実演鑑賞
満足度★★★★
千秋楽観劇です
基本 年を経た主人公が
監督ではなくスクリプターとして
映画撮影に参加を求められ
過去を回想再現する形で
物語は進行する
全席指定の2時間10分超えの
長尺作品ですわ
熱量が良く伝わってきました
実演鑑賞
満足度★★★★
圧倒的でリアルな舞台ですね。ハラスメントの中で戦った先駆者の側面だけでなく、無自覚の加害者の側面も描いている。色々と考えさせられます。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/02/11 (火)
面白かった。
タイトルの「女性映画監督第一号」なるほど
彼女をとりまくあれやこれやが、国際的にも襲ってくるって
うなりました。
実演鑑賞
満足度★★★★★
とても良い作品でした。映画が好きでたまらない女性、一途にそのことを追いかけていましたね。ただ、時代が時代だけにそして場所がとても考えなくてはならないところでした。「好き」だけでは物事が進められない時代でもう少し周りとの温度差を考えれば違ったかと思います。女性映画監督第一号少しばかり時代に対し早かったのではないでしょうか。次回作も楽しみにしております。
実演鑑賞
満足度★★★★★
出世作となったケストナー伝から、ずっと見ているが、今回はコミカルに笑えるところが多く、「蒲田行進曲」「青空」という、舞台で歌う音楽も多用して、表現の幅がまた広がった。しかも映画作りと女性の進出という柱のテーマが、ラストになって、満蒙開拓団の花嫁たちの悲劇にぐーっとシフトする。展開の意外さと複数のテーマを無理なくまとめた手腕はさすがである。
俳優たちも主役以外は、三役をやり、さらに劇中劇の黙劇の登場人物(名前はない)をいくつもやって、着替えに次ぐ着替えの大活躍である。9人の出演だが、十数人いるような誤解をしたくらいだ。主演の万里沙が数奇な運命に翻弄される板根を熱演。溝口健二の妻を演じた佐乃美千子がかわいい女の華やかさ、強さ、弱さを好演した。
ドイツの女学校の生徒たちを描いた「制服の処女」の内容を見せる黙劇は、白と黒の縞模様の制服で、面白い趣向だった。そのほか、人生の一場面一場面が書き割りにならずに生き生きしていて、楽しんでみられた。
実演鑑賞
満足度★★★★★
とても良い観劇体験でした。
大正~昭和に実在した人物が逆境を乗り越えて時代の先駆者になる類の話はとても好き。
その人について、時代背景やどんな困難、苦悩や葛藤が待ち受けているのかある程度知っていたり、比較できそうな同じ時代の別人物を扱った舞台やドラマ等を観た上で、単なる事実を並べたドキュメンタリーを観たいわけではなく、どう切り取ってどう描くのかが楽しみ。
今回は初の女性映画監督の話とあり、男中心の業界で認められなかったり苦労する話までは予想出来る。
でもその先がどうなるのか分かっていて、そこはどう描かれるのだろう、と思っていたら、ああそうなるんだと。
あと一週間公演があれば、知り合いにもお勧めしてたのですが、今日終わりで残念。
実演鑑賞
満足度★★★★
千秋楽を拝見。直前に椿組「キネマの大地」を観たばかり。本作も映画を題材にし、しかも時代が重なる。史実上の日本の女性映画監督第一号、坂根田鶴子も満映に渡り、現地で「偽の国家」の矛盾と直面する筋書きである。先に観た芝居でも耳にした(意味的に同じ)台詞が、全く異なる芝居ながら「同じ場所と時代」の中で聞こえてくるのは不思議な感触だった(ただの偶然だけれど)。
吉祥寺シアターでの上演は劇団印象としては初めてだろうか、天井の高い劇場をうまく用い、視覚的効果が良かった。万里紗の胆力を以前もどの芝居かで観た記憶があるが、見上げたものであった。溝口健二役をやった内田健介を目にする機会が最近多い。俳優の力量を舞台を観ながら認識する事はあまりないが(大体芝居に集中するので)、その力は大きいと感じた所である。
史実や歴史上の人物を描く場合に課題となる「史実と虚構」のバランスが本作でも課題であったと思う。豊富にある訳でない素材を使って舞台を立ち上げる作業という点では、攻めた仕事をしていたが「何故今これか」のエクスキューズが十分表わされていない感触も残った。
結局は好みの話になりそうではあるが、私としては満州の場面ではその問題の性質上、可能な限りリアルな描写に挑んで良かったのではないか。テンポよく軽快に、身も蓋もない会話もさらりとやらせて先へと進む、歌踊りも織り込んだタッチが満州に来て写実主義の絵画のようなリアリズムの演技が展開する、そういうバランスが正解でなかったかな、と。
中国人女性役の「中国訛りの日本語」をもっと追求するのも一つかも知れぬし、脚本上で言えばその中国女性が坂根に反問する言葉(私はここにいるのですか?)が、彼女自身から出た言葉ではなく半分は坂根の脳内の(記憶から作り上げられた)彼女が想念の中で言った台詞にも聞こえた。だがここはリアルに「彼女が言っている」言葉=全くの他者からの言葉として聞こえたかった。それは「彼女自身の想念から出て来た」という事実によって免罪を生じさせるからであり、リアルな時間の中で坂根に突き付けられた満洲国の真実はそう簡単に打ちのめされ、改心されるには行かない難物なのであり、「人の住まない荒野に入植しただけ」との認識が「人を追い出して国を作った」認識に変わるプロセスの中に問題の困難さがあるような問題だからである。
「私はそこにいない」という詩的表現は今の日本社会の女性の地位を言い当てる場合にも使用可能だろう。現在の問題が相対的に軽いと言いたいわけではないが、人権蹂躙の規模が桁違いであるのは事実だ。そして坂根が「そこに彼女がいる」ような映画を撮ろうとはしなかったのなら、それは何故か、という具体的プロセスにも多くが籠められ得るだろう(それは端折られている。だから中国女性の場面は記憶を再構成したものに違いない、となる。挽回できない時点で振り返っているから)。
中国女性が体現できたかも知れない「リアル」感は、作品のテーマとして流れる(説明し得る)メッセージを超える濃密な何かを語り出すのではないか・・そういう場面を夢想するのである。
実演鑑賞
満足度★★★★
女性の芸術家を主人公にし、彼女たちの視点から社会や世界を見ていく「天井を打ち破ろうとする女シリーズ」の第一作。今作は日本初の女性映画監督 坂根田鶴子を取り上げている。観る前は彼女の評伝劇、それも生涯を描くものと思っていたが、1959(昭和34)年12月(55歳)までの半生で幕が下りる。そこまでに描きたいテーマが鮮明になり、それ以上描くとかえって暈けるといった際どいところまで攻めている。
どんな社会や業界でも 男女の別に関わらず先駆者は苦悩・苦労そして柵(シガラミ)や軋轢等と闘わなければならないだろう。本作では、その人間的な側面と時代という側面ー戦時という背景を巧みに繋ぎ 重層的に描き、同時に一筋縄ではいかない問題提起をしている。単に女性映画監督第一号の坂根田鶴子という一人の女性の生き様以上の問題を投げかける。
本作は 映画的にいえば、彼女の人生を投影することによって、その映像の奥には多くの女性の姿が映っているのではなかろうか。例えば 劇中における映画撮影所、そこでは日本社会で固定化された根深いジェンダー役割が次々に表れる。演劇における個人史と虚構をどう調整するか難しいところ、それを半生に止め 本来のテーマで纏めた手腕は見事。そして、満映時代を映画で言う<光>と<影>にして鮮やかに描き出した。
少しネタバレするが、物語は1959年12月に始まり同年へ回帰する、全14場で紡がれる。勿論、映画監督になりたい確固たる意志、同時に満州映画協会(満映)では、後進の育成等 映画界の環境整備に尽くすという観点も描く。そこに現代にも通じるジェンダー平等といった広がりを感じた。少し気になるのは、満映で撮影していたのは文化映画。単に映画が撮りたいという職業映画人ではなく、溝口健二監督の下でキャリアを積んだのは芸術家としての映画監督、それゆえ文化映画に劇映画の要素を加えるという発想へ。あたり前の意識・行動であるが、何となく「女性のパイオニアが男社会の壁をどう打ち破ろうとしたのか」から離れ、あくまで自分が こう撮りたいという欲望が前面に出過ぎたような印象が…。そのリアルの誇張が、後々 彼女を苦しめることになる。
(上演時間2時間15分 休憩なし)
実演鑑賞
満足度★★★★★
最高でした。ほんとすばらしかったです。鈴木アツトさんのnoteの記事を読んでいたこともあり感動が半端なかったです。最後、主人公の方が片手を上げたところで号泣です。今回の舞台、坂根さんの半生をベースに女性の権利や満州事変の功罪と戦後のロシアの蛮行をかなりフィーチャーしていますがすごくよくつくられていると思います。しかも驚きなのが、脚本を男性である鈴木アツトさんが書いているということです。女性の気持ちがよくここまでわかるな…と。ほんとうに心に残る舞台でした。演者の方々も最高のパフォーマンスでした。
実演鑑賞
満足度★★★★
一人の女性を軸として映画への思い、時代や社会の闇がこれでもかというほど繰り広げられて、とても見応えがありました。知らないエピソードばかりだったのもあり、朝ドラを半年見終わったみたいです。歌の使い方も良い。万里紗さん、本当に魅力的。内田さんの監督とさいたま村の男、うまいなあ。皆さん、二役以上やられてとてもお上手。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/02/10 (月) 14:00
凄く良かった。そして今ザラザラとした思いが心に澱の様に残っている。題名から想像していた伝記的なことだけでは無く、他の要素も重ねて問かけて来る!出演された皆さんが素晴らしい。そうキャスティングがはまっているのだ!続きはネタバレbox にて
実演鑑賞
満足度★★
二年前に「犬と独裁者」と言うスターリンの若き日をネタにした本が面白かったので楽しみに出かけた。しかし、これはいけなかった。スターリンは謎の多い外国の暴君だからフィクションになるが、こちらは主人公の女性監督も、その合わせ鏡で登場する溝口健二も私ですらかなり知っている。満映がこんな楽園風ではなかったのは史実として材料もでている。(史実をこのようにいいとこ取りするのはタブーである)タイトルを始め実録であることを強調しているのがまずいと思う。フィクションだからどう作っても良い(良いというものでもないが)となるのはやはり関係者全員があの世に行ってから、あと十五年といった時間は必要だ。戦前の映画会社の女性労働者の群像も、国際劇場のダンサー風でこれもどうかとおもう。当時を知る老年者の一人としてかなりしらけた。前作でも感じたが、この作者、作と演出のバランスにかなり研究の要アリで、振付など同じ繰り返しがかなりあるのも気になる。下手なミュージカル風にする必然性など何もない。
俳優は万里紗、佐野美智子が演出の線で健闘しているが、元気の良いところが単調であまりにも今風。見ていてかえってはぐらかされてしまう。脇だが全作でも良かった武田知久、この人は細かく柔軟でいつ見ても成長している。
実演鑑賞
満足度★★★
所々欠けた木製の梯子が十余り舞台上部に吊るされている。映画のフィルムをイメージしているのだろう。欠けたフィルム、一体何が欠けたのか?
1959年(昭和34年)、京都の坂根田鶴子(たづこ)55歳の家を訪ねて来た映画プロデューサー(藤井咲有里さん)と助監督(岡崎さつきさん)。岡崎さつきさんは浜野佐知(300本以上ピンク映画を撮っている女性監督)をイメージした鋲の付いたPUNKな革ジャン姿。
坂根田鶴子(万里紗さん)が1934年に書いた手書きの準備稿を押入れの奥から探して持って来る。『Daddy-Long-Legs』。
結局その企画は実らず、1936年『初姿』を日本の“女性映画監督第一号”として撮ることとなる。当時32歳。
訪ねて来た二人に本当に撮りたかった映画について語るうちに坂根田鶴子は若返り、いつしか1929年(昭和4年)の京都・日活太秦撮影所前に立つ。24歳。
運命的な天才映画監督溝口健二(内田健介氏)との出逢い。夫の女癖の悪さに神経をすり減らす溝口千枝子夫人(佐乃美千子さん)との交友。
1933年(昭和8年)、大ヒットし、溝口無声映画時代の代表作となった『瀧の白糸』の撮影風景。浦辺粂子(岡崎さつきさん)と岡田時彦(峰一作氏)。
女性であることを全て捨てて男社会に飛び込んだ坂根田鶴子。一本のドイツ映画『制服の処女』に衝撃を受ける。レオンティーネ・ザーガン監督からスタッフ、キャスト、ほぼ全て女性。こんな映画を私も作りたい!
主演の万里紗さんが抜群に美しい。手塚治虫の漫画キャラのような表情。輝いている。
内田健介氏は今回も最高。溝口健二の天才と駄目人間の振れ幅を人間臭く形取る。
佐乃美千子さんも魅力的。ハイヒールのまま後方に飛び降りるシーンには驚いた。かなり段差のあるセット、振り向かずにポンっと。相当日々身体を動かしているのだろう。キレキレのダンス。
何役も兼ねる役者陣の着替えとキャラ変にも感心。
岡崎さつきさんは強烈な印象を。
内田靖子さんは癒えることのない心の痛みを。
ウォルター・ドナルドソン作曲の『私の青空』の替え歌が今作を一本貫く串となる。
戦前の映画黎明時代、魅入られた者達の狂騒。どうしようもなく映画が好きだった。この世よりも、銀幕に映し出された虚構の世界こそが真実だと思った。
かなり演出に力を入れ工夫を凝らしている。
見事な作品、130分、面白かった!