リア 公演情報 劇団うつり座「リア」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    重厚/骨太にして独特の世界観が観る者の心を打つ。
    生と死、光と闇、女と男の境界をめぐる岸田理生 作品。それを構成・演出そして出演した篠本賢一 氏の詩的というか能的探究で観(魅)せる舞台にしている。「シェイクスピアの『リア王』を女性の視点で読み直した作品」という謳い文句、確かに その視点は感じるが、やはり人間そのものの存在を問う内容に重きがある。

    漆黒の闇の中で蠢く人間、それも黒い衣裳を纏っているから五感を研ぎ澄ませて舞台を凝視することになる。そこに心地良い緊張感が生まれる。そして音響・音楽で情景を想像させ、優しい暖色照明で効果をつける。また、薩摩琵琶の岩佐鶴丈 氏が彼岸と此岸をつなぐ悠久の調べを奏でる。

    登場人物は 「老人」「長女」「次女」等、具体的な名前は付けられていない。そこに年齢や性差は認められるものの、人間本来というか、その存在の何たるかを描いているようだ。冒頭、王位を奪われた老人が「自分は確かに死んだ、しかし悪夢の中で生きている」といった台詞から始まる。そこに生と死、そして 舞台の奥深さを表しているような…。
    (上演時間1時間50分 休憩なし)

    ネタバレBOX

    ほぼ素舞台、奥に紗幕があり その内側に椅子と王冠があるだけ。冒頭、上手 客席寄りに岩佐鶴丈 氏が座り薩摩琵琶を奏でる。客席通路を使い演者が登場する。

    シェイクスピアの「リア王」と違う 主なところは、娘が2人(長女・次女)ということ、そして長女が甘言によって王位を奪い取ったこと。言葉は「力」であり「権力」、それをどのように弄して使うか と嘯く。一方、父は 王という地位がなければ、ただの老人でしかない。地位も名誉も金もなく、1人の人間としての存在/価値が試される旅路へ。旅の従者は、忠義者と2人の道化(老婆の道化と若い道化)。

    人間はそもそも愚かしい存在で、人は己の愚かさを自覚する必要がある。それゆえシェイクスピアの劇では道化(フール=愚者)が、人物たちの愚かさを指摘する。本作では、それまでの絶対的な権威を失い、哀れな一老人となって荒野を彷徨うことになる。そして己の愚かさを悟り、逆に王になった長女が孤独という病に蝕まれる という皮肉。

    言葉には、表の優しさと裏の惨さがあり、人間の本性そのもの。長女は、強い言葉を発し 自己主張をする。一方 次女は無言で言葉を発しない。その精神的な描きとは別に、肉体的な描写が生生しい。長女に従う3人の男の家来と女3人の影法師(野望・虚栄・不測を表現)との肉感的な交わり。特に、長女(友竹まりサン)と家来(徳田雄一郎サン)の交感、その艶かしい姿態と喘ぎ声に息をのむ。その姿は影としても壁に映る。その光景は、肉と肉の交わりこそ 生であり死を分つ と言う。

    孤独を癒す存在としての母、それは糸車を回す女という平凡な者。度々現れては糸車を回す仕草をする。権威はもちろん野望も虚栄も持たない、逆に持たないことが苦悩を生まない。素舞台、しかも役者は黒衣裳で特徴を出さない、その中で「言葉=台詞」によって この世界観を感じさせる。また 次女が亡くなり、その周りを老人(篠本賢一サン)が能の足運びで回る。実に感慨深い公演。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2025/06/01 09:46

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