セチュアンの善人 公演情報 セチュアンの善人」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-5件 / 5件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/09/27 (金) 19:00

    185分。15分の休憩を含む。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ブレヒトの代表作の一つ。長年持ちレパとしていた演劇アンサンブルの最終公演(鑑賞会公演)を観たいと申し入れていたのが上演中止となり、泣く泣く断念したのが10年近く前。そんな事を思い出したが、漸く上演が観られた。
    俳優座劇場のステージが近く見える。小劇場の範疇。のっけから所狭しと走り回るワン役による所か。こんな元気の良い逸材が俳優座に居たのか・・?と驚いたら、桐朋の学生だった。学生演劇はさほど見ていないが、以前桐朋学生の発表公演を観た時の印象は、出来上がった感にまで持って行けるポテンシャル。即ち若さ、による柔軟さ。適役を与えられれば無敵状態。
    本舞台では降板と再配役が相次いだ模様だが、結果的に大きな役に起用された桐朋学生の存在感と劇団とのマッチングは頗る良かった。
    ブレヒトらしい皮肉の効いた寓話(教育劇を思い出させる)を心行くまで堪能。三人の神様の登場や心優しい売春婦(善人)のシェン・テと効率を重んじる冷徹なその従兄弟シュイ・タの謎が寓話性を高めて美味しい。
    根底には資本主義社会の構造(人間の行動原理を含めた)を物語を使っておちょくり暴露する視点があるが、「恋愛」をまな板に載せているのが興味深い。

    ネタバレBOX

    現代を反映した台詞を書き加えていて、そこは気が利いていたが、結語に「効率なんてくそくらえ」の台詞を据えていたのが私としては勿体なかった(敵を「効率」の語で括ってしまうのは繊細さに欠きはしないしないか。家事だって効率を求めて主婦は賢く立ち働いている。これを糞食らえとは思わない。では何が我々の敵なのか・・考察を要する。台詞一つはとても重要だ。)。
    そして最終シーン。暗転の後に中央の円形にてんこ盛りになった俳優らの塊が現われ、「2000年後」の字幕が点灯する。これが分からない。
    後の解説によれば、文明の象徴である「ビル群」との事だが、ビルには見えず、本編では既に現代が混入している所、「2000年後」だと西暦4000年代か?と訝り、造形の意味も分からないので些か混乱を来す。試行錯誤の結果だったろうが、ここも少々もったいなかった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    俳優座劇場で何度も見たあの俳優座のブレヒトである、
    市原悦子も栗原小巻も、その年の演劇界の芸術的成果の代表作としてみた。シーンごとに天井から降りてくる大きなプラカードに示される活字体の説明に従ってのその場を客観的に見る、観客は、舞台に感情移入させて見てはならぬ、とか、音楽はジンタのようなものが良いのだ、とかさまざまにブレヒト劇の見方を学習したものだが、どこか腑に落ちない。当時、映画、テレビでもおなじみだった俳優座の名優たちの演技はお見事でもあったが、落ち着いてみれば展開する物語はよくできた寓話で、そんな大げさなものでもない。
    当時ポスト「新劇黄金時代」の旗手として上演されたのがブレヒト戯曲には不幸だったようで、やがて、反新劇の唐十郎から、つかこうへいの登場に至ってブレヒト神話は粉砕されてしばらくは、お茶を引くことになった。それから50年。世紀が変わる。
    時代は変わって、劇場の最後の上演として「セチュアン」を見ることになろうとは!
    しかもその上演は過去の上演とは全く違う。物語の主なスジは原作のものだが、一人二役の資本主義そのものの主演者のシエン・タ(森山知寬)は、女優ではなく男優になり、シーンごとにプラカードで示された場面は、ホリゾントを大きな半円で囲むすだれのカーテンの内側の丸い場面一つになった。物語も後半は大きく変えられているが、ほぼ、3時間ちょっとの長丁場を何曲か歌入りで10分の休憩だけ一気呵成につないでいく。(かつての上演よりは30分は短くなっていると思うがそれでも長い)。テキストは現代風で、昔の上演を思わせるものは何もないが、演劇は時代と共に生きる。そういうものだ。
    かつて、劇団任せだった新人演劇人養成を新しく担うことになった桐朋学園とは提携していて優秀な学生は俳優座がスカウトして華々しくデビューしたものだ(多くの名優を生んだ、その功績は大きい)。ラストステージでも、今年卒業の学生たちが大挙出演している。現在の俳優座のベテランに混じって水売りの女(渡辺咲和)や神様のひとり(今野まい)のような重要な役にも出演していて、これが初々しくてなかなか良い。役の登場人物18名に俳優座のベテラン。そこに桐朋学園の学生が20名。演出は劇団の若手俳優でもあり演出家でもある田中壮太郎。さまざまなクレジットのついた大公演である。
    で、どうだったのか。
    観客も又変わる、舞台も変わる。こういう名作を日本初演から見ているものにとっては感無量としか言いようがない。最近ブレヒトがちょくちょく再演されるようになった。解らぬでもない。話が東映のヤクザ映画みたいに単純に面白く出来ているのだ。
    戦時中をヨーロッパからアメリカへ、戦後冷戦下を東西両陣営で生き抜いたブレヒトはやはりただ者ではない。



  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    Aチームで鑑賞。脚本・演出家の前説通り、特に後半は大きく変えられている。ブレヒトの風刺や社会批判はそのままでは現代に通用しない面があり、このように新たな形を探る挑戦は評価できると思う。主役の俳優はとても良い声をしている。学生たちの演技も良く、少々頼りない神様の間の抜けた感じがぴったり合っている。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    A
    第一幕95分、休憩15分、第二幕70分。
    吉田拓郎っぽい曲、「その日の名前は“決して来ない”」が印象的に使われる。

    新生俳優座!伝統もプライドもかなぐり捨ててガチで生き残りに賭けてきた感じ。全面的に支持する。老人相手の慰問交流会じゃ演ってる方もつまらないだろう。とにかく面白い作品を胸を張って客に届けて欲しい。「これでどうだ!」と自信を持って。

    桐朋学園芸術短期大学創立60周年記念事業として、19名の学生が参加。これが功を奏している。新鮮なエネルギーが漲ったステージ。上手サイドでアンサンブルの学生達が様々な小道具を使って効果音を出していく。下手サイドでも複数のワイングラスを使って音を出していたようだがそれはよく見えなかった。

    中国・四川(スーチュアン)省が舞台。貧困に喘ぐスラムのような町。貧しき水売りのワン(渡邉咲和〈さわ〉さん)は3人の神様が下界に降りて旅をしている噂を聞き、町の入口で待ち続ける。やって来た彼等は東方の三賢者のようなイメージで白いクルタ姿、上田雪矢氏、中寛三氏、伊東達広氏。「人間界にどれだけまだ善なる者が残っているのか確かめに来た」と言う彼等。一晩泊まる宿を所望され、町を駆けずり回って探すワンだったが皆に断られる。やっと快く了承してくれたのはお人好しで有名な卑しき娼婦シェン・テ(森山智寛氏)だけ。3人の神様は彼女の善性に感動し御礼として大金を置いていく。シェン・テはその金で珈琲豆店を開くことに。だが次から次へと彼女にたかってくる無為徒食の連中に悩まされ、シェン・テの善性はどんどん追い詰められていく。

    狂言回しの渡邉咲和さんがステージ中を大疾走、漫画のどろろみたいな元気っぷり。
    クズっぷりが似合う八柳豪氏も魅力的。
    神様の一人、上田雪矢氏もいい配役。ADHDっぼい頼りなさ。
    MVPは勿論、主演の森山智寛氏。冷徹なる筧利夫的なクールビューティー、『リベリオン』みたいな衣装。

    長さを全く感じさせない工夫に充ちた面白さ。他のヴァージョンも観てみたくなった。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの代表作。観客を登場人物に感情移入させて物語る劇的演劇(アリストテレス的演劇)ではなく、叙事的演劇(非アリストテレス的演劇)を提唱。従来の演劇では受け手は受動的にただ作品を味わうだけだったが、観客が作品と客観的に距離を持ち対峙する空間を作ることで思考上の討論会へといざなっていく。

    「ブレヒト」、「叙事的演劇」、「上演時間3時間」、など今作は本来絶対に自分が観ようとする作品ではないのだが、『慟哭のリア』目当てにセット券を買ってしまった。結果的に良かった。

    今作で思い出すのは黒澤明の『白痴』(原作・フョードル・ドストエフスキー)。黒澤明の構想では、「現代にイエス・キリストが現れたらどうなるだろうか?」がテーマ。キリストのように汚れなき純真な魂のまま生きる森雅之が、昭和20年代戦後間もなくの札幌に現われる。彼に触れて悩み苦しんでいた男女達は心が洗われるような思いをする。その挙げ句の果てに皆不幸になって地獄に堕ちていく。余りの彼の心の美しさに魂が震えるような感動を覚えた人々が真っ逆さまに転がり落ちていく不思議。だがそれこそが自然だと納得させる力のある映画。

    ラストの辺のグダグダが残念。オリジナルを知らないのでどこまで弄っているのかは判らないが。この辺の感じは客も受け止め方に戸惑いぼんやりする。

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