです。

  • 実演鑑賞

    こちら自分的には「篠本演出」舞台という括り、そのアングラ作品部門、という具合であるが、そう言えば第一回公演は知人の出演もあり、縁故観劇であった。ワークショップから立ち上がったと言い(中核メンバーは居る)さもあらんとの印象と同時に(岸田理生作品のムツカシさにも関わらず)巧く仕上げており俳優の動きがしっかりしている。見れば篠本演出、しっかり仕事をされてるな、と敬服の度を高めた次第であった。
    以来二度目の観劇。やはり岸田作品だが「リア」は未見かつ概要も知らない作品で、リア王をどう岸田理生世界に生きさせるのか純粋に興味、と共に勿論篠本氏がどう料理しているのか楽しみに劇場へ着いた。
    全体がアンサンブルでの構成で俳優の比喩的活用が顕著。形を面白く眺めながら比喩の解釈に意識が持って行かれていたが、中盤以降、徐々に突出する俳優力を注視していたら、リア役が篠本氏であった(ポマードでテカった分け髪の印象と乖離して気づかなかった)。
    岸田理生のリアは、リア王が辿る帰趨に違いは無いが娘は二人、権力を貪る性質の姉と、王に耳心地よい言葉を与えなかった科で追放される妹(原作では三女)、姉は三つの化身を持つ、としている。リアには二人の道化と一人の護身兵を伴わせて旅をさせるが、王の座についた姉(長女)による執拗な干渉に見舞われ、流浪者の最後のよすがである「自由」さえも許されず非業の死を遂げる。長女が完全な「己自身のための己」を手にするや彼女は死者たちの影に怯え始める。ラスト、冥府にて父が悠然と現れ、彼女と対峙する。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     今回の公演では受付時点で履物を脱ぐ、能楽堂での観劇を連想したがその通りであった。分かり易い。華5つ☆ 追記後送

    ネタバレBOX

     板上はセンター奥に観客席に背を正面に置かれた椅子が一脚。座面上には王冠が置かれている。つまり板上基本的にはフラットである。唯、場面によって天井から幕が下り王宮内と外を弁別する。琵琶の生演奏が入るが用いられる琵琶はかつて琵琶法師が用いていたサイズのもので通常の琵琶より小型である。音色も当然異なる。その音色を聴いていると古代ギリシャの遺物や墓に刻まれた歌譜等を基に研究者と音楽家が協力して当時の竪琴を再現し演奏迄している音に似通ったものすら感じる。琵琶奏者の演奏は上手客席側の一角。この他、役を演じながら生のジャズトランペット演奏をしたり、オカリナの甲高く美しい音色を響かせたりと生の音響でもレベルの高い演奏を聴かせてくれる演者が活躍するのは如何にも篠本氏が関わる公演である。 
     オープニング早々、複式夢幻能の多くが採用する此の世ならぬ者が旅の僧侶に対して弔いを願い往生させてくれと懇願すると全く同じ様式が用いられ単に物語自体の台詞に込められた冥界の者が発する台詞をエリザベス朝演劇や能の隆盛を見た室町時代と地続きの伝統の世界に放り込む。この辺りの演出の上手さは流石と言って良い。役者陣は場面で素足の者、履物を履いた者の二手に分かれる。観客にも履物を脱いで貰うのは、身体をより開放し、地に足を着けて単に耳目のみならず全身で観劇して貰いたいとの願いからでもあろう。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    舞台セット無し、真っ黒な中で真っ黒の衣装での演技、ライトと音楽での演出なかなかですね。
    元の王と次に王となる長女とのやりとりは見応えあり有り。
    サックスホーンと薩摩琵琶の演奏は聴き応えありますね。
    サックスホーンの使い方は、こんな使い方するのかと感心しました。

    ネタバレBOX

    目潰しになった人のメガネの色、赤色はいまいちですね。やっぱ黒のほうがいいのでは。
    初日の公演ということもあり、動きがいまいちでした。

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