女性映画監督第一号 公演情報 女性映画監督第一号」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-16件 / 16件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    千秋楽観劇です
    基本 年を経た主人公が
    監督ではなくスクリプターとして
    映画撮影に参加を求められ
    過去を回想再現する形で
    物語は進行する
    全席指定の2時間10分超えの
    長尺作品ですわ
    熱量が良く伝わってきました

    ネタバレBOX

    普通に過去が時間系列で
    順に再現されてゆくのだが
    ミュージカル化したりと
    エンターテイメントしてました

    舞台セットは灰色の台ベースで
    ちょこっと卓袱台とか椅子とか
    まぁ監督椅子だったりはします
    が出てきたりの
    人物主体の会話劇かな
    全14場です

    今は全世界に直ぐ配信とか出来るが
    昔は不自由だったよなぁと
    つくづく感じたなー
    男社会だし

    独逸映画の制服の処女が
    キャストスタッフ全て女性とは
    知らなかった

    ラストがファンタジーに
    なったのが何となくモヤッとしたけど
    まー作品で伝えたい事は
    ちゃんと受け取れたと思うのです


  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    何役もこなす熱演に、感動しました。

    ネタバレBOX

    男社会の中で奮闘する、女性映画監督第1号 坂根田鶴子…時代背景を含め、よく描かれていました。休憩無しの2時間超でしたが、引き込まれました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    圧倒的でリアルな舞台ですね。ハラスメントの中で戦った先駆者の側面だけでなく、無自覚の加害者の側面も描いている。色々と考えさせられます。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/02/11 (火)

    面白かった。
    タイトルの「女性映画監督第一号」なるほど
    彼女をとりまくあれやこれやが、国際的にも襲ってくるって
    うなりました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    とても良い作品でした。映画が好きでたまらない女性、一途にそのことを追いかけていましたね。ただ、時代が時代だけにそして場所がとても考えなくてはならないところでした。「好き」だけでは物事が進められない時代でもう少し周りとの温度差を考えれば違ったかと思います。女性映画監督第一号少しばかり時代に対し早かったのではないでしょうか。次回作も楽しみにしております。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    出世作となったケストナー伝から、ずっと見ているが、今回はコミカルに笑えるところが多く、「蒲田行進曲」「青空」という、舞台で歌う音楽も多用して、表現の幅がまた広がった。しかも映画作りと女性の進出という柱のテーマが、ラストになって、満蒙開拓団の花嫁たちの悲劇にぐーっとシフトする。展開の意外さと複数のテーマを無理なくまとめた手腕はさすがである。

    俳優たちも主役以外は、三役をやり、さらに劇中劇の黙劇の登場人物(名前はない)をいくつもやって、着替えに次ぐ着替えの大活躍である。9人の出演だが、十数人いるような誤解をしたくらいだ。主演の万里沙が数奇な運命に翻弄される板根を熱演。溝口健二の妻を演じた佐乃美千子がかわいい女の華やかさ、強さ、弱さを好演した。

    ドイツの女学校の生徒たちを描いた「制服の処女」の内容を見せる黙劇は、白と黒の縞模様の制服で、面白い趣向だった。そのほか、人生の一場面一場面が書き割りにならずに生き生きしていて、楽しんでみられた。

    ネタバレBOX

    開拓団の女たちが映画撮影で使った「包丁」が、ソ連侵攻に立ち向かう「武器」になるところで、何の守りもなく放置されたことを象徴している。包丁を構えてずらっと並ぶ、悲壮な姿。知識としては知っている事柄を、舞台の上でスマートに見せたと思う。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    とても良い観劇体験でした。
    大正~昭和に実在した人物が逆境を乗り越えて時代の先駆者になる類の話はとても好き。
    その人について、時代背景やどんな困難、苦悩や葛藤が待ち受けているのかある程度知っていたり、比較できそうな同じ時代の別人物を扱った舞台やドラマ等を観た上で、単なる事実を並べたドキュメンタリーを観たいわけではなく、どう切り取ってどう描くのかが楽しみ。
    今回は初の女性映画監督の話とあり、男中心の業界で認められなかったり苦労する話までは予想出来る。
    でもその先がどうなるのか分かっていて、そこはどう描かれるのだろう、と思っていたら、ああそうなるんだと。
    あと一週間公演があれば、知り合いにもお勧めしてたのですが、今日終わりで残念。

    ネタバレBOX

    前半男中心の映画制作業で不利な環境をはねのけて監督になるって話でリアルに丁寧に進んでいて、でもこのあと満州に行くんだよね、そろそろ後半、残りの上演時間でどうするんだろう、と上演中に気になりました。
    満州に行ってから結構短い間に結構大切な話が急展開して終わった気がして、一旦人間関係も前半とは変わるし、欲を言えば休憩挟んで第二部としてゆっくり観てみたかった、けど、既に二時間を超える舞台でしたので無理ですね。
    例えば中国人助監督の話も飲みながらのエピソードはあれ、最後台詞で心情を訴える感じでしたが、時間があればお芝居として何があったのか書けたかもしれないなとか。
    最後埼玉村村民が訴えていたように、映画でも演劇でも朝ドラその他ドキュメンタリー映像でもいいので、その後も含めて後世に残せるようなかたちになったら是非観てみたいです。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    千秋楽を拝見。直前に椿組「キネマの大地」を観たばかり。本作も映画を題材にし、しかも時代が重なる。史実上の日本の女性映画監督第一号、坂根田鶴子も満映に渡り、現地で「偽の国家」の矛盾と直面する筋書きである。先に観た芝居でも耳にした(意味的に同じ)台詞が、全く異なる芝居ながら「同じ場所と時代」の中で聞こえてくるのは不思議な感触だった(ただの偶然だけれど)。
    吉祥寺シアターでの上演は劇団印象としては初めてだろうか、天井の高い劇場をうまく用い、視覚的効果が良かった。万里紗の胆力を以前もどの芝居かで観た記憶があるが、見上げたものであった。溝口健二役をやった内田健介を目にする機会が最近多い。俳優の力量を舞台を観ながら認識する事はあまりないが(大体芝居に集中するので)、その力は大きいと感じた所である。

    史実や歴史上の人物を描く場合に課題となる「史実と虚構」のバランスが本作でも課題であったと思う。豊富にある訳でない素材を使って舞台を立ち上げる作業という点では、攻めた仕事をしていたが「何故今これか」のエクスキューズが十分表わされていない感触も残った。
    結局は好みの話になりそうではあるが、私としては満州の場面ではその問題の性質上、可能な限りリアルな描写に挑んで良かったのではないか。テンポよく軽快に、身も蓋もない会話もさらりとやらせて先へと進む、歌踊りも織り込んだタッチが満州に来て写実主義の絵画のようなリアリズムの演技が展開する、そういうバランスが正解でなかったかな、と。
    中国人女性役の「中国訛りの日本語」をもっと追求するのも一つかも知れぬし、脚本上で言えばその中国女性が坂根に反問する言葉(私はここにいるのですか?)が、彼女自身から出た言葉ではなく半分は坂根の脳内の(記憶から作り上げられた)彼女が想念の中で言った台詞にも聞こえた。だがここはリアルに「彼女が言っている」言葉=全くの他者からの言葉として聞こえたかった。それは「彼女自身の想念から出て来た」という事実によって免罪を生じさせるからであり、リアルな時間の中で坂根に突き付けられた満洲国の真実はそう簡単に打ちのめされ、改心されるには行かない難物なのであり、「人の住まない荒野に入植しただけ」との認識が「人を追い出して国を作った」認識に変わるプロセスの中に問題の困難さがあるような問題だからである。
    「私はそこにいない」という詩的表現は今の日本社会の女性の地位を言い当てる場合にも使用可能だろう。現在の問題が相対的に軽いと言いたいわけではないが、人権蹂躙の規模が桁違いであるのは事実だ。そして坂根が「そこに彼女がいる」ような映画を撮ろうとはしなかったのなら、それは何故か、という具体的プロセスにも多くが籠められ得るだろう(それは端折られている。だから中国女性の場面は記憶を再構成したものに違いない、となる。挽回できない時点で振り返っているから)。
    中国女性が体現できたかも知れない「リアル」感は、作品のテーマとして流れる(説明し得る)メッセージを超える濃密な何かを語り出すのではないか・・そういう場面を夢想するのである。

    ネタバレBOX

    先に観た芝居と共通の「満映」情報は、、
    実に広大な土地に建設された撮影所であった事、様々な映画に対応できる六棟もの屋舎があり、本土の映画業界は戦況の悪化で逼迫しているのにこっちは規制も少なく資金も潤沢である事、満人(中国人)の社員が多数(4割方)おり、撮影スタッフにも起用して五族共和を映画製作の中で体現する社風がどことなく流れている事、そして特徴的エピソードとして、満州人の観客が初めて映画を見る時、最初はスクリーンではなく映写機から出る光の方を見ていた事。
    満映に関する資料を両作家とも読み込んだのだろうと興味が湧く。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    女性の芸術家を主人公にし、彼女たちの視点から社会や世界を見ていく「天井を打ち破ろうとする女シリーズ」の第一作。今作は日本初の女性映画監督 坂根田鶴子を取り上げている。観る前は彼女の評伝劇、それも生涯を描くものと思っていたが、1959(昭和34)年12月(55歳)までの半生で幕が下りる。そこまでに描きたいテーマが鮮明になり、それ以上描くとかえって暈けるといった際どいところまで攻めている。

    どんな社会や業界でも 男女の別に関わらず先駆者は苦悩・苦労そして柵(シガラミ)や軋轢等と闘わなければならないだろう。本作では、その人間的な側面と時代という側面ー戦時という背景を巧みに繋ぎ 重層的に描き、同時に一筋縄ではいかない問題提起をしている。単に女性映画監督第一号の坂根田鶴子という一人の女性の生き様以上の問題を投げかける。

    本作は 映画的にいえば、彼女の人生を投影することによって、その映像の奥には多くの女性の姿が映っているのではなかろうか。例えば 劇中における映画撮影所、そこでは日本社会で固定化された根深いジェンダー役割が次々に表れる。演劇における個人史と虚構をどう調整するか難しいところ、それを半生に止め 本来のテーマで纏めた手腕は見事。そして、満映時代を映画で言う<光>と<影>にして鮮やかに描き出した。

    少しネタバレするが、物語は1959年12月に始まり同年へ回帰する、全14場で紡がれる。勿論、映画監督になりたい確固たる意志、同時に満州映画協会(満映)では、後進の育成等 映画界の環境整備に尽くすという観点も描く。そこに現代にも通じるジェンダー平等といった広がりを感じた。少し気になるのは、満映で撮影していたのは文化映画。単に映画が撮りたいという職業映画人ではなく、溝口健二監督の下でキャリアを積んだのは芸術家としての映画監督、それゆえ文化映画に劇映画の要素を加えるという発想へ。あたり前の意識・行動であるが、何となく「女性のパイオニアが男社会の壁をどう打ち破ろうとしたのか」から離れ、あくまで自分が こう撮りたいという欲望が前面に出過ぎたような印象が…。そのリアルの誇張が、後々 彼女を苦しめることになる。
    (上演時間2時間15分 休憩なし) 

    ネタバレBOX

    舞台美術は、天井にフィルムか階段状もしくは脚立のようなイメージのもの。それも所々朽ちて欠損している。板上は中央に大きな菱型の台、それを支えるように左右に変形した長方体の台。後景は黒紗幕。全体的にはシンメトリーで、場面に応じて丸卓袱台やディレクターズチェアを搬入する。簡素な造作であるが、その作り込まない大きな空間が逆に場所・時間そして状況を巧く表す。

    物語は、1959(昭和34)年12月、京都の坂根田鶴子の部屋へ 2人の女性が訪ねて来るところから始まる。そして彼女たちと話しているうちに、自分の身の上を回想するように語り出す。そして 1929(昭和4)年秋、京都・日活太秦撮影所へ場面は転換し、彼女の映画人生と当時の映画界の事情が描かれる。生涯、大きな影響を受けたのが溝口健二監督、そして交友のあった監督夫人 千枝子。それは映画(撮影現場)のみならず、私生活に関わる深いところまで踏み込んでいく。

    当時の映画界で女性が監督をしてスタッフや俳優に指示や演出をすることは考えられないこと。長いこと溝口監督の下で助監督に甘んじなければならない、という閉塞感に苛まれていた。そしてやっと「初姿」が監督第1作に、それによって日本映画界に女性監督が誕生したのである。それも溝口監督が監督補導。それが地続きとして 多くの女性監督、最近でいえば 山中瑶子監督などが活躍する場を築くことになる。

    いくつもの出来事、転機を通して映画への思いを強くする。それがドイツ映画「制服の処女」から受けた強い衝撃であり、千枝子夫人の錯乱と溝口監督の焦燥、活躍の場のない日本映画界への訣別、そして満州(満映)へ渡航。その時々の状況を分かり易い演出で観せる。突然、歌い踊るといったミュージカル風になったり、映画のワンシーンのように紗幕へ映し出すといった面白さ。本公演を使って現代の映画手法のいくつかを披露したかのようだ。

    満映時代の活躍と周落、それを映画に準えれば<光>と<影>になろう。文化映画…何もない荒野を耕すことによって暮らしに潤いを、一方 その開拓は他国を侵略していくという矛盾を孕んでいる。いくら美辞麗句を並べても、相手から見れば違う光景が映る。撮(録)る側と撮られる側、それはまさに盗(獲)る側と盗られる側に他ならない。それを助監督として登用した中国人女性 包琳琳によって知らされる。自分の思い描いた映画とは…満州というユートピアを撮ったつもりが、相手からしたらディストピアに映る。状況閉塞という日本映画界から新天地を求めたが、それが時代に翻弄され といった個人と状況・時代を巧みに描き出した秀作。

    演出は、紗幕を利用して 映画シーン(制服の処女)や脚立に乗っての撮影など、奥行きと俯瞰を表す。また戦火は天井のオブジェを赤く染め、業火に見舞われた地獄のよう。下から見上げれば赤い針の山である。物語(テーマ性)を強調するかのような演出、舞台技術は効果的で印象に残る。俳優陣は坂根田鶴子(万里紗サン)以外は、複数の役を担っているが、違和感なく演じている。そのバランスの良さも見事。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    最高でした。ほんとすばらしかったです。鈴木アツトさんのnoteの記事を読んでいたこともあり感動が半端なかったです。最後、主人公の方が片手を上げたところで号泣です。今回の舞台、坂根さんの半生をベースに女性の権利や満州事変の功罪と戦後のロシアの蛮行をかなりフィーチャーしていますがすごくよくつくられていると思います。しかも驚きなのが、脚本を男性である鈴木アツトさんが書いているということです。女性の気持ちがよくここまでわかるな…と。ほんとうに心に残る舞台でした。演者の方々も最高のパフォーマンスでした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     ベシミル! 華5つ☆

    ネタバレBOX

     満州から引き揚げてきた親戚の家に良く行っていたが、引き上げ時の苦労は、誰も一度も話してくれたことがない。冬のとんでもない寒さや現地の中国人との関係についての話はそれなりに聴いたことがあるが。
     今作の舞台美術で異様だったのは天井から下がっている十くらいはあっただろうか。梯子形のオブジェで何れも横木の部分が何か所も欠損し不完全で不安定な趣を醸し出していたことである。今作の内容からそれは丁度、芥川 龍之介の「蜘蛛の糸」に描かれた状況の象徴のように思えた。関東軍は真っ先に逃げ護衛を失った開拓村に残ったのは女性、子供、老人だけであった。その村を襲ったソ連兵たちは有無を言わさぬ機銃掃射で死体の山を築いた後生き残った女性達を集団レイプした。その直前ソ連が参戦し攻め入ってくるという情報を得た村の女性たちは自死か一緒に逃げることの出来ない総ての者を置き去りにして逃げるか、齢のいかない子供たちは母が自身で子を殺して生き延びるかの選択を迫られ機銃掃射の前で武器にもならぬ包丁を構えて突進していった、満州開拓団崩壊の凄まじい地獄に垂らされた不完全で不安定な梯子である。この天から下がる梯子の下にはタッパ高60㎝程の真四角の平台を頂角を起点に据えその奥には突堤のような形でハの字型の真四角より更にタッパ高の高いオブジェが据えられており、これが人々の暮らす地上である。1年前には夢にも思わなかった有様であった。
     この惨劇の起こる前には主人公・坂根 田鶴子の文化映画が完成しており、村の男達には召集令状が届いて居て既に出征していたこと、田鶴子が助監督に抜擢した優秀な中国人・包の失踪とその原因(彼女は映画製作の取材中、開拓村が無人の荒れ地で日本からの開拓民が五族協和の為にこの地を開墾したという噓を証立てる、この地で農業を営んでいて追放された中国農民に会っており、撮る・見る側と撮られる・見られる側の非対称性即ち権力構造の差を指摘していた)ことなどが描かれていて作劇の構成の上手さも際立つ。
    最終部分では、単に満映のプロパガンダのみならず五族協和の茶番とその結果を坂根を通して我々観客にも突きつけている点が素晴らしい。また坂根を演じた万里沙さんの力演、包を演じた内田 靖子さんの演技も気に入った。
     ところで、現在でも戦争状態や植民地支配の構造は本質的に全く変わっていないことがパレスチナに対するイスラエルの行いによく表れており、土地を奪われた・奪われ続けているパレスチナ人の状況は単に爆撃などによるジェノサイドのみならず、イスラエルの意図的パレスチナ人住居の破壊、水の供給停止・制限、食糧の搬入禁止・制限、弱った人々への空爆、病院破壊・医療関係者殺害、アラブ系報道陣殺害、歴史的建造物破壊、大学破壊、知識人を家族ごと殺害等々単に婦女子、老人、子供殺害以外にパレスチナの生活、歴史、文化、知的環境等総てを破壊し尽くし無かったことにすることが目的だと考えさせる事例は枚挙に暇がない。またハーレツでも報じられた通り10月7日に殺されたイスラエル人のうち、可成りの数の人々はIDFの攻撃で亡くなっている。然しイスラエルは10月7日、実際に何が起こったのかの検証を敢えてしていないと考えられる等々。無論ハーレツの報道通りならイスラエル軍が自らの手でイスラエル国民を殺したということだ。事態は変わらないどころかアメリカの莫大な軍事援助と拒否権によって守られたイスラエルの横暴は前代未聞の悪辣と言えるし、世界の政治倫理は第2次大戦時より腐っていると言えよう。この状況をウクライナと比較することは現在この日本でその気になれば誰にも未だ可能だ。観客の1人としてそう思う。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    一人の女性を軸として映画への思い、時代や社会の闇がこれでもかというほど繰り広げられて、とても見応えがありました。知らないエピソードばかりだったのもあり、朝ドラを半年見終わったみたいです。歌の使い方も良い。万里紗さん、本当に魅力的。内田さんの監督とさいたま村の男、うまいなあ。皆さん、二役以上やられてとてもお上手。

    ネタバレBOX

    冒頭の会話がもたついて聞こえて、こんな感じかと思っていたが、回想になって急に引き込まれていきました。
    最終場に込められたメッセージ、過去はどうしようもないけれど、人は過ちを繰り返してはならないと強く思います。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/02/10 (月) 14:00

    凄く良かった。そして今ザラザラとした思いが心に澱の様に残っている。題名から想像していた伝記的なことだけでは無く、他の要素も重ねて問かけて来る!出演された皆さんが素晴らしい。そうキャスティングがはまっているのだ!続きはネタバレbox にて

    ネタバレBOX

    劇場に入ると、舞台の上部に梯子状の物が連なって吊るされている。ところどころ切れていて不完全。フィルムなのかとも思うが、この舞台美術が最後のシーンに関わって来るのだ (終演後、鈴木アツトさんに伺ってそうか!と判った訳ですが)
    そしてブロックで構成された舞台でこれまでの拝見した作品と違って素舞台に近い。
    最初の10分から20分ぐらいでぐいっと舞台に引き込む導入部。これも最後にそう繋がるのかと言うことになるのだけど。
    細かく場面の時代が進み、行き来する。大道具、小道具も、出捌けも見せて、その姿も場面転換を認識させて良い具合だ。
    物語は、アフタートークに登場された池川玲子さんが述べておられた様に、板根 田鶴子が持つことになる 2面性、題名から評伝劇で、日本で最初の女性の映画監督を描くのだと思っていたのだけど、満州で映画監督として居たことも過酷な要素として、時代に巻き込まれてしまうのは避けられないのだけど、それが最後に描かれる。彼女にその事実が残酷に付きつけられる。
    でも最後のシーンは、後で教えてもらったのだけど、板根 田鶴子が虚空に手を伸ばすシーン、あれはあの舞台美術に手を伸ばしていたのだ。このシーンが、最後の展開でザラザラとした思いが心に澱の様に残らせる作品に終わらせず、未来へと繋ぐのだと言うことを思わせてくれたと思う。
    9人の俳優達が素晴らしかった。細かい場面転換に合わせ、何役も演じられて、それぞれが良い。主役の万里紗さんが良い、その相手役の内田健介さんが素晴らしい、その妻役の佐乃美千子さんが、と書き始めると全員を挙げることになってしまう。皆さんが素晴らしかった。
    吉祥寺シアターの舞台の奥行を使った演出も良かった。
    そしてアフタートークの「『帝国』の映画監督坂根田鶴子」の著者、池川玲子さんの話から、板根 田鶴子の説明を聞く機会を戴けたことも良かった。終演後ロビーで満州のことを研究された方とお二人で話込んでおられたのを横で立ち聞きさせて貰って、そこからもそうなのだと言うことを伺えた (立ち聞きしてしまいましたと後に話に加えてもらいました)
    個人的には劇団印象の作品は 5作目だけど、鈴木アツトさんのベスト。ブラボー!
  • 実演鑑賞

    満足度★★

    二年前に「犬と独裁者」と言うスターリンの若き日をネタにした本が面白かったので楽しみに出かけた。しかし、これはいけなかった。スターリンは謎の多い外国の暴君だからフィクションになるが、こちらは主人公の女性監督も、その合わせ鏡で登場する溝口健二も私ですらかなり知っている。満映がこんな楽園風ではなかったのは史実として材料もでている。(史実をこのようにいいとこ取りするのはタブーである)タイトルを始め実録であることを強調しているのがまずいと思う。フィクションだからどう作っても良い(良いというものでもないが)となるのはやはり関係者全員があの世に行ってから、あと十五年といった時間は必要だ。戦前の映画会社の女性労働者の群像も、国際劇場のダンサー風でこれもどうかとおもう。当時を知る老年者の一人としてかなりしらけた。前作でも感じたが、この作者、作と演出のバランスにかなり研究の要アリで、振付など同じ繰り返しがかなりあるのも気になる。下手なミュージカル風にする必然性など何もない。
    俳優は万里紗、佐野美智子が演出の線で健闘しているが、元気の良いところが単調であまりにも今風。見ていてかえってはぐらかされてしまう。脇だが全作でも良かった武田知久、この人は細かく柔軟でいつ見ても成長している。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    所々欠けた木製の梯子が十余り舞台上部に吊るされている。映画のフィルムをイメージしているのだろう。欠けたフィルム、一体何が欠けたのか?

    1959年(昭和34年)、京都の坂根田鶴子(たづこ)55歳の家を訪ねて来た映画プロデューサー(藤井咲有里さん)と助監督(岡崎さつきさん)。岡崎さつきさんは浜野佐知(300本以上ピンク映画を撮っている女性監督)をイメージした鋲の付いたPUNKな革ジャン姿。
    坂根田鶴子(万里紗さん)が1934年に書いた手書きの準備稿を押入れの奥から探して持って来る。『Daddy-Long-Legs』。
    結局その企画は実らず、1936年『初姿』を日本の“女性映画監督第一号”として撮ることとなる。当時32歳。

    訪ねて来た二人に本当に撮りたかった映画について語るうちに坂根田鶴子は若返り、いつしか1929年(昭和4年)の京都・日活太秦撮影所前に立つ。24歳。
    運命的な天才映画監督溝口健二(内田健介氏)との出逢い。夫の女癖の悪さに神経をすり減らす溝口千枝子夫人(佐乃美千子さん)との交友。

    1933年(昭和8年)、大ヒットし、溝口無声映画時代の代表作となった『瀧の白糸』の撮影風景。浦辺粂子(岡崎さつきさん)と岡田時彦(峰一作氏)。

    女性であることを全て捨てて男社会に飛び込んだ坂根田鶴子。一本のドイツ映画『制服の処女』に衝撃を受ける。レオンティーネ・ザーガン監督からスタッフ、キャスト、ほぼ全て女性。こんな映画を私も作りたい!

    主演の万里紗さんが抜群に美しい。手塚治虫の漫画キャラのような表情。輝いている。
    内田健介氏は今回も最高。溝口健二の天才と駄目人間の振れ幅を人間臭く形取る。
    佐乃美千子さんも魅力的。ハイヒールのまま後方に飛び降りるシーンには驚いた。かなり段差のあるセット、振り向かずにポンっと。相当日々身体を動かしているのだろう。キレキレのダンス。
    何役も兼ねる役者陣の着替えとキャラ変にも感心。
    岡崎さつきさんは強烈な印象を。
    内田靖子さんは癒えることのない心の痛みを。

    ウォルター・ドナルドソン作曲の『私の青空』の替え歌が今作を一本貫く串となる。
    戦前の映画黎明時代、魅入られた者達の狂騒。どうしようもなく映画が好きだった。この世よりも、銀幕に映し出された虚構の世界こそが真実だと思った。
    かなり演出に力を入れ工夫を凝らしている。
    見事な作品、130分、面白かった!

    ネタバレBOX

    溝口健二の物語が面白すぎるので、後半満州篇から戦争責任の話になる流れにちょっと無理矢理感。やはり敗戦の混乱の中、満州から何とか引き揚げ、溝口を訪ねて松竹でスクリプターの仕事を貰う描写。世界的名声を得ていく溝口、対照的に編集の記録係しかやらせてもらえない坂根の後半生。国策映画、啓民映画を撮ってきたことへの無意識に潜む罪悪感。それを溝口との関係性から描いて欲しかった。
    井上ひさし節のように西瓜をガジェットとして巧く使っている。ラストの流れはこまつ座っぽい。

    坂根田鶴子は後年女性と暮らしていたので同性愛者と思う人も多いらしい。

    全く関係ないがアントニオ猪木は4回結婚していて最後の女房がカメラマンだった橋本田鶴子さん。猪木は「ズッコ」と呼んでいた。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ストーリーと舞台の使い方がすばらしく感じます。

    ネタバレBOX

    映画監督第1号として生きることが険しい道のりであったことが、緊迫感と相まって、ずっしりと伝わってくるのです。坂根田鶴子の生きざまはまぶしく思えました。男社会の理不尽さなど、女性にとって、当時の生活することの難しさが痛切に感じました。

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