つきかげ 公演情報 つきかげ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-8件 / 8件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2024/11/08 (金) 14:00

    前作「白き山」の5年後、晩年の斎藤茂吉と妻や息子・娘たち、編集者を参考にしたフィクション。一言で表現すれば「ハード&ビターなホームドラマ」で認知傾向が出始めた茂吉の姿が痛々しいが彼を支える家族らの姿(家族愛的なもの)や漂うユーモアに救われる。
    それにしても茂吉役の緒方さんを筆頭に配役/役作りが的確でリアリティを感じるというか引き込まれるというか。
    また、中学生時代にどくとるマンボウシリーズを読んでいたためある場面で頷くことしきり。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    家族が温かく優しい話でした。特に音無さんは活舌もよく動きも機敏なので演じてる母はとてもカッコイイ女性でした。緒方晋さんの虚空を見るような目線にぞくっとしました。
    このような舞台を駅前で見れて良かったです。
    老いに関してはあまりにもリアルな演技なので自分の親に重ねてみてしまいちょっと切なかった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/11/14 (木) 14:00

    稀代の悪妻として有名な斉藤茂吉の妻の、数多ある逸話から
    何と強く魅力的な女性を立ち上がらせたことか。
    歴史上の人物に躍動感あふれるいのちを吹き込んできた、劇チョコならではの真骨頂。
    マイナスイメージのエピソードさえ、今の彼女を彼女たらしめた栄養分になってしまう。
    すごい脚本、演出、役者さんが揃って、すごい家族の話になった。
    斎藤茂吉にこの家族あり、である。

    ネタバレBOX

    歌人斎藤茂吉の晩年を描く、いわば前編の「白き山」に続く後編だが、
    こちらは妻、長女、次女たち茂吉を取り巻く家族の話がメイン。
    茂吉は脳出血で倒れて左半身に麻痺が残っている。
    彼自身自覚しているように、集中力が続かず思うように歌作が出来なくなっている。

    同居して彼を支えているのは、悪妻として名高い輝子と次女昌子。
    堅実な長男は病院を継ぎ、経営に悩みながらも頻繁に父の様子を見に来ている。
    次男は勤めていた病院を辞め、見分を広めたいとヨーロッパへ行く手段を探っている。
    また斎藤茂吉の弟子、山口茂吉も献身的に師の「全集」を出そうと奔走している。

    輝子を演じる音無美紀子さんが素晴らしくて、”天下の悪妻”のイメージが覆ってしまう。
    自分のやりたいことを貫く強さと同時に言い訳もしない潔さ。
    10年以上茂吉と別居しながらも歌人茂吉の価値を認め、尊敬の念を持って世話をしている。
    育ちの良さと旺盛な好奇心、度胸満点で怖いもの知らずのお嬢様がそのまま年取った感じ。
    茂吉の鬱々とした苦悩の表情に対して、輝子の振り切れた人生観はいっそ清々しい。
    この母が、偏屈ですぐ怒鳴り散らす茂吉に臆することなく己を貫くさまを見て子は育った。

    嫁に行った長女百子は贅沢な暮らしが好きな、またそれをさせてもらえる人生を送っている。
    帯金ゆかりさんのきれいな襟元と邪気の無い言動が自然で印象に残った。
    次女の昌子が際立って優しく清純で、よくこの両親からこんな良い娘が生まれたものだと思う。
    本当に昔の映画に出てくる良家の子女かと思っていると、
    「見合いの相手が決まったらまず自分に知らせて欲しい、医者と文学をやる人は嫌」と
    びっくりするような条件を付ける。しかも穏やかな表情で。
    「ずっと家族を見てきましたから」ってそりゃそうだと納得するが、すごいお嬢さん。
    演じる宇野愛海さんが見目麗しくはまり役で、茂吉を包み込むような空気感を纏っている。

    今回の作品で飛び交う会話の、容赦ない物言いと率直な本音が、”稀有な家族”らしくて
    良かった。腹に溜め込んで後から黒いものが吹き出すような、陳腐な家族ではない。
    仲が良くない時も大いにあったこの夫婦も、子どもたちも皆自分らしく生きている。
    相性の悪い輝子と、他人の山口茂吉でさえストレートにぶつかり合う。
    これら会話のテンポが心地よくて小気味よくて、客席からは何度も笑いが起こる。
    全員に斎藤茂吉へのリスペクトがあり、全てはそこから発しているからこその人間関係だと思う。

    本人にしてみれば不本意なことが山のようにあるだろうが、何と幸せな老後だろう。
    人生をかけて成して来た仕事のひとつ、病院は長男が後継者として引き継いでいる。
    そして何より歌人としての茂吉を皆が尊敬の念を持って大切に接してくれる。
    老いて思うような歌が作れなくなっても、かつての強い家長でなくなっても、である。
    弟子の山口茂吉が、かつての師ではなくなっても尚、絶対的な師と仰ぎ、指示を仰ぐ。
    自信もプライドも崩壊しかけた老人にとって、これほどの心の支えがあるだろうか。
    茂吉が、凡庸に見えてもありのままの自己を歌う境地に至ったのは、この支えあってのことだ。
    老いは口惜しく情けない、受け入れるにはエネルギーと時間を要する。
    緒方晋さんはありのままの自分を受容して力の抜けた茂吉を、
    その肩のあたりに滲ませてしみじみと魅せる。

    新宿の大京町といふとほり わが足よわり住みつかむとす

    大京町の終の棲家に、穏やかなつきかげが差し込むような気がした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    緒方氏の斎藤茂吉を観て味わう芝居ではあるが、音無美紀子は見事にその役にはまっているし、チョコレートケーキの3人もコミカルに脇を固めている。特に事件や一騒動があるわけではなく、斎藤茂吉の最晩年を描いた落ち着いたストーリーで、実力派の役者たちの演技で安心して観ていられる。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/11/08 (金)

    斎藤茂吉の晩年を劇団チョコレートテイストで投げてくれた。
    面白かった。優しかった。
    女性の強さに狡さに健気さに巻き込まれる男たち。
    でもそこには家族の愛がある。
    素敵なお話でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    今春に見た同じ劇団チョコレートケーキの斎藤茂吉伝の後編。独立した二作としても見られるが、斎藤茂吉の実像をかなりフォローしているので、フィクションとは言っても伝記劇である。もうすっかり手練れになったチョコレートケーキで、全編とのカップリングもうまいものだ。
    斎藤家の男たち、茂吉(緖方晋)、長男(浅井伸治)、次男(西尾友樹)、それに側近の歌人山口茂吉(岡本篤)のキャステイングはそのまま、前編が家族の男たちが物語を織りなす部分が多かったが、後編は女編、妻の輝子(音無美紀子)、長女の桃子(帯金ゆかり)、次女の雅子(宇野愛海)が物語の中心を占める。前編は終戦によって東京での生活が出来なくなった茂吉一家の疎開生活での家族の物語だったが、後編は東京で戦後の新しい家ができあがる直前の物語である。今回は、茂吉と戦争の葛藤には全くと言って良いほど触れられて居ず、最晩年を迎えた茂吉の老いとの葛藤が、家族それぞれの父との別離の予感の中に描かれていく。男たちについては病院経営を背負うことになった長男、ヨーロッパを見たいと願った次男の海洋観測船への乗船、側近の山口茂吉では茂吉の個人全集の編集、などのストーリーはあるが、今回は女たちの活躍がめざましい。
    ようやく茂吉と共に生活することになリ家族を取り仕切ることになった妻・輝子の生来の奔放な自己中心的な生活信条と、しかし茂吉との長い生活から生まれた夫婦(男女)の情愛のある生活描写が音無美紀子の熱演(こんなに上手い女優と思ったことがなかった。前編への夫・村井國夫の突然降板への埋め合わせか)で活写される。こういうキャラクターは、現代の女性にはよくあるタイプだが、本質的なところで違う。それは、長女の贅沢好きにも、次女の家庭万能主義にも通底するもので、今の女性にはないものだ。こういうキャラクターは、終戦後もまだ東京のそこここに残っていた大正モガの末裔で、音無の周囲にも居たのかも知れない。古い松竹映画や劇団新派の芝居にもよく登場するが、この古川健の新作の女たちは生き生きとその時代を生きている。今作を買うとすればそこが第一で(音無はきっと今年の女優賞を受賞すると予言する)、茂吉が老年と人生の短さにおびえるところなどは型どおりで物足りない。
    緖方晋も今回は老年になって、工夫の余地がなかった。若い姉妹はどこから見つけてきたのか新鮮で今後に大いに期待したいが、役となるとさすがに掴みきれず形からはいっている。茂吉の家の一杯セットで2時間5分、休憩なしで、十分に面白いが、前後編かと言うと内容が前編は戦争責任が表に出、後編は家族と人生と言うことで全く異質のものなので、併せて見るものでもなさそうだ。内容的には前編か。客的には今回も満席。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白い、お薦め。「白い山」の続編(5年後)
    昭和25年10月頃から新宿大京町の病院兼自宅へ引っ越す迄の斎藤家を描いた物語。話の中心は、偉大な歌人であり1人の男の晩年、それを家族の視点を通して<人間・斎藤茂吉>を炙り出す。突き詰めれば「老い」と「死」に向き合い、どう生きるか といった死生観に繋がる。最大の見せ場は、茂吉と妻 輝子の会話だろう。茂吉の苦悩「ひとりで生まれ、ひとりで死んでゆく」、その無常の儚さに対し 輝子の答えは実に単純明快で、思わず頷(肯)いてしまう。とは言え、人の死生観など人それぞれで決めつけることなど出来ない。

    「白い山」が、戦中/戦後の茂吉の芸術家(歌人)としての思いであれば、本作は1人の男、もっと言えば根源的な人間の思いを描き出している。それは「偉大な歌人」という近寄り難い人物から、其処らにいる老人の嘆き 葛藤のように聞こえる。斎藤茂吉という人物を「白い山」と「つきかげ」、その前/後編とも言える紡ぎ方にしたのが妙(勿論 本作だけでも面白い)。さらに脳出血の後遺症という身体的な不自由を描くことによって、老いと病 そして死の影が忍び寄っていることを否応なしに突きつける。

    登場人物は、茂吉を中心とした斎藤家、それに弟子の山口茂吉を加えた7人。その中でも妻 輝子を演じた音無美紀子さんの演技が凄い。確かに演技だが、そういうことを感じさせない自然体、本物の斎藤輝子がそこに居るようだ。開幕 明転後、火鉢に向かう音無さんが目の前におり驚いた。もう自然な振る舞いで一気に物語の世界へ誘われた。
    (上演時間2時間15分 途中休憩なし) 

    ネタバレBOX

    舞台美術は上手に洋室があり丸テーブルに椅子、下手の和室には文机や書棚、中央奥が玄関へ通じる廊下。客席側に座卓や座椅子そして火鉢。家族団欒で語られる近況、主である斎藤茂吉は病で臥せっていたが、何とか介助を得ながら歩く。その弱々しい姿は、「白い山」からは想像できない。

    茂吉は 歌人として詠みたい歌がまだある。しかし 病によって あまり時間が残されていないことを実感する。老いという抗えない現実、一方 息子や娘の若さが羨ましくも妬ましい。夜中に起きて苦悩や葛藤する姿、茂吉曰く「自分は何者かになれたのだろうか」。そんな茂吉に輝子は、歌人として名を馳せ 斎藤病院を残してくれた。輝子は「生まれて死ぬまでに どう生きるか」、続けて「私以上でも以下でもない」と悟ったような台詞。茂吉は「おまえは強いな」と沁み沁み。この変哲もない会話が実に味わい深い。

    夫婦の会話とは別に、息子や娘たちが父の病気見舞いを理由に訪ねてくる。長男 茂太の経過診察、長女 宮尾百子の(嫁いだのに)無心、次男 宗吉の思い、そして次女 昌子の縁談など、何処にでもありそうな日常が描かれる。大声を出していた頃の茂吉ではなく、孫の話をする時などは 好々爺。歌人としての茂吉は、弟子と全集編集の話をすることぐらい。そこに晩年の歌人と1人の男の姿…悲哀と慈愛を夫々描き出した。

    全体的に落ち着いた色彩の照明、それによって昭和20年代の普通の家族風景といった雰囲気を漂わせる。薄暗くし スポットライトによる心情表現など効果的な演出。音響音楽は、場転換の時に流すだけ。まさに演技(力)だけで斎藤茂吉という人物像とその家族の思いを綴った といっても過言ではない。観応えある好公演。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    前篇の『白き山』が斎藤茂吉と二人の息子、一人の弟子との四重奏。後篇である今作は斎藤茂吉と、文学史的には無視された妻と二人の娘との四重奏。見事なアンサンブル。個人的には今作の方が好み。前作が黒澤明なら今作は小津安二郎の世界に挑戦する作家の新境地。だがやはり我慢ならない、本性が出てしまう。達観した死生観では終われない。命ある限り生きて生きて生きまくってこそが生物だ!と黒澤明になってしまう。侘び寂びで慎ましくお茶を啜ってはいられない。醜さこそが同時に人間の美しさであると、人間のその浅ましさこそが生命の本質なんだと。

    上手に洋間、下手に和室、真ん中に火鉢。斎藤茂吉(緒方晋氏)は脳出血で倒れ歩くこともおぼつかない。意識がぼやけてくる。創作に集中出来ない。記憶の混乱。全ては老いだ。老いてしまった。やりたい事やらねばならぬ事が山程あった筈なのにそれが何だったのかすら思い出せない。

    素晴らしいのは文学史的には意味のない、妻である斎藤輝子(音無美紀子さん)、長女・宮尾百子(帯金ゆかりさん)、次女・斎藤昌子(宇野愛海〈なるみ〉さん)の存在こそをメインに据えた視点。各人それぞれに見せ場はあり、光の当たった人々だけが存在した訳ではないことを強く主張する。

    音無美紀子さんは見事としか言いようがない。確かに間違いなくここに生きて在る。金の取れる女優。
    驚いたのが宇野愛海(なるみ)さん。メイクもあるのだろうが原節子や轟夕起子を思わせる戦後日本映画のヒロインの貫禄。凄いのが出て来たな、と思ったら既に二作自分は観ていたらしい。しかも元エビ中のバリバリのアイドル出。心底驚いた。この娘は今後ヤバイ。
    帯金ゆかりさんの体現する現実感も重厚。生きて在ることのそのリアル。その手触りを感じられた時、共感の度合いがぐっと上がる。

    そして緒方晋氏の立つ境地。弱って駄目になった自分のありのままを見てくれ。これが今の俺だ。失望しようが落胆しようが構わない。これが今の老いた俺の姿だ。

    浄土宗の開祖である法然が詠んだ和歌、宗歌ともされている。
    「月影の 至らぬ里はなけれども 眺むる人の 心にぞ住む」                      
    月光は全てを照らしてくれているのに受け手側がそれに気付かなければ届かないのと同じこと。どうか気付いてくれ。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    この作品を村井國夫・音無美紀子夫妻で構想した作家の怖ろしさ。確かに観てみたくはある。

    書棚がちょっと古書すぎる気がする。逆に当時ならもっと新しい方がリアルでは。
    斎藤茂吉の日記帳、手書きで全ページ、ギッチリ文章が記されている。美術を担当した人間の狂気。細部にこそ神が宿る。こりゃ役者も負けてらんねえな、と気合いが入る訳だ。凄いね。

    1933年11月銀座ダンスホールの教師(今のホストのようなもの)・田村一男(24)が検挙される。彼目当てに通い詰める常連の有閑マダム達を手玉に取り金を貢がせ情事に耽けっていたのだ。当時はまだ姦通罪がある時代、新聞雑誌は大々的に書き立てた。彼の相手は華族である伯爵夫人など錚々たる顔ぶれ。その中の一人が「青山某病院長医学博士夫人」こと斎藤輝子。(本人は情事を否定)。激怒した斎藤茂吉は婿養子として入った脳病院を辞め、離縁する意思を示したが周囲の説得により何とか思いとどまる。輝子を弟の家に預け、その後12年間別居状態に。
    だがその翌年、52歳の斎藤茂吉は24歳の永井ふさ子と歌会で出逢う。以前より短歌の通信指導をしていたのだが上京した彼女の美貌に一遍で心を奪われてしまった。歌人の師弟の立場を越え熱烈に恋し、秘めた愛人関係に陥る二人。1936年1月18日から1937年暮れまでのSUBROSA(秘密)。周囲の門人達は知っていただろう。(1944年まで会っていた)。
    1963年、永井ふさ子は斎藤茂吉の死後十年を待ち『小説中央公論』にて手紙80通を公表。世間の知ることとなる。

    ちなみに斎藤輝子は茂吉の死後、65歳から97回海外渡航に。79歳で南極大陸に立ち、81歳でエベレスト登山、85歳でガラパゴス島、89歳で亡くなるまで108ヶ国を訪問。

    欲望のパワーが桁違いの一族。『楡家の人びと』が読みたくなる。

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