白き山 公演情報 白き山」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
1-15件 / 15件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/06/13 (木) 19:00

    2回目の観劇。1回目は前の人で視界が遮られ悔しい思いも。なのでリベンジしました。
    面白かった。世界観が広く景色が見えて、うなぎ食べたくなった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/06/07 (金)

    さすが!安定しているわ。この面白さを知ったらね…。
    舞台美術も素敵でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    素晴らしい舞台だった。戦争と作家という骨太のテーマを貫きつつ、日常は苦労と失敗の積み重ねで、笑いが絶えない。楽しい時間を過ごしつつ、深く考えさせる。劇団チョコレートケーキで初めて笑った気がする。井上ひさし・永井愛の境地に、さらに大きく近づいたと思った。ただ、笑いの起きたところを台本(『悲劇喜劇』7月号所収)でみると、淡々と書いてあるだけで、演出と俳優が、隠れた笑いのネタを生かしていることがうかがえる。

    そういう点では、作・演出・俳優の共同作業で生まれた奇跡のような舞台だった。俳優陣では斎藤茂吉を演じた緒方晋が出色。言葉数は少ないしぶっきらぼうだが、ぐっと抑えたマグマを内に持っている感じが、本当に茂吉に見えた。素晴らしい

    ネタバレBOX

    山々を見渡せる平場で、茂吉が、息子たちを戦死させた守谷に「すまなかった」と謝る。茂吉の戦争協力への半生を言葉にした場面だが、これは作者の願望を託したもの。現実の茂吉は言葉に出して謝罪しなかった(と思う)。この場面がなくても、いや、ない方が、茂吉の葛藤の複雑さと、観客が考える余白が残ってよかったのではないだろうか。。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    代演の方がいい演技でした。
    アフターアクトを観るために千秋楽を取ってる。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/06/11 (火) 14:00

    終戦直後、郷里の山形県に疎開していた斎藤茂吉と賄いの女性、訪れた息子らを描いたフィクション。
    実在した人物を主人公にユーモラスな部分も多々ありつつ反戦も訴えるツクリに井上ひさしの評伝系戯曲を想起しながら堪能。
    そして戦中の災難を描くよりも終戦後の平穏な日々の中に浮かんでくる人々の心に遺された傷を描いた方が沁みる気がする。それは「戦争詠みをしたことから歌が詠めなくなった」などの特別なものに限らず「戦争だからしかたがない」と自分を納得させるしかなかった一般人など辛いし哀しいし本当に嫌だ。
    また、この前々日に観た悲喜交交「余炎」も戦争を美化したことを悔いる俳人を描いており、その偶然性に驚く。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    昨年の「ブラウン管」でおや?と思った劇チョコがフェアウェイに戻ってきた
    やはり彼らの永遠のテーマは観る者に戦争(に向かわせる「体制」)という不条理を再認識(あるいは若者にとっては認識か)させることだと思う
    今回は歌人斎藤茂吉もその軛から逃れられなかった状況を描きながら、戦後間もない混乱の中で国民がいかに多大な苦労を背負わされていたか、どんなに大きな傷跡(心の)が残っていたかを浮き彫りにしていた
    村井國夫が体調不良により降板し、緒方晋に交代したが、そんなことはみじんも感じさせない演技だった
    彼が演じる斎藤茂吉は当時今の自分と同世代
    戦時中に「戦争詠み)」と呼ばれる戦意高揚の短歌を詠んだことで、敗戦後「戦犯歌人」と罵られることになり、歌が詠めなくなっている
    そのジレンマや、息子たちへぶつける怒りを味のある演技で描いていた
    いつも客演女優が素晴らしい演技を見せてくれるが、今回の柿丸美智恵は流暢な山形弁(途中突然標準語に切り替え爆笑)を操り痛、秘めた悲しみを明るさでかき消したくましく生きる農婦を飄々とした演技で見事に表現していた
    劇団員3人は安定の演技
    特に心に残る場面2つ
    〇 西尾が父である緒方(茂吉も医師)に、軍医として行った仙台の病院で、赤ん坊を背負った傷だらけのお母さんに背中の子が死んでいると告げてしまい、気が付いたら母も絶命していたことを告白するシーン
    〇 柿丸が自分の息子たちを「万歳、万歳」と叫びながら戦地に送り出してしまったのだと悔恨の表情で語るシーン
    駅前劇場という狭い空間の中で、蔵王連峰を描いたパネルの美術が秀逸だった
    それをうまく生かすライティングのおかげで、朝昼夕夜を見事に表現できていた(劇団公式Ⅹ舞台写真参照)
    アフター・アクトは今回は浅井伸治だけがシリアス
    ある意味双方から見捨てられた「ウェーク島の戦い」での戦友の死は会場がシーンとなっていた
    西尾友樹はなんとお料理教室(笑)
    劇中話とシンクロしているのだが、味噌汁を作りながらの軽妙な語りは笑いの渦だった

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    随分ご無沙汰してしまった当劇団であるが、観に来て正解。斎藤茂吉という題材を、うっすらと(終盤では濃く)戦争に絡めて描いていた。急遽主役の変更との事だったが、緒方晋の出演も楽しみで観劇した。この人にしか出せない味がある(そういえば一応は関西弁は封印していたな)。村井國夫氏では全く違っただろうと、とりわけ主人公の特徴「雷を落とす」場面で、想像もしながら観た。茂吉の息子二人を浅井と西尾、弟子を岡本、三人のコンビネーションを茂吉に対置させ、第三者の存在として近所の農婦を柿丸氏に振って五人芝居、シンプルな構図も憎かった。

    ネタバレBOX

    終盤「これで終劇だな」、と思った暗転が二回。三度目で漸く「これ以上は無いだろう」と思え、拍手の準備をした。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/06/15 (土) 14:00

    中身のない戦争賛美の作品を作ってきた斎藤茂吉、戦後、そこから脱却しようと悩み苦しみもがき、回りの人達に支えられ、新たな道に歩もうとする姿が感動を呼ぶ。いい作品でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    久し振りの「新作」と銘打ったチョコレートケーキの公演。高い世評の上に歌人の頂点に立っていた歌人・斎藤茂吉(緖方晋)の敗戦後半年の疎開生活を素材にした力作である。
    戦時中、戦争賛美の歌を作って戦争協力したとして、立場が反転した茂吉の日々が、焼け出されて同居していた長男(浅井伸治)、のちに北杜夫となる次男(西尾友樹)、アララギ派の門弟で秘書役を務めていた山口茂吉(岡本篤)、身の回りの世話をしていた現地の農婦夫の守谷みや(柿丸美智恵)との生活を通して描かれていく。
    国家が非常時にあるときの芸術家(個人)のあり方というのはチョコレートケーキが何度もテーマにしてきた問題で、今回も主筋はこのテーマに沿って芸術作品と作者の関係が描かれているが、そのテーマの周囲に、渦中にある芸術家の葛藤や、芸術家の家族のドラマ、
    父子の関係とか、人が生きていく上で「故郷」が果たす役割、とか人間が生活の中で出会う大小さまざまなドラマを張り巡らせて、単なる歴史秘話ではなく、価値転換の今の時代に必要な現代劇となっている。
    フィクションと断ってはあるが、登場人物たちのキャラクターを見せるそれぞれの日々の生活のエピソードの拾い方が非常に上手い。よくある頑固親父もののパターンも生かしながら、生き生きしたリアリテイを失わない。娯楽劇にもなっている。
    主演の斎藤茂吉を演じる緖方晋が、一月前に急遽登場することになった代役とは思えない熱演でドラマを引っ張っていく。関西の小劇場の俳優だが、三年前のペニノの「笑顔の砦」の初老の漁船の船長が。斎藤茂吉とは対照的な第一次産業に生きる男を演じて絶品だった。代役で賞というのはあまりないが、それに値する出来である。チョコレートケーキの中軸の三人。それぞれのドラマの中での役割を演じきって快演だ。よく客演する農婦の柿丸美智恵は、若い頃は都会に女中奉公に出て短歌を知っていた、という面白い役柄を、型にはまらない柔らかな表現で演じてよかった。
    疎開先の部屋を囲んでホリゾントには山頂に白い雪の連なる故郷の山が描かれている。最後にその美術が生きることになるが、それは見てのお楽しみにしておこう。本も役者も揃った今年の収穫に挙げられる舞台である。早い機会に、池袋の東芸の地下とか、トラムなどで再演をみたいものだ。補助席も出て満席。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/06/11 (火) 14:00

    芸術家の、晩年を迎えた人の、再生プロセスを目撃したような感覚。
    カギを握るのは、普通の人々の痛みを伴う素直で繊細な心情だった。
    柿丸美智恵さんが読む短歌にボロ泣きする。
    誰かが短歌を読むのを聴いて泣いたのは、初めての経験だ。
    緒方茂吉、その後の人生も観たくなる。

    ネタバレBOX

    窓の外には山影のような風景が見える。
    簡素な田舎家の一室、斎藤茂吉(緒方晋)が文机に向かって背を丸めている。
    終戦後も引き続き疎開している茂吉は、以前のように歌が作れなくなっている。

    訪う者と言えば賄いの農婦守谷みや(柿丸美智恵)一人だったはずが
    まず父の様子を見に次男宗吉(西尾友樹)が来て、
    次に長男茂太(浅井伸治)と茂吉の一番弟子山口(岡本篤)が来て
    この疎開先はにぎやかになっていく。
    癇癪持ちの”お父様”が怒らない、という異常事態に息子ら3人は異変を感じる・・・。

    歌が作れなくなった理由はひとつではないだろうが、
    戦争詠み(戦争を賛美するような歌)を強要され、不本意ながらそれを受け容れたこと、
    自分の衰えを自覚せざるを得なくなる絶望感などがあるかもしれない。

    そんな茂吉を腹の底から揺さぶってガツンと来るような出来事が起こる。
    なんと賄いのみやさんが「赤光」の初版本を愛読していたというのだ。
    茂吉に「好きな歌はどれか」と問われて彼女が口ずさむ「死にたまふ母」数首の温かさ。
    「自分の母はまだ健在だが、戦死した3人の息子たちが生きていたら、こんな風に
    見送ってくれるのか・・・と想像してしまう」と語る切なさ。
    茂吉が改めて読者の心情に思い至り、歌を詠む意味をもう一度見いだすきっかけとなる。
    この「死にたまふ母」を読むシーン、出色の場面である。
    一瞬主役が入れ替わるかと思うほど柿丸さんが素晴らしい。

    みやさんはまた「山はずっと昔から同じはずなのに、それを見る自分の心持ちによって
    見え方が変わる」とも語る。
    自然に自己を投影させる、まさに茂吉が提唱する「実相観入」理論である。

    これを機に茂吉の様子は一変する。
    蔵王と鳥海山が見える場所へ移り住み ”疎開延長” することを決める。
    冒頭のシーンと同じく文机に向かう姿勢で終わるが、ラストの背中はその力強さが全く違う。

    作品全体の台詞のテンポが素晴らしい。
    次男が初めて戦地での体験を語る場面、観客の想像力をかきたてるに十分な間。
    緒方さんの茂吉は、怒鳴っても優しくても、悶々としていても台詞が無くても
    佇まいが「斎藤茂吉」で本当に素晴らしかった。

    悪妻の存在、昆虫大好きな変人の次男、律儀な長男、茂吉に人生を捧げる一番弟子と、
    取り巻くキャラの豊かさもエピソードに事欠かない。
    チョコメンバーの個性がぴったりとはまって、悩める老人の周囲を大きく動かす。
    客席がどっと沸くようなユーモア溢れる場面も多く、シリアスなテーマとのバランスも良い。
    向き合うべき「白き山」を得て、茂吉は今後どんな創作活動をするのだろう。
    茂吉再生の糸口となった、柿丸さんの「死にたまふ母」を私はずっと忘れないと思う。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ネタバレ

    ネタバレBOX

    劇団チョコレートケーキ『白き山』を観劇。

    あらすじ:戦後を故郷の山形で迎える斎藤茂吉だが、新しい短歌を書けずに苦悩している所に息子たちと弟子が東京から駆けつけてくる。どうやら戦時中に戦争賛美歌を作り続けたのが原因のようで、彼の戦争は未だに終わっていないようであったのだ…。

    感想:斎藤茂吉の生き様と戦後に生き残った日本人がどのようにして新しい価値観の下で生きていくか?というのが根底に流れている内容だ。
    癇癪持ちで鰻好きな斎藤茂吉のキャラクターに憎しみと愛すら感じてしまうが、彼の人生を表面にして、裏面では日本人の在り方が問われている。戦後と現代では全く環境は違うが、語り継がれるテーマとメッセージに時代錯誤すら感じないのは、己のアイディンティーをどのようにして見出していくかが生きる上での鍵になると明確に言っている点だ。それこそが戦後の混乱期から復興を遂げた理由であり、時代を超えてでも掴み取らなければいけないのだろう。そしてそれは「とても美しいものなのだ!」と斎藤茂吉の心の短歌が叫んでいるのである。

    斎藤茂吉役の村井國夫の降板は残念であったが、代役に緒方晋が来たのには感慨深いものがあった。彼の芝居をたっぷり堪能したい小劇場ファンはどれだけいただろうか?
    そう、この日を待っていたのである。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「あかあかと一本の道とほりたり たまきはる我が命なりけり」
    アララギ派(正岡子規の信奉者)の師である伊藤佐千夫が脳溢血で早逝。「師匠の照らした遠く続くこの一本道を魂の極わるまで歩き続けなくてはならない。」との覚悟の歌。
    正岡子規の掲げた写実(写生)主義とは、絵画の方法論と同じく現実をありのままに写すこと。
    更に斎藤茂吉はそれを深め、『実相観入』という造語を生み出した。自然と自分とを同一化し、対象に観察者である自己の存在をぶつけて生命そのものを写すこと。

    1945年9月、敗戦してまだ一ヶ月、混乱の世相。郷里の山形県金瓶(かなかめ)村で妹の嫁ぎ先の離れに疎開していた斎藤茂吉(緒方晋氏)、63歳。精神科医で歌人。戦時中に「戦争詠み(時局詠)」と呼ばれる戦意高揚の短歌を詠んだことで、敗戦後「戦犯歌人」と罵られることに。近所の農婦(柿丸美智恵さん)が賄い婦として食事の世話をしてくれている。様子を見に東京から立ち寄った次男(西尾友樹氏)は手紙で兄である長男(浅井伸治氏)と斎藤茂吉の弟子である山口茂吉(岡本篤氏)を呼び寄せることに。

    MVPは柿丸美智恵さん。実質、彼女が主人公なんだろう。凄腕。
    西尾友樹氏は非常にコミカルな役を怪演。異常にどったんばったん地面に転がり、全身を使って笑いを取る。肘上に痣が見えた。かなり身体を酷使した役作り。煙草やマッチが散らばり、土塊が散乱。
    緒方晋氏は大御所役者の風格。体調不良で降板した村井國夫氏の代役なのだがそれを全く感じさせない。彼以外考えられない。

    戦後の松竹映画の雰囲気。淡々とした描写を重ねて内面を風景で補完させる。
    観れるのであれば必ず観ておくべき作品。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    岡本篤氏がやたら咳き込むので、体調が悪い中の出演か?と思って観ていたらそういう役だった。
    西尾友樹氏の演じた次男は後に作家として大成功する。精神科医の傍ら北杜夫のペンネームで作家となり、旅行記的エッセイ『どくとるマンボウ』シリーズはベストセラーに。芥川賞も獲り順風満帆だったが、躁鬱病を発症し狂乱の株取引で自己破産。周囲から借金を繰り返し準禁治産者宣告を受けることに。
    浅井伸治氏の演じた長男・斎藤茂太も精神科医、随筆家として名を残す。日本旅行作家協会を設立する程の旅行好き。

    物語はただの農婦キャラだった柿丸美智恵さんが実は短歌好きで正岡子規や斎藤茂吉の『赤光』を発売当時から買い求めていたことを告げてから動き出す。言葉に出来なかった自分の気持ちを作家が代弁して形にしてくれたように思えた嬉しさ。名もなき自分の誰にも伝えることの出来ない想いが作品として刻印されること、その瞬間を封じ込めた一冊の本。
    山形県と宮城県の境として屹立する蔵王連峰。その峻厳なるフォルムは古来より人を本能的に畏怖させる。戦争に息子達を取られてからというもの、蔵王を眺めれば恐怖と苦しみ、痛々しい悲痛な想いしか感じられなかった。息子を全て失って、今蔵王を見遣ると、何故だか「頑張れ!頑張れ!」との励ましの声が聴こえてくる。何故だろうか?

    その話をじっと聞いていた斎藤茂吉(緒方晋氏)ははっと気付く。自分が歌を詠めなくなったのは自分自身の心の問題であった。自分が『実相観入』によこしまな意識を入れたせいだ。間違っていた。自然は常に「生きろ」と告げる。「死にに行け」なんて言う筈がない。その声が聴こえなくなったのは自分の心の問題だ。彼はまた自分の中に歌を見付け出すラスト。

    ただ自分が物足りなさを感じたのは脚本の密度なのかも知れない。歌人の再生物語としては弱い。

    太平洋戦争開戦は日本国民の大多数が支持していた。米英の経済封鎖に我慢に我慢を重ねて来た日本が到頭怒りの鉄拳を振るう時。国民は往来で口々に万歳を叫び、士気を鼓舞した。自国が戦地でなければ戦争はオリンピックのようなもの。国民的歌人の斎藤茂吉が戦争詠みをするのは至極当然の事。誰も日本が戦争に大敗し無条件降伏を呑んで占領されるなんて想像していなかった。
    1945年9月18日、朝日新聞に載った鳩山一郎の談話が問題になり、GHQは発行停止処分にした。原爆投下や市街地への無差別空襲は国際法違反であるとの内容。この日から米軍批判は絶対的タブーとなり、言論統制が始まる。GHQは「ウォー・ギルト・プログラム」という計画を立て、「戦争の有罪性」を日本国民に知らしめていく。全国紙に連載された「太平洋戦争史」とラジオ・ドキュメンタリー番組「真相はこうだ」の放送。続く戦犯認定と東京裁判、左翼活動家達の釈放。日本人の価値観はたちまち引っくり返り、自分達は軍部の恐怖政治に支配されていた無辜の民、被害者であったことにした。

    実際の斎藤茂吉は「戦争詠み」に全く恥じてなどいなかった。国民の思いを代表して詠むことの何が悪いのか?逆に敗戦で価値観が簡単に引っくり返ることの方が恥ずべきこと。戦争を起こしたのは無辜の民で、自分達自身であることに向き合うべき。自分を断罪せず、他人のせいにしていてはこれからも何も変わらない。

    ※ここから余談、黒澤明の『醜聞〈スキャンダル〉』の冒頭、画家の三船敏郎が山を描いている。地元民がその様子を眺めているが、現実と絵の山とは全くの別物。そのことを訊ねると「目だけではなく自分の心全体を使ってこの山を受け止めているんだ。」的な言葉を返す。(うろ覚えなので全然違ったかも知れない)。元々画家志望だった黒澤明、こんなふうに考えているんだなあと参考になった。
    そして晩年の『夢』の第5話『鴉』。美術館でゴッホの絵を眺めている黒澤明。そのうち絵の中に入り込んでその景色の中を歩き回っている。随分と彷徨うと作者であるゴッホを見付ける。黒澤明にとって絵を観るという行為は、魂のレヴェルでそれを描いた作家と会って対話することであったのだ。当時驚いた記憶がある。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白い、お薦め。見応え十分。
    斎藤茂吉の心情を抒情的に描いた人物伝。物語の面白さは勿論だが、舞台美術が茂吉の心、いや戦後日本の空虚さを表す 空間(空隙)芸術といっても過言ではない。登場人物は5人、何気ない親子・日常会話にも関わらず その濃密さ、無言の間(ま)の中にも葛藤や情愛といった心の機微を感じさせる演技が上手い。

    物語は、終戦直後の1か月、そして山形県金瓶という地(疎開先)の設定が妙。歌人 斎藤茂吉という実在の人物をモチーフにしているが、フィクションであることは言うまでもない。しかし、描かれている状況や今後を考えると、そこには多くの人々が直面するであろう課題・問題が浮き彫りになってくる。つまり老いと喪失感である。そこに少しの慰め(忘憂)を求めるとすれば、故郷という地---雄大な自然を背景にした人間ドラマが息づいてくる。
    (上演時間2時間 途中休憩なし) 追記予定

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    斎藤茂吉役の緒方晋氏が絶賛に値する名演。脇を固めるチョコレートケーキの面々らが余裕の好演で支える。ストーリーもじんわり伝わる暖かみがあり、今日は良い芝居を観たという気持ちでうれしくなる。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    初日拝見しました。緩みなく、淀みなく、淡々と物語が進行していく感じがうまいなーと、もう芸術の極みに達している感じがしました。勇気いただきました。

    ネタバレBOX

    背景は、これは山なの?でも山というより波に見えるけど、、、山をどうしてこんなふうに描いてんのかなーと思ってたら、ああ、そういうことかーと最後にわかって納得。でも途中は違和感あって、なんだろうこれはと考えながら観ることに。
    波というより、津波。むむ、これは「戦争という時代の波に押しつぶされそうになる」という状況を暗示しているのか?とも一瞬思ったけど、考えすぎですか?

    弟は父親や兄と話すとき、ほんとにあんな話し方したんだろうかと、そこもちょっと違和感が。どくとるマンボウは、中学のときぐらいかな、読んでた記憶があって(狐狸庵閑話とともに)、懐かしく。そのどくとるマンボウと弟のイメージがつながらないなーとは思いましたけど、まあ、そりゃそうかもれません。

    客席は年配の人が多かった印象ですが、物語のテーマ的にも、そういう人たち向けで合っている感じでしたかね。勇気をもらった人、多いんじゃないかなーと。

    「ああ、坐っちゃった」とか細かいギャグが散りばめられてていい感じ。

このページのQRコードです。

拡大