実演鑑賞
満足度★★★★
劇作家協会新人戯曲賞受賞からリアルタイムでシェアしているから親近感も違う作品であり作家。(公開審査が無くなって淋しい..何度も書いてるが。)アゴラでの初演、続いて同作家の作品を二作観て(もう一作は見のがした)、再び代表作(今の所の)がala collectionでのお目見えである。
一回り大きな劇場をゆったり使い、工場の一角らしい空間は悪くないが、この作家の特色である幡多弁の出方はもう一つだった。その事によるのか、キャスティングの問題か、劇の世界観を作る俳優たちの全体としてのまとまりと言うか統一感?バランス?はもう一歩と感じた。南沢奈央とか出てたんだ。。(と後でパンフを見て。)もう一つ、古い従業員役として振られていたのが神戸浩だったとか。軽い知的障害があり、ドラマの進行に関わり、かつ芝居に色調を与える部分で、体調不良で降板して代役として入ったのは大柄ないかつい体のこれも特徴的な役者で、芝居にハマる役作りが見えたが、イメージは違う。当初のキャスティングありきで配された俳優陣と見えなくない。そこから逆算してあれこれ思い描くと、確かに・・。この役の存在は、障害ゆえの「不安定さ」ではなく真逆の「安定」を担うのだ。絶対に流儀を変える事がなく、それゆえの(扱いにくさ以上の)信頼があり、変わらなさの救いがある。
揺らぐ主人公の対極。「無能の人」等で見せた神戸浩の(どこから来るのか知らない)動きの確かさを思ったりした。
最初に不法侵入する男も、影響を受けながら変わる人物の一人(と言っても変われる人物像として主人公に影響を与える、という事でもあるが)。
主人公(工場を苦手ながらに切り盛りしていたがコロナによる停滞に逆にホッとしている)の出戻り姉が、「やり手」である事からかき乱され、確執があからさまになる、その姉も主人公に影響を与えつつも少し変わる。
残るは自分を「働く者」として律するためにローンを組み、その確固たる人生哲学を人に勧めるという役所だが、これも「変わらない」役。のはずなのだが、登場時から特徴的なしぐさや喋りに表れていた初演の記憶に対し、今回はその揺るぎない像を押し出せてなく、割と普通に変わり得る人物として存在させてしまっていた感じがある(演技的にはそれを目指していたかも知れないが、登場からそれが見えている必要がある)。
もっとも開演後10分以上遅れて見始めた印象であるので、そうだと断定する自信はないが。
演技の質感が、もう一つ馴染んで一つのものと見えたかった感想に変わりはないが、と言って再演のある企画ではなく、勿体無い感がある。
実演鑑賞
満足度★★★★
面白く鑑賞した。
「川にはとうぜん橋がある」を観て竹田モモコさんのファンになったのだが(もちろん「いびしない愛」→「川には…」の年数が経っているから当たり前だが)
「川には…」の方が脚本の完成度が高いように思った(人物間や話の内容のリアリティ、観たあとの後味など)
でも、方言での人間味の出し方や随所で笑わせてくれる所、劣等感や自己肯定感が持てず、それでも日常を生きている人々を描いている所など、大好きなので、これからも機会があったら見に行きたい。
実演鑑賞
満足度★★★
地方都市可児市(確か名古屋周辺)の公共劇場は芸術監督に東京の演劇人を迎えて演劇活動を行ってきた。東京から俳優も参加して東京公演も行ない積極的な活動をしてきたが、コロナ明けのこの公演の席ビラには芸術監督の名前は見当たらない。その詳細は解らないが、人間が身を挺してやる演劇にはコロナは様々な形で深い打撃を与えたのであろう。この作品は新人の劇作家、ベテランのプロ演出家による地方を舞台にした一幕劇である。
コロナ禍の中で出発した作者・竹田ももこは、故郷・高知南西部の独特の風土を舞台にしたこの作品で劇作家協会の公募作品に入賞して劇作家として出発した。演出のマキノノゾミはその最終選考にあたっている。舞台を製作した中京地方の可児市とは関係ないが地方の演劇団体が製作する作品として、選ばれたのかもしれない。1時間半の小品である。
内容は地方に生きる地場産業の工場(海産物の加工工場)が舞台に取られており、経営にあたることになったに二・三十代の女性姉妹の葛藤がドラマの軸になっている。こういう地域社会の特性を生かした舞台設定で成功した作品は多くある。四国のへき地はさまざまな作者に描かれたことがあるが、この作品も風土のなかに紛れもなく日本の現代の地域社会の課題を巧みにとらえている。登場人物の配置も、筋立てもうまいもので、ベテランのマキノは舞台にアクセントをつけて運んでいる。しかし、地域産業の課題、身体障碍も含む姉妹の葛藤、都会と地域の地域差に生きる人々の社会観など、多くのテーマを同時並行で一場(昔からある漁業の作業小屋の工場の事務室・このセットは非常に良く出来ていて感心するが)で五人の登場人物のやりくりで扱おうとしたために、全体として薄味になってしまってせっかくの特異な場面設定が生きていない。
かつて数年前にこの劇場で見た同じく漁村を舞台にした庭劇団のペニノの「笑顔の砦」のような圧倒的なリアル感が乏しい。僻地物でも蓬莱龍太の「デンキ島」の離島の少女の焦燥感のような存在感がない。そのような孤立感からは逃れているところがこの作品のいいところでもあるが、それならそこにもっと心を打つ真実が欲しい。それは東京でも上演される地方発の多くの作品にも言えることなのだが、無理を承知でi言えばそこを描いてこその地域演劇である。
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2024/10/28 (月) 18:30
竹田モモコはしばらく前から注目していた劇作家だ。今作は、2020年の劇作家協会新人戯曲賞を受けた作品。しばらく前に彼女の演劇ユニットばぶれるりぐるの「川にはとうぜんはしがある」をやっていたが見逃してしまったので、期待は膨らむ。高知県出身の新進気鋭の劇作家の受賞作が東京で見られるなんてラッキーと思いながら吉祥寺に出かけた。
これまでの竹田の作品は、自らの出身地の方言幡多弁を駆使して構成したものが多い。「いびしない」とは汚いとか散らかっているとかいう意味だそうだが、その真意はネイティブの幡多人でないと分からないかもしれない。劇中で展開される方言も自分には分からないものがいくつかあった。しかし、劇団普通の茨城弁のように、方言を多用した舞台はどこか生活感があってホッとできると思う。今作も冒頭から結構手荒な場面があるのだが、大ごとにはならないぞという感触がどこかにあるような感じだった。
登場人物は、かつお節工場(ふし工場)の経営を引き継いだ二人姉妹の妹と、離婚して戻ってきた姉、従業員たちという少人数。姉妹の間の「愛」がいびしないかどうかはともかく、この姉妹の間にある微妙な葛藤を追いかけていくことで「いびしない」を感じていけるのだと思う。
今作は、多くの障害がある人たちを登場させている。まず、姉は左手が不自由。一緒に育ってきた妹は姉の障害をカバーするようなところがあるから、いわゆる「障害のきょうだい児」だった。従業員には知的障害と思われる男性がいるし、舞台が始まる前にふし工場の従業員のような出で立ちでお菓子を食べていた男女は手話通訳者だった。これらがごく普通に、自然に描かれているところに好感が持てた。
新人戯曲賞の最終審査を担当したマキノノゾミが自ら演出を切望したという舞台。工場事務所の扉の開け方などの演出が、会話劇にメリハリをつけて一気にラストまで行けるという感じだ。