氷は溶けるのか、解けるのか 公演情報 氷は溶けるのか、解けるのか」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-7件 / 7件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2024/07/26 (金) 19:00

    95分。休憩なし。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    く~、唸らされますね。死亡事故をめぐる群像劇、すごくリアルで、引き込まれます。観れてよかった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    土曜日夜拝見しました。こちらの団体さんの作品はいつも考えさせられます。今回も難しいテーマで、誰が悪いとと決めつけられずすべての事象にリアリティーを感じて見ていました。これは見るべき作品だと思います。少し前向きになれるラストが嬉しかったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    見応えあり。点描式に展開を伝え、くどい説明に走らず、最後には素朴かつ強い人間ドラマの構図を残す。1時間20~30分。他の書き手ならもう一つ二つ書き加えておきたくなりそうな所、ストイックに終わらせた。点描のイメージは周囲が闇に説ける劇場空間、照明のワークによる所も。
    神奈川を拠点に精力的に活動する『螺旋階段』主宰による作演舞台を先般観た所だが、舞台の色をガラッと変え、クオリティを維持して実現していた。今日で終わってしまうが地元の方は是非目にして頂きたい。そして今後も注目である。

    ネタバレBOX

    突っ込み所、というか、疑問を残す部分はある。子どもが生まれて以降殺伐とした夫婦生活(夜の、でなく)が描かれ、ある時など毛虫のように夫を嫌い、酒に頼る妻がグラスに入った氷を亭主の顔にぶつけるシーンもある。子どもが生まれた後、子育てが不得意な妻が「求められる水準」に至れない事に、なのか、子どもへの愛情そのものが持てない、のか、それは夫との関係に起因するのか、と来て、しばしば特徴的に切り取られる妻の両親との関係(娘に対し何かと話を持ちかけ、干渉する)がどう妻に、夫婦に、影響しているのか、に疑問が移る。その答えは、作者なりに持っているのかいないのか、という所で、少なくとも「芝居的には」それを説明する必要は無いと判断されている事を感じるものの、気になる。夫婦が仲睦まじく新居での生活を始めた頃、賃貸でなく持ち家の方が良い、将来的にも、と両親は自分らの援助を申し出て、移ったばかりの新居から転居する事となる。(この両親は、訪ねた夫を拒絶する終盤の場面以外には、「夫婦に」ではなく常に「娘に」話をし、夫婦の選択を変えさせる、というやり方をする。)
    妻が両親の説得に(その場面では娘は殆ど反応をしない描写になっているが)応じ、笑顔で夫を説得するのだが、不仲になった時点でこれをなじる材料にする。妻が夕食を作らないので夫は夕食をコンビニで買って来たが、これ見よがしにと妻は切れ、少しは自分で子育てをやってみなさいよと言い、「俺は毎日仕事を」にかぶせて自分のお陰で生活が出来てると言いたいわけ?と絡み、この家を買えたのは私の両親のお陰でしょ、と突きつける。そして顔も見たくない、と奥へ引っ込んで行く。
    理不尽な主張、言ってもいない非難を言ったと相手を悪者にして自分の非を認める事ができない妻と、夫の関係とは、元々愛のない結婚だったのか?といった憶測が生まれる余地がなくはない。そして一度実家に戻った娘に対し、両親は「あなたには子育ては向いてない」「あの結婚には反対だった」と娘をもディスる言葉さえ吐く(毒親だったのか..)。そうした両親には、経済的には感謝しながらも反発を抱える部分が妻にもあって、これは親離れ(子離れも)が出来なかった家族の病理が「正常な夫」を襲ったという話なのか、それともそこに描かれていない夫の「子育てへの無頓着」というよくあるケースを土台にした話なのか、そのあたりは判然としない。
    だが、ストーリーは進み、夫婦喧嘩を嫌った5歳の息子は夜家を飛び出し、工事現場にもぐり込んで穴にはまって溺死する、という展開があり、芝居ではその工事を担った土建業者(亡くなった親方の遺志を継いで新たに会社を立ち上げた)とその関係者の人間模様が、片側で描かれている。
    冷め切った夫婦と、建設業者に繋がる面々とが、不幸な事故で接点を持つが、ドラマの焦点は、土建会社で働く従業員の「友達」が夜中酔っ払って工事現場の看板を蹴り倒したと聞いたその妹が、子を亡くした夫を頻繁に訪ねて行く、という奇行の方に移って行き、じつは自分も子どもを(お腹の中で)亡くした心の傷を持つ妹が、衝動的に相手に入り込んで行く様が最終的には感動をもたらす。
    従って夫婦関係の「実際」はカッコに括る事が許される。のではあるが、夫婦の再生への希望を捨てていない事を最後に妹らに告げる夫が、叶わない希望にすがっている(過去にしがみついている)のか、実現不可能な事でもないのか、は重要だ。
    芝居は娘(妻)側の揺れも切り取っており、可能性をほのめかすが、それは親との決別を意味するのか・・。子育てから解放されたがためにその葛藤が焦点となる事はないが、逆にその過去の傷を夫婦が顔を合わせる度に触り合うこととなる以上、どちらかが(あるいは両方が)自らの非を改める、という形でしか再出発はあり得ないのではないかと想像される。そこでこの夫婦関係にあった問題の本質が何だったのか、が気になって来るのだ。もちろん、そこには「あらゆるケース」が代入できる、という事で良いのかも知れないが。
    そうした事から、作家としては「もう一つ二つ書き加えたくなるのではないか」、と想像してしまった。私てきには、あの無責任な親たちに復讐したっていい。皆それぞれ精一杯やってるのだから無碍に扱わなくとも、、とは普通の反応だろうが、今の日本を思うと、決別すべき事とは決別する、という姿を見たい願望はある。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    子供の事故死という重い題材に、登場人物たち各人の正義で、思惑や行動がぶつかり合う。誰が正しいとか、誰が悪いとかではなく、これが現実か。観ている側は誰に共感するかで見え方が変わる舞台でした。90分と少し短めで、余韻とその後を想像させる終わり方。ただ、個人的にはやや各人の背景が伝わりにくいかもと感じた。

  • 実演鑑賞

    良かったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     べし観る! 華5つ☆

    ネタバレBOX

     オープニング時、飯場で響く重機の音、掘削音。その騒音の中、測量用の緑板やカメラを抱え現場に大声で叫び声をあげているのは、大峰興行社長の大峰隆平。然し工事の騒音で喋りかけている相手には殆ど通じない。が、ややあって社員の白神篤紀が社長の傍迄やってくる。然し彼の話す言葉も全く聞き取れない。そんなシーンが掴みとして提示される他、篤紀の母で経理・事務を担当する白神ゆかりが役所に提出しなければならぬ書類を持って自転車で登場するもいくら声掛けしても工事の騒音に邪魔されて届かない。業を煮やして体当たりと笑いを誘うなど掴みは喜劇ペース。
     板上センターには工事現場の立ち入り禁止フェンス。フェンスにも、路面に置かれた立て看板にも立ち入り禁止の文字が記されている他、上手には矢張り立ち入りを禁止する為のロープが張られ、コーン等も置かれている。オープニング早々、駆け込んで来た駿介が立て看に躓き倒してしまうが、そのまま通り過ぎる。
     この後場転。ホルモン焼き屋・たかまつの店内。この日は、大峰興行旗揚げの日。先ず登場する主な人物を改めて説明しておこう。大峰興行で経理・事務を担当する白神ゆかり、息子でこの会社で働く篤紀、篤紀の高校時代の同級生で腐れ縁、冒頭で立て看を倒した鏑木駿介、その妹瀬里奈。瀬里奈は兄に飲み代を届けに来たのだが、この日は新会社設立と大峰隆平の社長就任を祝っての飲み会とあって誘われ飲み会に加わる。物語は大峰興行関係者と会社創立6年目に起こった事件(工事現場の水溜に落ちて亡くなった5歳の古清水孝介くんの父母・徹及び朱里と祖父母・佐倉井剛・朋子らが織りなす子を失くした親の余りに深い哀しみと内省に欠け剣呑な母と娘(朋子と朱里)がその本来最も大切な人に与える悪影響。無責任で無根拠なSNS社会のネット情報が事件当事者達に与える諸影響、書き込みをする人々の悪気はない場合も事実確認を怠ることによる誤認と誤認情報の拡散によって実害を被る者達の有様が硬軟綯交ぜて紡がれる。当事者のうち子を失くした親として最も深く傷ついていると考えられる朱里は、然し乍ら自らの不明を内省によって気付くこともできない愚か者であるが、深層心理では自責の念から逃れる為に他者に責任を転嫁しようとする。これは、母親・朋子の軽率な判断に影響を受けていると考えられる。2人に共通しているのは先にも述べた通り内省出来ないという点である。事故であるから直接責任は無いものの、矢張り,胎児を流産で失くしたことから母として産んでやれなかったことへの無念や遣る瀬無さを抱えた瀬里奈は、兄が立て看を倒した後、直しもせずにその場を去ったことが事件の一因となったかも知れないとの念から古清水夫妻の痛みを何とかフォローできないかと様々な手を尽くすが朱里は自らの非には目を瞑り他者に責任転嫁をするばかりなので齟齬は決して埋まらない。このような朱里に対し夫・徹は瀬里奈の心遣いに感謝はするものの未だ息子を死なせたトラウマからは立ち直れていない。朱里の性格は先に挙げたようにその母・朋子の影響がありそうだが「見た目が総て」と言い張り恬として恥じないプチブル・佐倉井夫妻で手綱を握っているのはあくまで母・朋子だからであり、父・剛は一種のオームに過ぎない。無論、このように役柄による嫌悪感を演じている役者に対して観客が抱けるのは各々の役者が、役を生きる演技を心掛けているからである。
     そしてこの劇団の実に上手い処はラストシーンである。物にスポットライトを当てることで物を象徴として機能させるのだ。
     ラストシーンはグラスにピンスポを当てる。無論入っていた飲料は飲み干されている。自分は老齢で既に多くの眼疾を抱えている為、グラスに氷が残っていたか否かを視認できなかったが、物語の内容からは氷は残っていると考えられる。今作のテーマの答えにも繋がっているのは無論だが、この劇団の真の凄さは、今作に於いても作品の重しとなっているのは役者としては登場しない、亡くなった5歳児・孝介であるという点だ。孝の字に親孝行の孝の字を当てている。登場人物各々についても考えればこういった深読みが出来る名が幾つもある。脚本の良さを演出と役者陣の想像力と技能、そして人間性によって深い処から掬い上げ観客の目の前に晒す。これが出来ている処にこの劇団の力量と凄さがあろう。

このページのQRコードです。

拡大